カンボジアの電子決済状況・デジタル通貨の普及度合いに関する最新の報告
2022年4月5日執筆
2022年5月29日追記
カンボジアでは、現在、少なくとも首都プノンペンでは、レストランやホテル、コンビニエンスストアや個人経営の商店などのほぼ全てのお店で現金を使わずに決済ができる。もちろん、現金が未だに一般的な決済手段であることに変わりはない。しかし、現金を使わずに生活しようと思えばなんとかできるといった感じにはなっている。
このブログでは、カンボジアの中央銀行のイニシアティブにより急激に発展したカンボジアのリテール決済システムの最新の状況と、先日、筆者自身がカンボジアに出張をした際に見えてきたカンボジアでのデジタル通貨の実情をお伝えしたい。
カンボジアでの電子決済とデジタル通貨
そもそも中央銀行デジタル通貨(Central Bank Digital Currency、CDBC)というものをご存じだろうか。2020年10月、カンボジアでは、世界で初の試みとして、CDBCの導入を行なった(「外交」Vol.65 Jan./Feb. 202, pp122-128参照)。このシステムはBakong(バコン)と呼ばれており、リテール決済とホールセール決済を包括するブロックチェーンを基盤としたリアルタイム電子決済システムである。バコンは、単独でQRコード決済を行うこともできるが、中国や日本などの他の国の既存の電子決済システムと一線を画す大きな特徴として、QRコード決済システムのハブを提供し、QRコードの標準規格(KHQR)による異なるQRコード決済システム間の決済が可能となる。日本で例えるとLINE PayとPayPay間でリアルタイムの決済ができるようなものである。
2021年10月に国内で最大の資産規模をもつAcleda銀行がKHQRを導入し、2022年3月9日に国内で最大のQRコード決済シェアを誇るAdvanced Bank of Asia (ABA)銀行も小売り向けにKHQRを導入した。2022年3月時点で、プノンペン市内では、ほぼ全てのお店でACLEDA銀行あるいはABA銀行のQRコード決済のどちらかが導入されている。そのため、ABAがKHQRを採用したことにより、プノンペンでは事実上ほぼ全てのお店でバコンが使えることとなり、現金を持ち歩かなくても生活できるデジタル社会が実現することとなった。(ただし、ABA のQR決済を導入している小さいお店では、未だ古いQRコードを置いているところが多く、KHQRへの移行はまだ過渡期である。また、お店の人もKHQRの存在を知らない場合が多い。しかし、後述にある通り、QRコードが古くても一応なんとかバコンで支払える。)
以下は、バコンを使用したことがない人、CBDCであるバコンの実情に興味がある人を対象に、バコンを使うことの有用性や課題を理解してもらうことを目的に書いたものである。バコンを既にインストールしてみてはいるがあまり使っていないという人は、⑥から読んでいただきたい。バコンは手数料が全ての機能で無料なので、銀行の決済アプリを使うよりは必ず金銭的には得をする。
また、以下の使い方に関する説明は消費者がバコンのスマホ用のアプリを使ってお店での支払いあるいは個人間の送金として使うことに関してのものである。これは数あるバコンの機能のうちのごく一部でしかないので、バコンのメリットとデメリットを包括的に議論するには十分ではないことも理解されたい。
バコンの使い方・実情(2022年4月1日現在)
①カンボジアの国内の銀行に口座を作る。
バコンを使うには、お金をバコンに出し入れするために、銀行口座とバコンのアカウントを紐づける必要がある。そのために、まずはカンボジア国内の銀行に口座を作る必要がある。
いきなり難しいことが要求されていると思われるかもしれないが、カンボジアでは銀行口座を開設する敷居はそこまで高くない。銀行によって異なるが、短期のシングルビザでも口座開設は可能なところが多く、銀行によっては窓口に行かずとも銀行員とのテレグラム(SNS)のやりとりだけで開設できてしまうこともある(筆者体験談 *1)。ちなみに、最近カンボジアで流行りのABA銀行で私自身も口座を持とうとした経験があるが、短期渡航者向けには口座を開いてくれなかった。ABAのATMで偽札を掴まされた経験もあるので、個人的にはここの銀行は使わないことを強くお勧めしたい。
②口座を作った銀行のスマホアプリをダウンロードする
意外と、これが一番面倒かもしれないが、口座を作った銀行のスマホアプリをインストールして、オンラインバンキングができる状態にしておく必要がある。
③現地のSIMカードを買う
バコンにアカウントを開設するには、現地の携帯番号をIDとして登録する必要がある。そのため、現地のSIMカードを買う必要があるが、プノンペンには至るところに携帯ショップがあり、2−3ドルの料金で10分ほどで現地SIMを購入することができる。SMARTというキャリアが一番のシェアを持っており、電波のカバレージも広いためおすすめである。
④バコンを携帯にインストールする
Appストアで「Bakong」をインストールし、現地の銀行口座と現地の携帯番号をアプリに登録する。この操作は10分ほどで完了する。
⑤銀行のスマホアプリからバコンにデジタル通貨を発行
最後に、②の銀行のアプリを起動し、銀行の口座のお金をバコンの自分のアカウントに移す(デジタル通貨の発行)。これで、バコンの自分のアカウント内に残高が発生し、バコンを通じた決済が可能となる。なお、この操作に手数料はかからない。また、手数料なしでバコンから元の銀行口座にお金を戻すことも可能。つまり、デジタル上の通貨は現金や預金と全くの等価である。
⑥バコンをお店で使ってみる。
この時点で、お店でのバコンによる決済は可能となる。基本的には、店頭に置いてあるKHQRに対応したQRコードを読み取るだけで、決済が可能である。決済が終わったら、スマホの画面を店員に見せて確認してもらい、会計終了となる。
写真2: Acleda銀行のQRコード(KHQRに対応している)
しかし、前述したようにABAのQRコードを使っているお店では、KHQRに対応していない古いQRコードを置いているお店がまだまだ多数である(おそらく、ABAはわざと普及させていないのだと思われる)。もちろん、バコンではこのQRコードを読み込めない。そして、ABAの決済アプリを使用しない限りはこのままではQRコード決済ができない。
しかし、このような場合でも全くバコンが使えないというわけではない。バコンアプリ内には「Deposit」というボタンがあり、相手の銀行口座の口座番号を入力すれば手数料なしでリアルタイムでの送金が可能である (*2)。もし、お店がABA銀行の古いQRコードしか置いていない場合は、店員にABA銀行の口座番号を教えてくれと頼めばスムーズにバコンでの支払いができることが多い。ちなみに、筆者は帰国時にPCR検査を受けた際の支払いでも、病院のABA銀行での法人口座の番号を聞いてバコンで支払った。
また、少しテクニカルな話になるが、ABA銀行の決済アプリ内でRemittance用としてQRコードを表示する場合は、必ずKHQRに対応したQRコードとなる。具体的には、ABA銀行 の決済アプリをタッチし、アプリ内の右上に表示されている青いボタンを押すと口座番号とQRコードが出て来る。もし、お店のQRコードが古いものであれば、店員に頼み、お店のスマホでQRコードを表示してもらえば、バコンでスキャンをしてのスムーズな決済が可能である。しかし、トゥクトゥクのドライバーやストリートのお店の店員などは英語が全く通じないことが多い。その場合は、スマホを貸してくれといって、手取り足取りQRコードの表示の仕方を教えればなんとかバコンでの決済ができる。また、こういった人にはバコンを知らない人が多いので最初は困惑あるいは不信感を抱きはするが、口座のお金が増えていることが確認できれば文句を言わない人がほとんどである。
写真3:未だ置かれるABAの古いQRコード(よく見るとKHQRのロゴがなく、QRコードも粗い。)
最後に、大きいお店(チェーン店やイオンモール内のお店など)では、スマホとは別のABA銀行の決済端末が導入されており、その端末で出されるQRコードはKHQRに対応している。それでも、やはり最初はみんなバコンを知らないので、バコンで支払いをしようとすると困惑されることが多い。大型のショッピングモールでさえも実はバコンをみたことがある人はほぼいない。お店がどの銀行の端末を使っているかに依存するが、バコンでの決済では、数秒から数十秒かかる。そのため、決済の完了が店の決済端末に反映されるのに時間がかかり、店員からABAを使えと文句を言われることもあるだろう。しかし、バコンのシステム上では決済は終わっているので待ってもらう他にない。
さらにいうと、ABAの決済端末でのバコンの支払いにはエラーが生じることもある。一度、写真3のようなABAのKHQR対応の決済端末で支払いをしようとしたがエラーを起こし、お店のPOS自体がフリーズしてしまったことがあった。お店のPOSを再起動してもらい、もう一度試したが、再度エラーが出てしまい、結局バコンによる決済ができなかった。このやりとりに15分は時間を浪費した。
しかし、前述したようにABAのQRコードを使っているお店では、KHQRに対応していない古いQRコードを置いているお店がまだまだ多数である(おそらく、ABAはわざと普及させていないのだと思われる)。もちろん、バコンではこのQRコードを読み込めない。そして、ABAの決済アプリを使用しない限りはこのままではQRコード決済ができない。
写真4: ABA銀行の端末によるQRコード(最近のカンボジアではキャッシュベースの支払いではドル札があまり使われなくなったが、電子決済ではしっかりとドル建での請求。今後は、電子決済も自国通貨になっていくと良いのだが。)
最後に
以上が、カンボジアでのバコンを巡る電子決済の状況と現地で実際に使ってみた経験である。やはり、今年3月にようやくABAがKHQRへの移行を始めたこともあり、バコンはまだまだ使い勝手がよくなく上、知名度も低い。ほぼ全てのお店でバコンって何?、という顔をされた。実際はもっと使われているはずだが、バコンを使っているのは日本人で唯一どころか、カンボジアで唯一なのではという気持ちすらした。
しかし、バコンの手数料は常に0であり、他の決済アプリを使うよりも金銭的には得をする場面も多い。また、消費者がバコンを認知しているかに関わらず、異なる決済アプリ間・銀行間でリアルタイム決済を可能にしたことのこの国への便益は非常に大きい。そして、事実としてバコンは現在非常に普及し、「直接的に」せよ「間接的に」せよ、都市部ではどこでも使える状況となっている。そもそも、KHQRを介すれば、ABAを使おうがAcledaを使おうが全ての電子決済がバコンを通じて行われることになる。
ちなみに、個人的にはABA銀行には嫌な思いをした経験が多いので、全体的にABAに関してバイアスがかかった書き方になってしまったかもしれないが、ABA銀行自体はカンボジアの現地人や日本人には非常に信頼が高く、優良銀行と評判であり、プノンペンでABAの口座を持っていない人は見たことがない。そして、カンボジアのどこに行ってもABA銀行の支店があり、顧客対応も良いらしい。
しかし、だからこそ、筆者がABA銀行で口座を作れなかった時は非常に悔しい思いをした (*3)。ABAのように民間銀行の決済ネットワークが独占状況になると、それに加われない人はとてつもない損をする。さらにいうと、ABAのネットワークに加わっている人でさえ将来的にはABAに独占的な手数料を課されて損をするだろう。民間銀行による決済ネットワークの独占はその銀行以外の誰も得をしない状況になりえる。そのような中でバコン、そしてKHQRが登場したことは、ABAに口座を作れずに肩身の狭い思いをした人、そしてABAを使わざるを得ない状況に置かれている現地の人にとっては革命である。
ちなみに、カンボジアの中央銀行は、2022年7月から9月のどこかで、KHQRのローンチを大々的に行う予定だという。したがって、それまでにはABAの古いQRコードもKHQR対応したものに変わるだろうと予想される。そうなれば、カンボジアのデジタル通貨時代の本当の幕開けである。
もちろん、KHQRが広まることで、バコンシステムの課題が全て解決するわけではない。バコン自体は政府が運用する無料の決済インフラであるが、バコンという決済インフラを利用してサービスを提供する銀行側は手数料を取りたいインセンティブに駆られる。しかし、バコンによってネットワーク外部性が内部化され銀行側のスイッチングコストの源泉がなくなることで、銀行は純粋な価格競争にさらされることになる。そして、それに対して、現在、銀行協会を中心として価格競争を避けるための協議が行われている。このような協議自体を悪くいうつもりではないが、銀行側は一時的には手数料を無料にするかもしれないが、サービスを維持するためにお店や消費者から手数料をとっていくことだろう。(*4)しかし、バコンのおかげで、独占的な価格づけは難しいため、手数料はかなり小さく抑えられることが考えられるが、銀行側がお店や消費者に手数料を課すまでに、キャッシュレスが当たりまえの雰囲気を社会で構築することも重要な課題であると思われる。また、今後はタイではリテール決済などに、マレーシアでは銀行間送金に、それぞれバコンと現地のシステムとの連携を図るとのことで、それぞれの国との調整にかなりの労力を要するだろう。また、個人的にはバコンを通じて生まれる大量の決済情報・個人情報をどのように利用するのかという部分にも非常に関心がある。
バコンの挑戦はまだまだこれからである。
追記(2022年5月29日)
5月23日から一週間、プノンペンから車で3時間ほど離れた州であるカンポンチナン(Kampong Chhnang)にAcleda銀行の支店長のインタビューと借入人のインタビューのために出張をした。事務所から事前にクレジットカードが使えないので現金を持っていくようにと言われていたが、現地のホテルやレストランでは、バコンでの支払いが可能であり、地方でも十分電子決済が広まっていることを確認できた。また、この州の農村部へも訪問したが、やはりレストランでは、バコンを使っての決済を認めてくれた。カンボジアでは、バコンを通じての決済がどこでもできると考えてよいようである。
また、ABA Payに関してもKHQRに対応した新しいコードを導入しているお店がやや増えてきており、バコンが使いやすくなったと感じた。
一方で、店員側のリテラシーはまだまだ低いようである。基本的に、「バコン」という単語はプノンペンでも通じないものと考えたほうがよく、「QRコード」で決済がしたいといわないといけない。また、バコンおよびKHQRシステムが普及しているにも関わらず、同じ銀行同士でしかQRコードを通じたリアルタイム決済ができないと思いこんでいる人も多く、バコンを使用するのに説明が必要になることが多くあった。
この国での電子決済の手数料を下げていくには、一般のバコンの認知度をさらにあげ、決済プラットフォーム間の競争を促進していく必要があるだろう。中央銀行にはさらに頑張ってもらいたい。
また、今回バコンを使っていてエラーなどのトラブルになるのはいつもABAであった。ABAは最近カンボジアで急激に預金・貸出シェアを拡大したのだが、そのためにシステムのメンテナンスが追い付いてないのだろうか。
また、今回の地方出張で思ったのは、地方でのドル化の揺れ戻しの可能性である。やはり、QRコードによるリアルタイム電子決済でドルが使えてしまうのは、あまりにも便利すぎると思った。都市部ではもともとドルで受け取るかリエルで受け取るかをあまり気にしていないような感じであったが、今回地方を訪ねてみて、地方でも都市部と傾向があったように感じた。以前は、ドルは偽札が混じっていることなどの不安で、地方では少額紙幣でも受け取ってもらえないことが多かったが、電子決済ではその不安がなくなってしまい、結果としてリエルだけでなくドルでの支払いも便利になる。地方での支払いのドル化は、預金のドル化や貸出のドル化に繋がっていくのかもしれない。
しかし、デジタルのドルの利便性が高いということには、中央銀行にとってはメリットもある。紙幣で出回っているドルがバコン上のデジタル通貨、あるいは流動性の高い銀行預金に置き換わり、国内でドルがどの程度流通しているかを中央銀行が容易に把握できるようにはなってくると考えられる。実際に、銀行からのドル紙幣回収に中央銀行が手数料をかけたことで、市中での少額ドル紙幣は減っており、デジタルドルが代わりに使われている傾向が見られるため、ドルのデジタル化はカンボジアで今後数年の間で大きく進むだろうと考えられる。
*1 ちなみに、どこにこの銀行支店があるかはいまだによく知らない。
*2 ちなみに、日本の全銀システムと日銀ネットでは、1億円以下の小口取引が銀行間で行われる場合、リアルタイム決済が行われず、一日に数回の決済タイミングを待たなくてはならない。日本では、ここで書いているようなリテール取引はシステム的に難しい。この点、カンボジアでのバコンシステムの状況をよく観察することは、日本の金融システムにとっても学びになると思われる。
*3 時には、現地の人とご飯に行って割り勘するときに、「え、お前、ABA Pay持ってないの?クレジットカードと現金しかないのかよ。めんどくせーなー。」などと言われることもあった。筆者はこれをABAハラスメントと呼んでいる。
*4 ネットワーク自体を利用した決済ビジネスの手数料ばかりでなく、新規の決済アプリの機能や金融プロダクトの開発競争が促進されていくとよいと思われる。