いじめられていると言えない理由

最近、学校での教師の体罰が取り上げられ、懲戒処分を受ける教師がぽつぽつ見られます。

本当に体罰しか選択肢が無かったのだろうかと疑問に思うこともしばしばですし、教師が論外の体罰をしていることもあります。

しかし、私が子どもの頃は、ここまで体罰は取り上げられなかったですね。

他にけがなどでもそうです。

言われたことを聞かず、いたずらしていて怪我をしたら隠しました。

夏目漱石の坊ちゃんにも、二階から飛び降りた坊ちゃんを小遣いさんが家までおぶって帰ると、父親に再度どなられる坊ちゃんがいます。

今の時代なら、校長が自宅に行って「指導が行き届かず」と頭を下げるのではないかという記事を読んだこともありました。

私も中学校の時に林間学校の朝礼で近くにいた子たちがふざけていたのに、私まで拳骨をもらいました。

先生をひいき目に見れば、「側にいて気づいていたのに注意しなかったおまえにも責任がある」と捉えることもできます。

きっと、今だったら大問題でしょう。

ではなぜ、それが言えないのでしょうか。

その一つに「子ども自身のプライドもあるから」だと考えています。

自分はそんなことをされる人間だと家の人に思われたくない。

つまり、上の先生をひいき目に見るような考え方を親もするのではないかと思うと、叱られたことを親になんか言いたくなかったと言うことだともいえます。

今も、このような判断の下に行動される保護者の方たちもたくさんいらっしゃいますが、反対に他の児童や教師の話は全く聞かずにお子さんが言っていることのみを訴えられる方もいます。

これは、保護者の方のプライドとお子さんが自分が不快に思ったことは多少曲げて話しても親は信じてくれると思っているからではないでしょうか。

閑話休題。

このように子どもは親に対して「言えない」ことがあります。

「言ったら次にどんな仕返しをされるか分からない」と言う場合もあるでしょう(そのようなときは、学校に行かないのも選択肢だと思います。そうすれば、話せますから)。

いじめられていることも「自分を大切にしている親」だからこそ、心配をかけたくなくて言えないのかこともあるのではないかと思います。

そう考えるといつも一方的に信じることも難しく、子どもにも責任があったと責めるばかりでもまずい結果になると思います。

そこで、私は「とにかく聞く」ことだと思います。

そして、それに対して子どもを怒ったり、相手を一緒に責めたりするのでなく、一緒に考えることだと思います。

では、どうしたらよいと思うのか。相手に改善してほしいことは何なのか、自分で改善できることは何なのかなどなど。

そうすると、子どもは「家の人に話せば、相談にのってくれたり、解決方法が見つかったりする。」と感じられるようになると思います。

この親子関係を築くことが大切なのではないかと考えています。

ちなみに、最近は悩みなどを友だちに相談するのではなく、家の人に相談する高校生が増えているそうです。

下手に相談できない、相談できるような信じられる友だちがいないなどが理由のようです。

そのためには、現実世界での友だちと多様な関わり方をしていくことが必要なのではないでしょうか。