最終更新:2020年12月27日(データ整理、本質的な変更はなし)
柳澤健の年譜、著作、柳澤健に関する記事や研究などを網羅していく試みです。徐々に進めます。★は私が所蔵しているもの。
これまでの活動
2015年
8月 柳澤が関わった書籍、同名異人などについて情報掲載(少々)。
9月3日 タイ王国バンコクにて瀬戸正夫氏、山本健治氏、山本良子氏にインタビュー。そのほか資料・情報収集。
9月4日 タイ王国チュラーロンコーン大学でおこなわれた国際シンポジウム「日タイ交流史研究の新地平 大鳥圭介の『暹羅紀行』(1875)から広がる140年」にて「日泰文化会館の成立」のタイトルで報告。
12月5日 瀬戸正夫氏講演を聴講(アジア・フォーラム横浜2015年証言集会にて)。
2016年
論文執筆中。2017年発表予定。 →延期(雌伏)。
2017年
4月28日 北村武士氏にインタビュー。
柳沢健『歓喜と微笑の旅:欧州芸術巡礼』、中央美術社、1923年。★
柳澤健『南欧遊記』、新潮社、1923年。★
柳沢健『ジャン・ジョレス』、改造社、1925年。★
柳澤健『巴里を語る』、中央公論社、1929年。★
柳沢健『日本発見』、日本評論社、1933年。★
柳澤健『異国趣味』、日本評論社、1934年。★
柳沢健『三鞭酒の泡:柳澤健隨筆集』、日本評論社、1934年。★
柳沢健『おせきはん』、柳沢健(私家版)、1952年。★
柳沢健(柳澤健遺稿集刊行委員会編)『印度洋の黄昏:柳沢健遺稿集』、柳沢健遺稿刊行委員会、1960年。★
柳澤健(小野孝尚編)『柳沢健全詩集:詩編・年譜編』、木犀書房、1975年。★
トーマス・マン(著)、加藤子明(訳)『十誡』、世界の日本社、1948年。★ 【NDL デジタル/CiNii 27館】
池田成彬(述)、柳沢健(編)『故人今人』、世界の日本社、1949年。★ 【NDL デジタル/CiNii 43館】 ※『財界囘顧』の続篇。後に三笠書房三笠文庫1953年7月。
1 秩父宮雍仁親王殿下、秩父宮勢津子妃殿下(共述)『御殿場清話』、1948年。★ 【NDL デジタル/CiNii 9館】 ※後に『秩父宮談話集 2:皇族に生まれて』2008年9月に載録。
2 佐藤尚武(所述)、柳澤健『二つのロシア』、1948年7月。★ 【NDL デジタル/CiNii 36館】
3 藤田嗣治(等述)『巴里の晝と夜』、1948年12月。★ 【NDL デジタル/CiNii 18館】
4 池田成彬(述)、柳沢健(編)『財界囘顧』、1949年7月。★ 【NDL デジタル/CiNii 65館】 ※後に三笠書房三笠文庫1952年7月、図書出版社経済人叢書1990年4月。
5 豊田副武(述)、柳沢健(編)『最後の帝国海軍』、1950年4月。★ 【NDL デジタル/CiNii 24館】 ※後に中公文庫2017年(國本隆1984年5月があるが、同一書か不明)。
6 田中耕太郎(述)、柳沢健(編)『生きて来た道』、1950年8月。★ 【NDL デジタル/CiNii 17館】 ※後に大空社伝記叢書1997年9月。
新1 柳沢健(著)『琴と尺八』、1951年3月。 【NDL なし/CiNii 2館】 ※宮城道雄、吉田晴風の対談。後に『宮城道雄著作全集 第3巻 対談・座談』2021年1月に載録。
柳澤健(著者代表)(東京都千代田区霞ヶ関文部省 全国教育用品協会内 われらの天皇刊行会)『われらの天皇』、われらの天皇刊行会普及部、1951年。★
[内容:秩父宮雍仁「肉親としての天皇」(7)、高松宮宣仁「逸話のない陛下」(13)、高本愛祐「侍従時代の想い出」(19)、田中耕太郎「愛の人天皇」(32)、柳沢健「巴里御滞在中の陛下」(42)、田中徳「美しい御生活」(51)、秋山徳蔵「天皇の御食膳」(60)、武者小路実篤「陛下を慕う」(67)、金森徳次郎「われらの天皇」(71)。装丁:和田平三郎。頒価70円。]
【NDL・CiNii なし】
小野孝尚『詩人柳澤健』、双文社出版、1989年。★
私が調べている柳沢(澤)健(けん/たけし:1889-1953)さんは詩人、外交官、評論家、出版家。沢/澤の漢字表記、名前の読みには拘らなかったらしい。
インターネットで検索して最初に表示されるのは、プロレス、レスリングやユーミンに詳しいライターの柳澤健(たけし:1960-)さん。
文芸・芸術系ではほかに、長野県を拠点にする画家の柳沢健(お名前の読み不明:1926-)さん、記者でいくつかの訳書がある柳沢健(けん:1931-)さん、『ぼくをあたためてください』の作者である柳沢健(けん:1973-)さん、作品集『あかし』(2巻)がある柳澤健(たけし:1978-2008)さんがいる。
工学・物質・材料系では、電子通信の世界で多くの研究成果を公開している柳澤健(たけし:1931-、芝浦工業大学・東京工業大学)さん、ロボット開発の柳沢健(けん:1949-)さんのほか、鉄鋼関係、耐火物、繊維、乱気流などの研究で成果を挙げた思われる柳沢/澤健さんの名が見える。
医療系では、理学療法の分野で多くの成果を挙げている柳澤健(けん:1948-、東京都立保健科学大学、首都大学東京など)さん、生化学研究の柳沢健(けん:1957-、自治医科大学)さん、泌尿器科医師の柳沢健(たけし:青森労災病院)さんのほか、信州大学医学部、昭和大学医学部、群馬大学医学部、北海道大学の補綴歯科学の研究成果に柳沢/柳澤健さんの名前が見える。
※沢/澤の別やお名前の読みは国会図書館、著作物・所属先ウェブページ等を参照した。
谷川徹三の1937(昭和12)年6月2日の日記に「ペンクラブのこと黒田〔清〕に話す。ペンクラブの方針、翻訳料補助のこと」。「黒田清、日露戦争に第一軍を率いた黒木大将の息で、一高時代の音楽友だちであった。黒田清隆の黒田家を継いで黒木から黒田へ。KBSの常務理事として、「団伊能と共に、実質的な責任者となって諸事とりしきっていた。その下に事業部長として実際の事に当っていたのが、京都帝大を出てもと広島高等学校の教授をしていた長嶋喜三で、・・・」(谷川徹三『自伝抄』、中公文庫、1992年、146−7頁。)
市河彦太郎『文化と外交』、岡倉書房、1939年。★
市河彦太郎『外交と生活』、人文書院、1940 年。★
澤田節蔵、澤田壽夫『澤田節蔵回想録:一外交官の生涯』、有斐閣、1985年。★