002 花見川団地付近の地形
花見川流域の小崖地形 その2
海老川乱歩さんから前記事(2013.04.12記事「花見川流域小崖地形の自然史上の重要性とその調査について」)のコメントの中で花見川団地付近の地形についての疑問が出されましたので、それについて私が調べたことを書きます。
海老川乱歩さんのコメント A
「崖とはちょっと関係ない話になってしまうのですが、鉄道連隊習志野線を境に花島小学校から芦太川の谷の間で、平山病院がある側と道路(鉄道連隊習志野線)を挟んだ向かい側では段差があるのは、平山病院の反対側は、団地造成で土地が削られてしまったのでしょうか。」
海老川乱歩さんのコメント B
「小生が以前住んでいた花見川団地(2-33)のすぐ横(西側)に段差(芦太川の河岸段丘状の地形と思われる)がありました。どいう訳か、小崖2(柏井の西谷津の谷頭の西側)と小崖1の間の芦太川の谷の東岸だけ河岸段丘状の地形になっている事がこの3D表示で確認できました。」
次の図は5mメッシュの段彩図です。
5mメッシュ(0.1m刻み)による地形段彩図
地図太郎で作成、5秒刻み経緯度線付加。
この図の情報からコメントAとコメントBが生まれます。
次の図は地形段彩図に2.5万分の1地形図を重ねたものです。
地形段彩図と2.5万分の1地形図重ね合せ図
この図を見ると花見川団地の内部区画と地形段彩の色がぴったり合っているところが多くて、団地造成により現在の地形が形成されていることの予想がつきます。(経験上、もともとあった地形を寸分たがわずそのまま利用してこのような団地がつくられることはほとんどないという土木的知識に基づいた予想です。)
次の図は花見川団地がつくられる前の都市図です。
千葉市都市図14(部分)
1960年(昭和35年)6月測図(1:3000)千葉市役所(千葉市立郷土博物館提供)
この図を見ると鉄道連隊演習線路習志野線の両側で地形の段差は見られません。また芦太川の谷津東岸斜面はほかより緩斜面のように見えるところもありますが(注1)、現在の地形のような明瞭な河岸段丘状地形には見えません。
花見川団地はもともとの地形を主に削って整地したものと考えます。平山病院のある付近(線路より南の一角)はもともとの地形面が残っているのではないかと考えます。
注1 関東地方の谷津では北向き斜面が緩斜面になり、南向き斜面が急斜面になる傾向があると言われています。その理由は、氷河期に北向き斜面では霜柱が関東ロームによく出来、日中にすぐに溶けないので、水分を多く含み、重力で徐々にずり落ちる。そのため本来の斜面より緩傾斜になる。一方南向き斜面では日当たりがよいので斜面が乾燥して霜柱ができにくく、したがってロームのずり落ちも少ないという説明です。(貝塚爽平著「東京の自然史」より)
芦太川の東岸斜面は北向き斜面であり日当たりが悪く、西岸斜面は南向き斜面で日当たりが良く、氷河期に非対称谷の形状になったことも考えられます。その非対称谷の緩斜面を団地開発する際にテラス状に整地したため、あたかも河岸段丘のようになったとも考えられます。そう考えると、海老川乱歩さんの疑問は、人工地形であるとの結論で終わるのではなく、非対称谷発見の出発点になります。)
(余談ですが、この図に演習線路習志野線の柏井ループ線の分岐部敷地跡が良く表現されています。)
(余談その2ですが、1960年製航測地図が今では「博物館送り」です。私は、「光陰矢のごとし」と感じました。)
次の図は1917年(大正6年)測量の旧版1万分の1地形図です。