投稿日: Feb 25, 2014 4:32:7 PM
マイルはじっとドアを見つめていた。閉じたドアが再び開いて、自分の主人キネコが現れるのを待っていた。
キネコが出た後、聞こえた微かな音や振動がする度にマイルは、キネコが帰ってきたと床に着いた手に力を入れて、飛びつく準備をする。しかし、前兆は通り過ぎたり、違うところで止まり、マイルの微笑みを序章で止め、こわばらせる。
「待て」と言われれば、一人で待つことはできるが、徐々に不安が増していく。
テーブルクロスにこぼしたワインがあっという間に広がるように、心の隙間から滲み出た不安は、糸を伝わてくるように次から次へと何か怖いものを引き寄せ、心を曇らせていく。
カリカリカリカリカリ・・・・・
マイルはドアから視線を音のする方へ巡らす。いつの間にか、床を両手の爪でひっかいていた。何か違う生き物のように手の指がバラバラに蠢いている。自分の物じゃないみたいに見える。
「怖い・・・怖いよ・・・・」
マイルは温もりを取り戻すように腕を身体に密着させると両手で頭を押さえた。
「主人・・・・」キネコに抱きしめられ、頭をポンポンされたことを思い出す。
頭をなでまわすと少し、胸の奥が暖かくなった気がした。
「さ・び・し・い・・・。マイル、寂しい」
突然、頭をかきむしると、髪をきつく両手でつかむ。痛みが寂しさを紛らすかのように。
「う・う・う・・・・キネコォ・・・」ドアを見つめる瞳に涙があふれ出し、頬を伝い、床へ流れ落ちる。
やがて、周りで出入りする音や気配は消え、部屋は静寂に包まれる。
ポタリ、ポタリと涙が床に落ちる音だけが、マイルの耳に響く。
「ただいま」 うつむくマイルの耳に時折、キネコの声が聞こえてくる。だが、見上げたドアは開かない。
「おかえりなさい」むなしく答えるマイルはうつむくとポロポロと大粒の涙をこぼす。
いつしか、マイルは自分自身を抱きしめていた。そして、二の腕に爪がきつく食い込み、血を滲ませていた。
指先を濡らす血の感覚がマイルの心の不安を爆発させる。左手の爪が一気に走り、右腕の手首まで四本の筋を作った。皮膚が切り裂かれ、血がはじけ飛びマイルの顔を染める。瞳に入った血で視界は赤く染まる。腕は一瞬で血まみれになり床の涙を覆い尽くす。
マイルは唇の血を舐めると、右腕の血だまりに吸いついた。少し、キネコのにおいがする。
「・・・もっと」 マイルはさらに血を流すべく左手を振りかざした。
その時、部屋の中で微かな物音がした。マイルは身体を凍りつかせ、音のした方へ頭を動かした。
台所のテーブルにキネコが予約していた昼食が調理機から運び出されていた。甘い香りが鼻に漂ってくる。けれど、今欲しいのは血の匂い。
邪魔されたという怒りに似た感情がマイルを支配する。
マイルは獲物にとびかかると皿の上の甘ったるいふわふわした物をズタズタに切り裂き、吹き飛ばす。返す手で、グラスの中身をグラスごと壁にたたきつける。吹き飛ばす。手当たり次第に力任せに何もかも・・・。
目の前にあった植木鉢をなぎ払った時、ズキンとマイルの頭に痛みが走った。 あれはキネコが大事そうにしていたもの・・・・。 昨日、水をやるのを見ていて、嫉妬したキラキラ光る植木。
バウンドした植木鉢は、植木の枝をまきちらしながら転がっていき、壁に当たって、幹を中ほどからへし折った。
キネコの悲しい顔が浮かび、マイルの激情は一瞬で霧散した。
「だいじなの・・・」マイルは植木鉢と植木を拾おうとして、壁に向かうが、足が進まない。視界が傾き、薄れていく。
マイルはぱたりと倒れ、動けなくなった。
キネコは我が目を疑った。部屋を間違えたのかと思う。ネームプレートを見るまでもなく、見慣れた調度品が自分の部屋だと示していた。あまりの惨状にめまいがしそうだった。が、壁に飛び散る血に気付いた。
(彼女はどこだ?) 見まわすとベッドの横に毛布が重なっている。最悪の事態を予想しながら、毛布をそっとめくる。
小さな赤毛の猫が丸まって、横たわっている。長い毛が、血で濡れて絡まっていた。微かに動いている・・・眠っているようだ。
キネコは確信して、そっと額に手を伸ばす。赤毛の猫、マイルはビクッと身を引き、薄く、目を開く。隙間からのぞく、赤い瞳は遠くを見ている。
「にゃう・・・」
「大丈夫?」 瞳孔が収縮し、赤く輝き始めるとマイルは頭を手にすりよせる。
「・・・キネコ・・・・」 愛玩系がオプションで獣化するのはきいていたが、なめらかな言葉に口の構造がどうなっているか、見たくなる。
「うん、まいる。ただいま・・・大丈夫?」
「・・・大丈夫」
「少し、しゃべれるようになったね」 震えるマイルの身体を抱きしめる。
「・・・うん」
「寂しかったの?」
「うん、寂しくて、怖かったの」 腕の中でマイルが元に戻る。細い猫の身体から、ふくよかな愛玩系に目の前で変わるのが、悪いジュークのようだった。
キネコは、失われた一族の模倣がこれほどとは思っていなかったから。
マイルは手を差し伸べ、キネコの頬に触れる。ひんやりと冷たい手だった。エネルギーを限界まで使い切り、体温もギリギリのところまで落ちていた。無意識に獣化して命を保っていたのだろう。それなのに愛玩系に戻ったのは悲しい愛玩系の習性かもしれない。
全裸の彼女はあちこちに傷をこしらえていた。差し伸べた手は血まみれで、腕には幾筋もの傷が走り、今も血が滲んでいた。
「痛くない?」
「痛い・・・」 か細い声でマイルが答える。
「おなか、すいた?」
「・・・うん」
マイルの身体にはカンフル剤が必要だ。どれくらいの血が失われたか、部屋の壁を見ればわかる。
「食べていいよ」 キネコは襟のボタンを2つ外すと首をマイルの口元にさらした。
マイルの少しふっくらした唇が、キネコの首に押しあてられる。唇が開き、首を数回舐めると、細い牙が皮膚を切り裂き、正確に一番太い動脈を傷つけた。勢いよくあふれる血を一滴もこぼさぬようマイルの唇が一層押しつけられる。のどが弱々しく上下し、血管がつながったようにマイルの身体にキネコの血が注がれていく。徐々にマイルの頬が明るく桜色に染まると首を吸う力が強くなり、抱いていた身体に温もりが戻ってくる。そして、乳房がつぶれるくらいにマイルは抱き返してきた。力強い鼓動が肌を伝わってくる。
「好きなだけ、食べるといい」 マイルは、まだ、唇を首にあてたまま、こくんと頭を縦に振る。
安心したのかゆっくりと味わうように血を吸い始める。時折、楽しむかのように暖かい舌が、二つの傷口を舐めていく。
身体を預けてきたマイルは、まだ、軽すぎた。構成物質が不足しているに違いない。
キネコは優しく、自身の血で濡れたマイルの赤い髪をなでてやる。なんとか命をつなぐことができた。
二人の時がゆっくりと流れだし、キネコには混乱した部屋が静寂に包まれ、暖かい空間に変わっていくように感じられた。
マイルの腕から流れる血がシャツを紅く濡らしていく。傷ついた腕に触れるとマイルはピクリと震えた。
「痛い?」
「ううん」 マイルは血を吸うのをやめて、キネコを見上げると言った。
「舐めて・・・」
「ああ」キネコは彼女の右腕を神へ捧げる供物のように両手で支えると舌を傷口に這わせる。傷口を広げないように、傷に沿ってゆっくりと舌を動かしていく。マイルの血とキネコの唾液を入れ替えるように舌が動く。キネコの口の中に血の味が広がっていく。異質な血が喉を伝い、身体に広がっていく。
痛むのか、マイルは目を閉じて動かない。
「痛いのかい?」
「ううん、気持ちいの・・・続けて」 血が拭いとられ、滲む新しい血はキネコ自身のの匂いが微かにした。やがて、傷口が塞がり、血が止まった。
「止まった」 キネコはそっとマイルの桜色に染まる頬をなでた。マイルの笑顔が見上げる。
「さびしかったの?」
「うん・・・ごめんなさい。ちらかした。主人の大事なもの壊した・・・」
「派手にやったね。片づけるから手伝って・・・できる?」
「あん。やる」マイルは首に抱きつくと、頬ずりしてくる。
暖かく力強いマイルの抱擁にキネコは安堵し、笑みがこぼれる。
「その前に・・・シャワー浴びないとね。血まみれのままじゃ服が着れないよ」 キネコはマイルに抱きつかせたまま、床の調度品だったものを避けて、シャワー室に向かった。
シャワー室に立つマイルはキネコより頭一つ小さかった。同じ職場の労働系の女型からするとずいぶん小さく見える。そして何よりも目を引くのは大きな二つの乳房だった。同僚に胸はあるがこうまで大きくはなかった。それは、マイルがシャワーノズルで身体の血を流そうと腕を動かす度、揺れ動いた。
「キネコ・・・洗って」 キネコは弾む乳房ばかり見過ぎてマイルの視線に気づかなかった。
マイルは自分では髪をうまく洗えないらしくシャワーノズルを差し出す。
キネコはシャワーノズルを壁に固定すると中に入り、マイルの髪を後ろから洗ってやる。頭にも何箇所か傷があるようで、マイルの身体が震える都度、確かめる。いつしか、シャワーのお湯が床を叩く音に混じり、マイルのハミングが聴こえてくる。マイルの濡れた肌をキネコの手がメロディに合わせて愛撫するかのように洗っていく。振りかえったマイルは悪戯っぽく、鼻筋にしわを寄せて笑うとキネコの二の腕を甘噛みする。それが始まりの合図なのか、マイルはキネコの頭を引きせると唇を重ねてきた。ボタンをはずそうともどかしげに指を動かしていたマイルはキネコのシャツを引き裂いた。現れた肩甲骨を噛み、胸板に舌を這わせ、腹筋を味わうとズボンを下げて、動きを止めた。あるべきものがないからだろうか?
生産系に性器はついていない。家庭を持ち、子供が欲しければ、夫婦の特性を組み合わせた赤子が供給される。セクロスは必要なかった。栄養素で生きる労働系は排泄行為さえ省略されていた。
一瞬、止まったマイルの動きは、キネコの身体を確かめるように、舌の探検を太ももに移していった。指で触られるのとは全く違う感覚に、キネコはあらがう事すら思いつかなかった。
再び、マイルの唇がキネコの唇に戻って来ると、舌がなまめかしく舌に絡みついてきた。長い終わりのキスの後、マイルが抱きついてくる。
「主人、大好き」 抱き返すキネコに満足げにマイルがささやく。
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③終わり