藤原義江(1898-1976)はテノール歌手、オペラ実践者として知られます。彼と彼が結成した歌劇団の活動は、日本におけるオペラ活動の基礎を形作ったほか、海外で演奏活動をして日本人による音楽を広くアジア、ヨーロッパ、北南米、南アフリカのひとびとに知らせました。彼が書いたもの、彼について書かれたものは多くあるのですが、彼の1937-38年の南米演奏旅行に焦点を絞って検証したところ、どうもこれまでに書かれていること、知られていることには不正確なことが多いようです。そういうわけで藤原義江について資料や情報を集めて、それにをもとにした藤原義江像を描いてみたい、と考えております。少しずつやります。
これまでの活動
2014年10月7日 勤務先の研究会にて話題提供、「藤原義江と外務省1936-1938――南米演奏旅行を中心に」。
2015年3月 勤務先の紀要誌に寄稿、「藤原義江の南米演奏旅行(1937-38 年)――自伝・評伝・外務省記録の検討」(昭和音楽大学アートマネジメント研究所『音楽芸術運営研究』、第8号、2015年、59~76頁)。
2015年5月30日 藤原義江記念館(山口県下関市)訪問。見学、資料閲覧。
2015年9月 藤原義江記念館友の会の会報『われらのテナー』第24号に、「義江の南米演奏旅行(1937~38年)と外務省」を寄稿。
文献情報(2015年の論考で使用したものに加筆)
1. 公文書等(JACAR以下の英数字はアジア歴史資料センターのリファレンスコード)
「海軍予備少尉中島喜代一外三名外国勲章受領及佩用ノ件(国立公文書館)」 [JACAR Ref. A10113111000]
「文学、美術及演劇関係雑件 4.音楽(声楽)関係(I-1-9-0-1)(外務省外交史料館)」 [JACAR Ref. B04012338000]
「文学、美術及演劇関係雑件 4.音楽(声楽)関係 (1)一般(I-1-9-0-1)(外務省外交史料館)」 [JACAR Ref. B04012338100]
「文学、美術及演劇関係雑件 4.音楽(声楽)関係 (2)藤原義江(本文なし)(I-1-9-0-1)(外務省外交史料館)」 [JACAR Ref. B04012338200]
「文学、美術及演劇関係雑件/音楽関係 28.藤原義江関係(I-1-9-0-1_2)(外務省外交史料館)」 [JACAR Ref. B04012345600]
2. 新聞記事
「「我等のテナー」 藤原義江の話 紐育にて 原田譲二」、『東京朝日新聞』、1923年3月28・29・30・31日、4月1・2・3・4・5日。[東京朝日1923/3/28-1923/4/5]
「我等のテナー藤原義江氏帰る ホルマン氏に一足遅れて 東京大阪で演奏会 行方知れぬ懐しの母と妹を捜しに」、『東京朝日』、1923年4月11日。[東京朝日1923/4/11]
1937年10月17日新聞報道:ブエノスアイレスで大成功 (未見)
1937年11月22日新聞報道:ブラジルでの様子 (未見)
1937年末『東京日日新聞』に藤原の寄稿が掲載? (未見)
「伊国青年憧れの的 麗人歌手に護衛 振り袖親善使・三上嬢」という見出しで三上のイタリアでの人気ぶりを紹介する記事を載せている[東京朝日1938/1/14]
パナマ通過[東京朝日1938/2/23]
「ブラジルで丗万坪耕地を買つた。丗万坪〔ママ〕日本では大地主でもブラジルでは百姓の持ちものだ。」[読売新聞1938/2/23]
「パラオで三十万坪買つた」[東京朝日1838/6/27]
「ブラジルでは金が持ち出せないので人に奨められて五十町歩ほど土地を買つたゞけです」[読売新聞1938/6/27]
「ブラジルのサン・パウロで三十万坪買つた事が問題になつてゐるようだが、統制で金が持ち出せないので土地にかへたわけだ〔中略〕実は一坪二銭余で五カ年々賦だ」[東京朝日1938/6/28]
3. 藤原の自伝・自著類
藤原義江「音楽的自叙伝」、『楽想』(1)、大丸出版社、1948年5月、207-228頁。[藤原1948a]
藤原義江「音楽的自伝(二)」、『楽想』(2)、大丸出版社、1948年12月、164-184頁。[藤原1948b]
藤原義江「私の履歴書」、日本経済新聞社(編)『私の履歴書 文化人10』、日本経済新聞社、1984年、27-72頁。(初出『日本経済新聞』、1957年6月。)[藤原1984]
藤原義江『歌に生き恋に生き』、文芸春秋、1967年。[藤原1967b]
藤原義江『我があき子抄』、毎日新聞社、1967年。[藤原1967a]
藤原義江『藤原義江――流転七十五年オペラと恋の半生』、日本図書センター、1998年。(原著)藤原義江『流転七十五年――オペラと恋の半生』、主婦の友社、1974年。[藤原1998]
4. 評伝・小説・エッセー・資料集など
牛島秀彦『藤原義江――歌と女たちへの讃歌』、読売新聞社、1982年。[牛島1982]
古川薫『漂泊者のアリア』、文春文庫、1993年。(初出『山口新聞』連載、1889年9月1日〜1990年1月31日。原刊(初出の改訂版)文藝春秋、1990年)[古川1993]
佐井勇二郎『オペラ開拓の道を行く 藤原義江』、宮崎:鉱脈社、2000年。[佐井2000]
『藤原義江――藤原義江記念館“紅葉館”』、大司光邦、2002年。[紅葉館2002]
江本弘志『日本人歌手ここに在り!――海外に雄飛した歌い手の先人たち』、文芸社、2005年。(第2章「恋するテナー 藤原義江」(pp.35-54)とその前後)[江本2005]
5. 藤原に関する論考など
増井敬二「藤原義江の軌跡と日本の歌劇界に残したもの」、『音楽芸術』56(3)、1998年3月、40-47頁。[増井1998]
石川秀「藤原義江の南米演奏旅行」、『SPレコード』5(7)(通47)、2002年2月、67-71頁。[石川2002]
鈴木昇「藤原義江とブラジル」、『ブラジル特報』(1557)、2003年9月、9-10頁。[鈴木2003]
鈴木昇「藤原義江訪伯の謎(1)」、『ブラジル特報』(1564),2004年11月、9-10頁。[鈴木2004]
鈴木昇「藤原義江訪伯の謎(2)」、『ブラジル特報』(1565),2005年1月、14-15頁。[鈴木2005]
6. 『藤原義江記念館友の会会報』 (→後日、掲載内容一覧作成予定)