2012年01月07日■愛澤卓見氏講演

第一回白熱教室ならぬ白熱実験 Ustアーカイブ その1 http://www.ustream.tv/recorded/19612785

より、愛澤卓見氏講演

<17:22>

(省略)挨拶~NHK番組:原子力緊急時支援・研修センターの車によるダストモニタリングの様子:県による説明会「10μSv/h以下になれば大丈夫」「共生=共に生きる」ということが話された~汚染度マップ、ダストモニタリング結果説明:ダストモニタリングによる空間線量と地表汚染度とは相関はあるだろうがイコールではない~

<23:55>

飯舘村というところが行政単位としては帰れるのか帰れないのか、みんな不安に思ってますし、全国の中でも今回の事故での特異な場所になります。

(図中の)赤いところは長期間帰れないという方向である程度考えられるわけですが、黄色とか黄緑の部分は微妙なライン、そこに飯舘村全体が入っているということが、この図を見れば分かると思います。

(空間線量の推移を示すグラフで)高いのが飯舘村、黄緑が福島市、一番下が南相馬市です。

わたしがこの数値を見始めたときが、飯舘村と福島市の比率がだいたい2対1だったもんですから、だいたい福島の倍だなくらいに思っていたんですが、飯舘村に落ちたのはどうもヨウ素じゃないんじゃないか、ヨウ素の半減期の計算と合わないんじゃないかと気づいたのが、3月の末だったんです。

最初の数日間の飯舘村の空間線量の上下動が、ほかの場所とすごく違うんです。これもわたしは非常に危機感を持ちまして、これは一体何が起きたんだろうと。

<28:00>

(パワーポイントで説明)

【飯舘村について 1. 被曝について】

飯舘村の空間線量の推移、ダストモニタリングの推移から、被曝を事故直後~3月20日までの期間と3月21日以降に区分すべきではないか。仮に3月20日までの期間をAとする。

空間線量が上昇したのは3月15日の午後からなんですが、ダストモニタリングの数値と空間線量はイコールにはなっていないので、事故直後から3月20日までをひとつの区切りとします。

放射性物質を含んだ気体(雲・プルーム)は1カ所に留まっていません、雲ですから。なので3月20日に計測を始めた時点で高い数値が出ていたもんですからびっくりしたんですけども、これは何度目かのプルームである、つまり最初に来たものがそこに残っていたのではなくて、3月20日にはまた来たと、飯舘村に最初に来たのが15日かどうかもはっきりはしないんですが、15日くらいから20日までの間に何度か来たということが考えられる。

これ以降は突出した数値が出ていないので、地表に落ちた放射性物質は雪の影響もあり、再拡散は少なかったんだろうとわたしたちは考えています。

<29:18>

【ではなにが問題か(~3月20日)】

飯舘村は一部を除いて30キロ圏外であり、屋内退避等の指示がなかったんですね。

ちなみに、同様に危険だった浪江町津島、こちらも相当ひどい線量が出たんですが、15日に二本松へ避難を始めています。16日くらいには完了しているのかな。一部赤宇木(あこうぎ)という地域で避難しなかった人もいるらしいんですが、基本的には避難しました。これは市町村の判断によるものかどうかは分かりません。

降下物、雨や雪に付着して地表に落ちただけではなかったため、屋内も相当に汚染されました。おしどりマコさんから仙台のハウスでは汚染はなかったと報告がありましたが、飯舘村ではハウスの中の土壌もそれなりに汚染されています。

――マコ:プルームが入ってきたということですか

そういうことです、ぼくたちは気体に包まれたということになると思います。なので、呼吸による内部被曝がわたしたちは相当危惧される。

<30:37>

【それに対する対応】

3月末に甲状腺サーベイによる検査が行われました。この検査では当日に数値の開示がなかったんですね、大丈夫ですよという話しかなかった。

保護者に対する説明会も行われたんですが、相当あとになって行われました。精度についても疑問が残っています。やらないよりはマシ、くらいの話だったんですね。

わたしたちは地域の住民団体の方で、WBCによる内部被曝調査を3カ月以内という基準で要求したんですが、これはかなえられませんでした。いま一生懸命WBCをやっているんですが、3月20日までの経緯に関して言えば、もう手遅れというような状況です。

プルームの組成について明らかにして、つまりどういう雲が来たのかということをはっきりして、SPEEDIによって試算するという手法があるはずなんですが、トータル的な回答がいまのところない。断片的にはあるんですが、これは研究者の方が個別にやってくださってるので、いわゆるオフィシャルではない。

10月に福島で、ICRPの委員の皆さんとか立派な先生方を呼んで、世界の英知を集めてというような会議が行われたんですが、その中で「プルームの組成は分からないが、短時間であったのでそれほどの危惧は不要」という発言がありまして、「え~、中身分かってないけど少ないから大丈夫、みたいなことを言われてもなあ」みたいな感じで、ちょっと驚いています。

<32:22>

このプルームについてなんですが、半減期が短いβ核種やα核種が含まれていたと思われます。

プルトニウムに関してなんですが、大気中核実験において発生したものが地表に落ちているという話があります。それは事実なんだと思うんですけど、今回事故が起きてから飯舘村まで到達する時間が短かったり、比較的早い時間に来てしまったものですから、ネプツニウムとかベクレル数にするととんでもないものが来てますね。

プルトニウムになると3000ベクレルくらいになる、そのひとつ手前のネプツニウム、そういうものが含まれていたものが来たということが間違いなさそうなんですが、それに対する懸念というものが公的には表明されていないんです。

記者会見なんかで、心配ですねえと言えば心配ですねえと返される、というような状況から進んでいません。

これは感情的にですが、もっと早く避難させるべきではなかったかという話が出てます。SPEEDIの発表も遅かったんじゃないかという話も出てますが、飯舘村民のみなさんごめんなさい、という謝罪のようなものは、残念ながら公的には村民には届いていません。

【おまけ】

4月末に行われた東京電力の謝罪集会の場において、WBCの検査をしてくれ、もしくはWBCを飯舘村に持ち込んでくれないかということを要求いたしましたが、本社持ち帰りということで今現在も回答がないです。

将来、因果関係を争う場面が発生したときに証明責任というのは、今までのパターンからいくと患者側にあるんですが、証明の機会を逸失した責任がどこにあるのか、争うことができるのかどうかは分かりません。

<34:23>

【その後になにがあったか】

3月21日~4月10日

これはいろいろな人が便宜的に分けると思うんですけども、4月11日に飯舘村に計画的避難をやりたいという打診が国からあったので、それまでをひとつの区切りにしています。

この間に何があったかというと、3月25日に県よりリスクアドバイザリーの方が来まして、危機は去ったという趣旨のお話をしていきました。

まあ、危機は去ったんですよ。Aという期間における危機、Aという期間が過ぎたという意味では危機は去ったんです。そういうふうにきちっとした説明をしたかというと、ビデオなんかで確認すればそういう説明をきちんとしたのかもしれないんですが、丁寧な説明だったかどうかは分かりません。

そういうことで村の当局もアドバイスを受け、学校の再開なんかも決定して公表したりしました。そういうふうな話もあって、避難していた村民も多数戻ってきました。この期間を仮にBとします。

4月11日以降

計画的避難の打診があった。村民はこの段階で相当に混乱してます。

4月の15、16日くらいにはテレビとか復旧しまして、テレビで飯舘村でとんでもない数値が出ていると盛んに言っていたわけですが、この頃はヨウ素が影響しているので日を追うごとに線量は下がるわけです。

皆さんに言わせるとバカじゃないかと言われそうですが、空間線量が長泥あたりでは100(μSv/h)を超えているようなところもあるわけですから、そういうところにいると、まあ、5を切ればいいかな、みたいな気持ちになったりしながら生きてました。

<36:30>

6月15日の段階で、そういう中で村民がどういう気持ちでいたかと言いますと、いろいろ怒りとか絶望とかあるかもしれませんが、わたし自身は期間Aにおける被曝を最重要視していたものですから、6月15日をひとつの区切りとして、初期被曝の検査を求めていたわけなんですが、これは絶望的になりました。

仮に疾病が発生したら検査結果をもとに医療保障を求めればよい、病気が起きてから、ごめんごめん、そういえばあなた被曝してましたねと言ってちゃんと医療保障してもらえればいいかなと考えていたんですが、検査もしてもらえなかったということに相当ショックを受けました。

被曝してもそれほど病気は起きないよと皆さん言われるんですが、仮に何か起きた場合ですね、それが被曝による影響かどうか分かりませんが、若くして何か起きた場合に先端医療を受けようと思えば数百万円かかる治療がたくさんあるわけですから、例えば、被曝させてしまってごめんなさい、1人頭1000万円あげますと言われても、ぼくは1000万なんていらないと、●●(不明)●●してくださいと言いたいと、ぼくとしては思うんですが、そんなこと言うとカネがほしいって後ろから石を投げられるかもしれませんが、そういう枠組みがほしいなと思っています。

ただ、基本的に現時点では、放射能による疾病はまだ発生しておりません。飯舘村民においては。あと、疾病が発生するとは限らないでしょと言われると、限らないですねという回答しか、わたしたちはできないということもあります。

これに関しては、わたしたちは腰砕けになり気味でした。それ以降、初期被曝に関しての追及については(おしどり)マコさんがやってくれて、そのおかげで随分進んだということがあります。

<38:33>

医療保障についてですが、6月の段階ぐらいで村民がどういうふうに考えていたかということです。みんなに聞き歩いたわけではなくて、わたしの周辺から聞いた限りにおいてなんですが、だいたい6つでした。結婚問題は別にしてですよ。

●村の除染をきちんと行う。村を元通りにしてほしいということですね。

●除染が終了するまで生活を保障してほしいということ。

●村の土地・建物に応じて「借り上げ」を行う。仮に村外に新天地を求めても、それを賄えるような金額を補償的に支払ってもらいたい。

あくまで「買い上げ」ではありません。この時点では売り払うという選択肢を持っている人は少数でした。いまも少数だと思うんですが。

ここからの3つが、ちょっとわがままなんですが、

●もう被曝してもかまわないから、という村民に関しては自由に住むことを認めてほしい。つまり除染をしますから出ていってくださいとか、買い上げますから出ていってくださいというのはイヤだということです。

●村に住みたい住民のために、村のインフラを維持してもらわなきゃならない。これもやってください。税収はないけれども村が維持できるような対策を取ってください。

●村のインフラの維持のために、村の行政を支援してください。つまり、村として残してください。飯舘村は合併の話がありましたけれども、合併しなくてきてるわけです。

貧しいながらもやってきて、合併されてしまうと地域が廃れてしまうと、一律に言ってしまうとまずいんですが、そういうのはイヤだと、自分たちの村だから自分たちでやっていこう、という気持ちがあって合併しなかったという経過があるので、もう税収がないんだからどこかの市町村に任せて除染とかのケアをしてもらってとか言われたときに、そんなのはイヤだという気持ちがあるんです。いまもある。

ところがこの6つなんですが、国かどこかの担当者からすれば、借り(買い)上げた方が安上がりというかたちなのですから、すいません買わせてくださいと言ってしまいたい(のかと思える)ような対応だし、東北人は声に出さないと言われるんですが、あまりお金の話はしたくないというようなところもあって、みんなこの頃はこのような話は実際できませんでした。

個別に自営をやってるような人たちは別ですよ。どうにかしてくれ、どうにかしてくれというような話は出たんですが、村全体としてはこういう話は出ませんでした。

この6つはこの通りだったんで、村の除染はきちんと行うという目標に村の行政はある意味、突っ走り始めたというようなことですね。

<41:25>

「2. 保障・補償・支援について」

飯舘村というところは「持続可能な村づくり」とか「までいな村づくり」とか「有機農業への取り組み」なんかを熱心にやってまして、飯舘村は電源三法による交付金とは対極にある村づくりをやってきました。

人口も少ないですので、国や県からの交付金はたくさんもらってますが、基本的には電源三法とは無縁の村づくりをやってました。

そういう村がこういうかたちで汚染されてしまったということもあるので、全国から多くの同情を集めています。本当に支援をいただいています。支援してくださっているみなさん、本当にありがとうございます。

本当にありがたいと思っているんですが、国や県、東京電力から適切な扱いを受けているという実感は、実際は村民にはあまりありません。

例えば、4月末に行われた東京電力による謝罪集会で本社に持ち帰るとされた内容についてなんですが、何一つ正式に回答されていません。ほかにも山ほどあるんですが割愛します。

12月3日に双葉郡の総決起集会があったんですね。完全賠償を求める会みたいなものがあったんですけども、その集会には東京電力の社長が出席したんです。

東電の社長は前の社長も今の社長も、1回ぐらいは役場ぐらいまで来たときに議員たちとか一部の人たちには謝罪もあったんだと思うんですが、結果として、一般村民の前で謝罪するという機会はまだ一度もありません。いまもないです。これは東電に対する文句ですね。

12月6日に県で“「放射線と健康」アドバイザリーグループ”というのを設置(を発表)したわけなんですが、先ほど言ったBの期間に飯舘村に来て、危機は去った、とお話をしていった専門家が全員入ってるんです、びっくりしました。

Bの時期に国に対する不信感というか、国も県も村も行政単位としては別なので一緒くたにされては困るんですが、お上の言ってることは信用ならないという気持ちですよね、不信がこの時期にそもそも増大したもんですから、この人たちが平気で県の方でやっているということに対しては、県はどう考えているんだ、その不信感のいま矢面に立っているのが村の行政だもんですから、村の行政が気の毒だという状況があります。

国からは特別交付税を村の方にいただいているので、あまり言うと怒られそうなんですが、国の方で12月16日にステップ2が終了と言い、年末には終息宣言が出されました。

これは村民とか県民と言うより国民感情と随分乖離しているというのがあって、わたしたちはどういう扱いをされているんだろうな、というのがあります。

<44:38>

とはいえ、6月以降わたしたちも動きがありませんでした。補償に関しての話とか健康問題に関してとか、一体何をどうすればいいのかが分からず五里夢中で動いていた、というような状況があります。

この間に、記者会見なんかも自由報道協会でやらせていただいたりしていたわけなんですが、6月15日から10月ぐらいまで計画的に動いていたか、何かを目指して動いていたかと言われるとそういうわけではなくて、正直言うと、あがいていたというのが実状ですね。あがいてあがいて、という状況でした。

10月の段階でなんですが、飯舘村の方で準備集会なんかをやったんですがちょっと荒れてしまって、随分評判を下げてしまったんですけども、この間にいろんなことが表出してきました。

端的に言うと、補償が全然はっきりしないと。あと村の未来の姿がはっきりしないということもあって、非常に問題があったんですが、ぼくは被曝、健康問題を熱心にやってこういう書き方(パワーポイント)をしますが、被曝労働というものがひとつ挙げられるんですね。

Aの期間、あの時期に飯舘村で働いていた、これはもう●●(不明)●●したんですが、期間Bもしくは期間C以降の空間線量だったらば許容して、先ほどのテレビ(NHKの番組)じゃありませんけれど「共生」して頑張りましょうと言う専門家の人もけっこういます。御用学者じゃなくても。

これくらいの空間線量だったら大丈夫だよ、と言っている人もいます。子供に許容させるかどうかはまったく別問題ですが、とりあえず今の飯舘に関しては許容しようというふうな話が出ています。

除染をしようとかインフラの維持をしようとか、雇用の維持を求めようとすると、ある程度の被曝を許容しないとできない、というのが実状ですね、飯舘にしてももしくは福島県にしても。

許容してもいいかな、と思いたい気持ちもないわけではない、つまり地域に、故郷に貢献したいという気持ちもないわけではないんですが、いまの状況だと特攻隊なんですね。なんの保障もないまま進められていますから。

大丈夫大丈夫、病気になっても、ううん違うんじゃない、みたいな感じで進められていますから、これに関しての住民感情は当然だと。

あと飯舘くらい汚染されていると、除染の成功可能性について疑問を持つ人は多い。不十分な除染で帰村というか村に帰っていいよと言われて補償の時期切れになることについて、わたしたちは不安に思っている。

この不安は何度も国、国というか村の方にぶつけて、大丈夫だよ、そんなことはないよと言ってくれているんですが、不安は払拭されてません。払拭のしようがないですよね。村の会議か県の会議か。

さらに、飯舘村は地盤が硬くて最終処分場の条件を満たす可能性がある、そういうことを村民も知ってまして、村民も気持ちを定めかねている。

「新天地を求める会」というのが村の中にあります。ここもちょっと説明したいと思います。

<48:16>

わたし個人としては最終処分場は反対します。

ぼくは個人として、地下埋設という手法にそもそも反対している。地下埋設というのは非常に無責任な処分方法だなあと思っているので、これはそもそも反対。

周辺市町村と十分に協議しなければならない内容ではないかということですね。

今回の原発事故も、原発を立地した市町村で放射性物質が止まってくれたわけではありません。立地市町村、該当市町村の中で決めていい話と悪い話というのが、世の中にはあるんじゃないでしょうか。

自分たちは被害者感情というのが、むき出しになってしまった。お恥ずかしい話なんですが。こういうかたちで被害を受けて、自分たちも同じことをやるのかという思いがあります。

これは本当にみなさんに考えてほしいんですが、飯舘村はなし崩し的に汚染されてしまった土地です。汚染されてしまったんだから仕方がない、というふうなかたちで処分場を引き受けるべきというふうな考え方があっていいのか。倫理的に許されるのか。

あと、最終処分場にしますと、村民がまとまって決めました。で、この金額でこの条件でどうですかというかたちで交渉が可能なのかと言われると、交渉のテーブルに誰が着いてくれるのかというのが、はっきりしません。

ですからこの計画(最終処分場受け入れ)は、そういう理由でぼくは反対です。

<49:58>

ただですね、実はこの「新天地を求める会」のみなさんとは、わたし個人としてお付き合いのある方々です。

彼らの主張としては、仮置き場というものをいろんなところに断片的にたくさんこまかく作っても、移動するときに土が出ちゃうんですね。

つまり土の上に置きました、仮置き場にセシウム入りの土をどかんと置きました、もしくはグラウンドの下に埋めました。それをあとで最終処分場へ持っていくときには掘り出さなきゃいけない。掘り出すときに汚染物質が増えちゃう可能性があるんですよね。

セシウムが(半減期が)30年くらいだから、300年後くらいだったら掘り出さなくてもいいという話になるかもしれませんが、中間処理をしましょう最終処分をしましょうといったときに、周辺の土ごと、もしくは周辺の処分場に作ったコンクリートとか、そういうものも一緒に運び出さなきゃいけないというかたちになるので、そういう意味では仮置き場的なものを作るべきではなくて、相当にしっかりした施設を作るべきというふうなことを、彼らは主張しています。それはそれで、ある種の説得力がある。

あともうひとつ、ある程度村づくり市町村づくりを一所懸命やっているところはみんなそうなんですが、飯舘村は村長もアイデア村長ですので、村づくりに惹かれて入植されてくる人も多かったんですね。

その人たちによる新しい意見も積極的に取り入れて、村づくりをやってきたわけです。新しい声、第二の声と言っていますが、それはそれで古くからいる、しがらみがある住民が言えないようなことを代弁している、そういう側面もあったんです。

いまこういうこと(最終処分場受け入れ)を言っている人たちは、本来であればそういう代弁してくれていた人たちなわけで、ただ単純に飯舘村に入植してきて飯舘村に愛情がなくてこういうことを言っている、というかたちで考えるのは間違いだというふうに思っています。

そしてこの問題に関しては、ある程度の住民が賛同しているんです。ある程度の人数がね。これは、飯舘村を最終処分場にしようというふうなことに対して賛同しているのかどうかは、ぼくは疑問に思っています。

どちらかというと、それだけ将来に対する不安が大きくて、それに関して何ら国や東電が言ってることを信用できなくて不安に思っている。ある程度の新天地を目指すための原資がほしいと、そういうものがないと、そのうち捨てられてしまうよというふうな不安からきているんじゃないかと、ぼくは思ってます。

<52:40>

ここでこういう問題を考えていくとですね、健康問題についても補償問題についても、国からの支援がなければ解決しないんですね。ある程度大きな金額が投入されないとダメなんです。

住民の意向を十分に聞き入れてものごとを進めます、というふうなかたちを担当者からはよく言われます。そのつもりもないわけではないと思うんですが、今回の地震や津波の被害を受けた地域の補償とのバランスみたいなものも存在してしかるべきだと思うし、双葉郡とのバランスも存在するのだろうと思っています。

そういうふうなことを考えると、みんな声を上げないもんですから、もっと声を上げた方がよいと、飯舘村が本当にひどい被害者なのでもっと声を上げた方がよいというふうなアドバイスをされる人もいれば、補償されることはまず間違いないんだからよかったね、というふうに揶揄する人もいれば、飯舘村は自由に出入りできて帰れるからいいねと言われてみたり、あんな土地にはもう帰れないねと慰められたりというふうなことで、ほんとに飯舘村民は忙しいです。

<54:05>

支援を求めなければいけないんですが、とても感情的には難しい問題があって、今までまがりなりにも、もちろん国から交付金、交付税はいただいてきましたが、今までまがりなりにも自主独立の精神で生きてきた飯舘村の住民にとって、こういうようなかたちで支援を頼りにしなければいけないという状況は、正直言うと「惨め」です。

なかなか自分の中で整合がつかないです。いや、助けてもらわないと成立しないんですよ。村単位で立ち向かうには絶対に無理な壁が立ち塞がってますからね。

ただ、先ほどの仮置き場でも最終処分場の部分が発生してきたから若干触れたんですが、倫理的にどうあるべきか、社会正義や公共哲学にある程度触れて考えていかないといけないんじゃないのかというのが、最近わたしが考えていることです。

<55:15>(省略)