kenpou ans 22107

⑦国防軍を持つことは戦争をしようという意味ではありません。自ら戦争はしないが、「抑止力」としての軍事力は持つべきではないでしょうか。

「抑止力」とは、冷戦の核軍拡競争の中で好んで使われるようになった言葉です。強い軍事力(とくに核兵器)を持っていれば、敵対的な相手国は、報復を恐れて攻撃を仕掛けることができない、だから平和が保たれる、という考え方です。この「抑止力論」は憲法9条が禁じる武力の「威嚇」を少々薄めたような考え方であり、危険な発想です。どちらかが心理的駆け引きに耐え切れず先制攻撃に踏み切れば終わりです(1962年キューバ危機はその危険が現実となった場面です)。衝突が起こった後には、むしろ武器使用・武力行使のエスカレーションを招きます。また、そのような軍備を抱え込むことで、管理ミスによる事故の危険も高まります(1960年のソ連バイコヌール宇宙基地での実験中のミサイル爆発炎上事故などが一例で、もしもこのとき核弾頭が近くに置かれていたら、世界を破滅させる事故になっていたかもしれません)。総じて、「抑止力論」に基づく軍備拡大と大量破壊兵器保有は、憲法が許容しないリスクを国民に負わせることになります。

また、この「抑止力」は、自分の保身を考えて利害計算する者同士の間でしか通用しません。死ぬ決意をしてしまった者(自爆テロリスト)や、冷静な利害計算よりも栄誉に命をかけてしまう政治指導者、報復攻撃の怖さについて知らされていない国民に対しては、意味がないのです。

真の「抑止」とは、まずは一定の人々を自暴自棄になるような抑圧状況に置かないこと、そして「この国とは軍事的に敵対するよりも平和的な関係を維持したほうが良い」と思われる国になることでしょう。

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