投稿日: Jul 29, 2013 3:49:51 PM
・・・遠い未来のおはなし
創造主の目が届かないくらい遠くて些細な出来事の記録・・・
キネコは生産基地からいつもの最短のコースを昨日の足跡をたどるかようにねぐらに向かっていた。
夜のない世界の空を形成する2キロ上空の天井は、変わることない晴れたすみれ色に染まっているのに、どこか破れた配管から漏れた排水を小雨のように下界へ降り注いでいた。
トマトの似た匂いがする雨に打たれるのは、気にならないが、部屋がトマトの匂いでいっぱいになるのは誰も望んでいなかった。
しかも、このひなびた土地では、修理を優先することが多く、空の配管が修理されることはなかった。
一般的な事務作業をするタイプのキネコは、細い身体つきでさしているこうもり傘が風に吹かれると、よろめいて、大きな黒いカラスに捕まり、最終処分場オワリに連れ去られているように見える。
昨日歩いた道筋を外れないよう指示されているわけではないが、突風でさらに足元を取られそうになり、キネコは歩みを緩めた。
部屋には、誰が待っているわけでもない。別に、数分帰りが遅くなっても問題はない。
空を見上げるが、カラスの姿はない。もし、カラスがいても、どうということではなかった。自分がいなくなるだけだから・・・。
長年、通う道は、見慣れた風景で、同じ建物が連なり、等間隔にドアと表示版がの連続して、その前に回収されないゴミの山が個性を表す唯一の手段となっていた。かつてあった色は失われ、素材の単一な色に街は沈んでいた。
このくすんだ色の世界が、この先変わることなく永遠に続くとキネコは思っていた。
だから、目の端に赤い色が入ってきたとき、視覚装置に異常が発生したと舌打ちした。
不具合かどうか確かめるため、キネコは立ち止まると10m先のゴミの山の上のものを凝視した。
それは雨に打たれながら、微動だにしない。
危険があるようには感じなかった。
一層、歩みを緩めて、キネコはゴミの山に近づくと立ち止まり、それを見上げた。
雨に打たれながら女の子が、座っている。
赤毛で、小柄な、ややぽっちゃりとした体型。
このあたりにいる統一された理想的とされる女性型人形と違い体型に個性がある。
労働系も画一的に作られているわけではなく、個性はあるが、それは並べると違いがわかる程度のものだった。
性格についても同じことが言えた。
目の前にいるのが、労働系ではなく、愛玩系の人形だとキネコは悟った。
創造主が楽しみのために作ったと言われる愛玩系は噂には聞くが見るのは初めてだった。
そして、最後だろう。創造主がこの地を訪れることはないからだ。
家族とか、ゲームとか、セクロスという概念は理解できても、楽しみという概念は理解できないなと労働系のキネコは彼女を見上げて思った。
その子は首をかしげるとうつろな瞳でキネコを見つめた。
「・・・主人?」
明らかにキネコは主人ではない。エラーか、初期化されているのだろう。
「僕はキネコ。主人じゃないよ」
「わたし、マイル」停止していた機能を立ち上げたのか、顔がパッと明るくなった。一瞬、微笑んだ。
その顔をもう一度、見たくてキネコは言葉をつないだ。
「ここで、何をしてたの?」
「キネコを待ってた」マイルはもう少し長く微笑んで言うと、立ち上がり歌いだした。
途切れ、途切れにうまくいかなかなかった自分を憐れむ歌を悲しげな表情で歌った。
その短い歌は昔、流行った歌だと検索できた。
続けて何曲か歌ったマイルは満足そうに微笑んで、キネコを見つめた。
どこか、壊れてるんだろうなとキネコは、その微笑みが自分のものにならないことにがっかりする自分に驚きながら言った。
「ありがとう、マイル。素敵な歌だね。会えてうれしいよ。またね」
ここに座ってマイルは通る労働系の僕たちに歌を聴かせているのだろう。
理由はわからないけど・・・。
そして、歌を理解できる労働系がどれだけ居たんだろう?
「わたしもキネコに会えて、うれしいよ。またね」
声に魅了されたかのように、一瞬キネコは固まったが、踵を返す。
と、作業服の裾をゴミの山から飛び降りたマイルが掴んで言った。
「お腹すいた・・・主人」見上げるマイルの顔に、細かい雨が降り注いでいた。
「僕は主人じゃないよ」キネコは傘をマイルに差し掛けると空いた手を差しだした。
「うちに来るかい?」 コクりとうなずくとマイルはその手にしがみついた。
マイルの身体は冷え切っていたが、密着する柔らかい感触にキネコは暖かい気持ちになっていた。
なぜ、暖かい気持ちになるのか本当にキネコは不思議だったが、悪い気持ちはしなかった。
「ぎゅー」とマイルはひと言、言うとエネルギーが切れたように力が抜けたので、キネコは慌ててマイルを抱き上げた。
代わりにキネコの手を離れたこうもり傘が、突風にさらわれ空高く舞い上がった。
「守るべきものを得た時、我が身を守る術を失う・・・か」キネコは、マイルがなるべく濡れないよう・・・既にぐしょ濡れだが・・・歩みを早めた。
何人かすれ違うが、誰も二人に興味は示さない。数ブロック進むとねぐらに着いた。
標準的な地上20階層地下40階層の居住用のビル区だった。玄関は一人乗り用のシューターに直結し、居住区に廊下は造られていなかった。
シューターの床に、マイルから滴る雨水が丸い水たまりを作り、トマトの匂いが充満する前にシューターは止まった。防護扉が開くとキネコの部屋と銘打った扉が現れた。鍵はかかっていなかった。この世界に盗むという概念はなく、盗まれて惜しいものもなかった。
キネコはマイルとともに入口の横のシャワー室に入る。一人用なので抱きしめたまま、熱いシャワーでトマトの匂いを消していく。ついでに服を脱がせていくがボタンの多さにうんざりした。全部、脱がせると横のクリーンニングボックスに自分の分も合わせて放り込んだ。
お湯を風に変えるとマイルの脇を抱えお湯を飛ばしていく。身長の比に比べ、乳房が異様に大きのが、目立った。
労働系のキネコには性器はなく、セクロス自体関心を持つようには造られていなかった。
腕にあたって柔らかかったのはこれだったのかとキネコは初めて見る乳房に、なぜか温かい気持ちになった。
部屋は5m四方の正方形の窓のない部屋で、簡易キッチンと食料庫、整理棚と衣装棚、ベッドと収納筆記台、入口とトイレ、シャワーの4面だった。マイルをベッドに寝かせると食料庫の中身から、柔らかめに作ったスティックを何本か選んだ。口に合えばいいんだけど、キネコはとにかくエネルギー不足に陥ってるマイルに何か食べさせたかった。何本かのスティックをマイルの口元に持っていくが、鼻にシワを作り露骨にイヤだと食べない。かろうじて、チョコと苺の二つのスティックを食べた。
キネコ達労働系に供給される食料は、燃料系と素材形成系のブレンドされたもので、肉体の可動と維持を目的とされていた。愛玩系のマイルに充分な栄養を与えられるのか、キネコにはわからなかった。
「・・・服」マイルは起き上がると口をもぐもぐさせながら、両手で乳房を隠して言った。 少なくともエネルギーの補給にはなったようだ。
キネコは自分の服を衣装棚から取り出して、マイルに渡した。衣装といってもタンクトップのTシャツとショートパンツだった。二人してお揃いの色違いになった。
「うー・・・」うなるマイルの声を聞きながら、キネコは、マイルが食べなかったスティックを食べ、苺とチョコ味を明日のメニューに組み込んだ。
キネコは労働系にしては珍しく植物を育てていた。植物といっても、実際は鉱物が結晶化していくもので、与える化合物でいろいろな花を咲かせるのが、楽しみだった。
「うー・・・抱っこ」キネコが振り返るとマイルの右腕が赤く染まっていた。目の前でマイルの左手の爪が右腕の皮膚を裂いた。すっと赤い線が走ると血が滲み、白い肌を赤く染めていく。キネコはジョウロを置くと、マイルの元に駆け寄った。自傷癖・・・人形としては致命的な欠陥だ。それが、もし、愛玩系の主人とやらが望んだものなら許せない。左手の手首を掴み、これ以上傷つけないようにすると右腕を見た。今、出来たばかりの20本位の傷があった。何か拭くものはと、部屋を見回すが何もなかった。
「舐めて・・・キネコ、舐めて・・・」確かに舐めるのは、人形が持つ修復機能のひとつで間違いではなかった。キネコは両手でマイルの右腕を抱えると傷口を舐め始めた。体力的に弱っているマイルにとって血の消失におけるダメージは大きいと感じたからだった。口の中にマイルの血の味が広がっていった。なぜか、甘く、そのまま、飲み込んでしまった。口の中の成分分析は不明、きっと、分解されない気がしていた。マイルの一部が、体に入り込んで、薄く、全身に拡散していくのがわかった。マイルは舐められるのが気持ちいいいのか、キネコに覆いかぶさり、大きな乳房を背中に押し付け、息をゆっくり深くしていた。先ほど荒ぶっていた左手がキネコの後頭部を愛撫していた。キネコが舐めることによって、マイルの傷口は塞がり血も止まった。
「おいしい?」
「おいしいよ」血は初めての味で、キネコにおいしいのかどうか判断はつかなかったが、嫌な味ではなかった。
「ぎゅーして」マイルは嬉しそうに手を差し伸べた。抱きしめたマイルは柔らかく、甘い香りがした。
「マイル、どこからきたの?」
「わかんない・・・マイル、寝る」キネコはマイルを抱きしめたまま、横にすると身体をそっと離した。
「いやっ」マイルはすねるようにくるりと背中を向けると背中越しに「抱っこ」とせがんだ。
キネコは寝るには早いが、時間つぶしに情報の海を漂うより、マイルのこころを穏やかにする方を選んだ。狭いベットだから、後ろから抱きしめても、密着しないといけなかった。寝るのが、ひとりじゃないのは、初めてだったキネコにとって、マイルの身体が呼吸の度に上下するのがとても新鮮に感じられた。マイルはやがて、軽い寝息を立てて眠りについた。その寝息は、とても気持ちよくいつまでも聞いていたいとキネコは思った。呼吸がシンクロし始めた頃、キネコもまぶたが重くなって、眠りの途についた。
夜半過ぎ、「頭が痛い」とマイルはキネコの腕の輪から抜け出した。キネコはすり抜けた大切なものの行方を追った。キッチンでマイルが夜、食べたものを戻していた。予想はしていたが、供給されたものはマイルの身体は受付けないということだった。つまり、エネルギーは与えられても、身体を修復する糧を与えられないことがわかり、キネコは途方に暮れそうだった。マイルの背中をさすりながら、キネコは情報の海へ、意識の端をつなげた。
① 終わり