香物献進旧儀復旧概略

香物献進の復旧の概略 「名勝阿波手杜 萱津神社御由緒記」より引用

薮に香物は愛知県海部郡甚目寺村大字上萱津に鎮座まします、阿波手杜萱津神社境内香物殿内に謹漬する所のものにして、かうのものとは、日本武尊の神物と宣ひしより始まりしを、いつの程よりか香物と書き做(ナ)せり。

往古萱津神社は、草社(カヤノヤシロ)或は種社(クサノヤシロ)と称せられ、鹿屋野比賣神(カヤヌヒメノカミ)を祭る霊地(レイチ)にして、往昔より遠近の諸人深く尊敬し奉り、諸蔬(ショソ)[1]の初生(ハツホ)を献上するもの多く、且つ当時此辺海浜にて、塩をも産せしかば、是の初物(ハツオ)をも献上せり、かくて年々多くの供物(クモツ)の、空しく神前に朽(ク)ちたりしを、心きゝたる氏子共、これを惜(ヲシ)み、一つの甕(カメ)を神前に置きて、献上の諸供物(クモツ)を投入せしむるに、程よき塩漬物(シホツケモノ)となれり、而して諸病本復の御符(ギョフ)にとて、諸人争って之を頂戴せり、日本武尊東夷(トウイ)御征討(セイトウ)の途次(トジ)、当社に御参拝あり、是の漬物の霊験(レイケン)[2]灼然(シャクゼン)[3]たる由来を以聞(イブン)[4]せしに、殊の外御称美(ゴショウミ)[5]ありて、薮ニ神物と宣(ノタマ)へり、是れより其の名よく人口に膾炙(クワイシャ)[6]せり、是れ実に本邦漬物の権興(ケンヨ)[7]なり、尊の御霊(オンミタマ)熱田に鎮(シヅ)まりましたる後、村人共に懐顧(クワイコ)[8]の情に忍びず、相謀りて神宮に献進す、之れ即ち香物献上の濫觴(ランショウ)[9]なり、これより年々十二月下浣(カカン)[10]、元朝の供御(クゴ)として献進し、後、人皇三十六代 孝徳天皇の大化(タイカ)年中五穀豊穣(ホウジョウ)[11]を祈る為め、二月初午に献進するに及び、神宮との関係益〃密接(ミツセツ)となり、馴致(ジュンチ)[12]して神宮の支配に属(ゾク)し、中世[13]新嘗祭の供御として献進する事となれり、人皇四十六代 孝謙天皇の御宇天平勝宝(テンピャウショウホウ)年中唐僧(トウソウ)東厳(トウガン)、諸国を巡錫(ジュンシャク)[14]して当地に来り、阿波手森の傍に座禅(ザゼン)[15]観法(クワンポウ)[16]して日を送る、この殊勝(シュショウ)なる様に、村民相計(アヒハカ)りて一つの草庵を営み、東厳を住ぜしめて社僧[17]となせり、是れは後正法寺と関係を生ぜし遠因(エンイン)[18]なるが如し、降りて 後小松天皇の御宇、尾張守護萱津左京大夫頼益、神領六十貫を附したりしが、後世の乱と共に、殿宇社寺(デンウシャジ)の荒廃(クワウハイ)[19]せしのみならず、度々の水災に領有(リャウイウ)[20]の神田(ミトシロ)も、多く流亡(リウボウ)[21]せしかば、元和九年国主徳川義直香物永続(エイゾク)の為め、元高五石八斗三升七合の地を附す、古老の伝に禁裡[22]献上の事を伝へ、亦徳川執政の時代、日光(ニッコウ)例幣使(レイヘイシ)[23]宰相(サイショウ)中将公澄卿に依りて、乙夜の覧[24]に供せし事あり、其後路傍(ロバウ)[25]の人々、神供の物をも憚(ハバカ)らず、慢(ミダ)りに取り食(クラ)ひ、果ては汚物(オブツ)をも投ぜしかば、神慮(シンリョ)を図(ハカ)りかねて、今より百五十年程以前より、正法寺境内に移したりしが、維新の際香物領の正法寺に払下(ハライサゲ)らるゝに及び、献進の事絶えたるを、大正四年御即位奉祝記念として、古式を復旧せり。

[1] 諸蔬[ショソ]:いろいろの青物

[2] 霊験[レイケン]:みしるし 感応

[3] 灼然[シャクゼン]:いやちこ 俗にあらたか

[4] 以聞[イブン]:きこえあぐ

[5] 称美[ショウミ]:ほめたたへる

[6] 膾炙[カイシャ]:あまねく人に知られる

[7] 権興[ケンヨ]:ものの始まりの意

[8] 懐顧[カイコ]:かへりみてなつかしく思ふ

[9] 濫觴[ランショウ]:はじめ

[10] 下浣[カカン]:末つ方

[11] 豊穣[ホウジョウ]:よくみのること

[12] 馴致[ジュンチ]:なれてゆくこと

[13] 中世:なかつよ

[14] 巡錫[ジュンシャク]:めぐりあるく

[15] 座禅[ザゼン]:禅僧がするわざ すわって静かに心をねること

[16] 観法[カンポウ]:仏法を考えてみること

[17] 社僧[シャソウ]:社を守る僧

[18] 遠因[エンイン]:とほきもと

[19] 荒廃[コウハイ]:あれすたる

[20] 領有[リョウユウ]:所領

[21] 流亡[リュウボウ]:ながれてなくなる

[22] 禁裡[キンリ]:朝廷のうち

[23] 例幣使[レイヘイシ]:幣帛を奉らるゝ勅使

[24] 乙夜の覧[オツヤノラン]:天皇陛下のご覧になること

[25] 路傍[ロボウ]:道のはた 通行の人