【広がる支援の輪】2011.4.10

株式会社42(フォーティーツー・東京都練馬区)が被災地の物資支援に役立てようと、震災後間の17日に立ち上げた「必要物資・支援要求マップ311HELP.com」は3週間が過ぎました。

42を経営する田原大生さんは、自分の技術を生かして被災地のためにできることをと考えていた矢先、全く同じようなことをやり始めたサイトがあり、それを私に紹介しました。それがトップで紹介している「東北地方太平洋沖地震 @ ウィキ」でした。

実はその時に大きなミスをしてしまったのですが、某蝶類研究会の全員参加掲示板に、そのサイトを42が立ち上げたサイトして紹介してしまい「もっとこうした方がいいというアイデアがあったら・・・・」と意見を求めてしまいました。

偶然にも同研究会に中に、@ウィキのサイトの翻訳で参画していた当時大学生だった齋藤さんがおり、私の勘違いが発覚しました。その時にはすでに42の田原さんは、長期的な視点から、被災地を援助できるマップの構想を練っており、その後間もなくインターネットで公開しました。翌18日、仙台市の河北新報がマップのことを取材し、22日に記事として取り上げてくださり、東北の皆さんに紹介されました。

マップはできても、ポイントを探して実際に書き込まなくてはなりませんでしたが、震災から1週間後の18日頃から、急激に現地で必要としているものの情報が変わり始めました。テレビ局も新聞も、それまでは震災一色の報道で、不足しているものといえば食糧と水、毛布などが主でした。ところが1週間もすればそうしたものが行き渡るようになり、現地の皆さんの必要が徐々に変わってきました。

インターネットで新聞記事、ツイッターでのつぶやきなどを探しても、各避難所の細かい必要物資の情報が一気に無くなりかけたのは23日、震災から10日から2週間も経とうとする頃です。どこをどう探せば被災地の皆さんの今の必要が書いてあるのか、探しまわりました。膨大なメールが入って来るのに、必要としているものは一切無く、流れるツイッターのつぶやきの中でも、具体的な情報を探せませんでした。ただただ無駄に時間が流れるだけでした。

うまいタイミングと言っていいのかどうか、マップにも不都合が生じ、書き込みできなくなったり書いたものが表示されなくなった時もありました。

田原さんは東京と大阪を往復する忙しい時間の合間に、なんとかマップの不都合を立て直し、私は細々と書き込みを続けました。

ツイッターでマップのことを書き込むと、何人もが支援してくれ、その輪が徐々に拡大していきました。ちょうどその頃です、チョウ仲間の齋藤さんにマップのことを話したのは。

齋藤さんは@ウィキで忙しくしており、大学の春休みも残りわずかです。ウィキを訪れる数は急上昇し、震災直後の経ち上げからわずか2週間程度の期間で、内容はさらに充実し、カウンターの数字は50万件。その数字にびっくりするとともに、編集に協力している100人もの協力者に圧倒されました。まさに「齋藤さん、やったね!」と、いった感じです。

一方マップはまだまだのんびりムード。先は長く見据えているものの、書き込みのほとんどは私で、ツイッターで訪れる人も少なく思案していました。そんな折、齋藤さんは私に、宮城県仙台市の友達の末永伸太郎君を紹介してくださったのです。自分の家が半壊し、それでも「自分はまだ恵まれている方なので、もっと困った人の助けになりたい」と言う、高校3年生になる少年です。

末永君は齋藤さんからマップのことを聞き、42に直接メールを書き、マップを通して現地の皆さんの役に立ちたい旨を、田原さんに伝えました。末永君は私と連絡を取る前に42と話をしており、その熱意と早さに驚くとともに、実際電話で話してみて、自分の考えをしっかり持った立派な少年に感動しました。

その後、話は順調に進み、前述の通りになっていきました。

現在は齋藤さんも社会人としての一歩を踏み出しながらも、友人の末永君を精神面でフォローしながら、マップにも協力しています。

たまたま数日前、末永君たちが現地の避難所で取材している時に朝日新聞の記者とばったり会いました。朝日新聞は4月8日の夕刊と9日の朝刊で、末永君ら少年8人の取り組みを3段見出しの大きな記事で紹介ししてくださいました。

そんなことがあってか、8日のツイッターの書き込みが夕方から増え始めました。夜中の2時半頃まで、一人一人に返事を書いていたのですが、その後もどんどんツイートが増えていく一方で、もう返事が間に合わなくなりました。

翌朝のツイート件数は500くらいに跳ね上がり、9日の夜には1400を超えました。ただただびっくりしながら眺め、末永君とお母さんに、状況を電話で伝えました。

深夜には2000、3000と、うなぎ登りに昇っていく数字に唖然としながら、お礼の返信もできない多くの皆さんあてに、お礼のメッセージを書きました。

10日の今日は午前中末永君たちは取材と聞いていました。昼の12時頃にはカウンターの数字は8000件を超えており、わずか30分の間に9260件。慌てて末永君に電話しました。「間もなく1万件を超える」と。ちょうどみんな一緒にいるからと、仲間の一人が電話を代わり、ともに喜びを味わいました。

その後午後12時59分には1万件を超え、数字の表記が「10.0千」となりました。リアルタイムで初めて経験することでしたが、書き込みの内容や書き込みの件数の放物線のような上昇は、少年たちの大きな喜びとなり、電話で伝えた励ましのメッセージは、少年たちの大きな力となっていきました。

マップ上では支援輪が広がり、現在いろいろな方が書き込んでくださっていますし、実際にマップへの書き込みもしてくださっています。そんな全国の皆さんの応援で、8人の高校生が被災地で頑張れています。今日取材したことは、できるだけ早くマップにアップすることになっています。これからも応援し続けてください。皆さんのご支援に感謝致します。