最近の話

<<追記2016/03/30

重力波と元素による発見による番組をサイエンスゼロで録画して見た。

重力波はブラックホールの同士の衝突を観測したようだ。

ブラックホールの観測が初のようだった。

それはそれで相対論の確証が取れて次につながる気がした。

私としては量子論とは別にもっと相対論が発展していく気がする。

相対論そのものが電子の電磁波以外にもエネルギーが無限大になる問題を論証する気がする。

元素の発見はアルファー崩壊後の論証をしたのが認められた理由みたいだ。

それにしてもすぐ崩壊してしまうのでジャポニウムは無いかなあと思った。

一年ぐらい崩壊しない元素探すと目標立ててたので

それがジャポニウムになるかなあと思った。

九大のボスが元素の発見の話をしたのを思い出した。

アメリカの国にちなんだ元素は安定しているとか言っていた。

思い出がよみがえって面白くテレビを見れた。

<<追記2016/03/30end

<<追記20160621

結局ニホニウムになったようである。

安定した元素は大体プロトン量とニュートロン量の中央部分が安定している。

今回の元素もまだ楽観的みたいに思った。

<<追記20160621end

<<追記20160531

ワインバーグの本を今日買った。

どんな本かわからないけど

色々間違えて科学は発展したみたいな感じにタイトルがなっている。

私的には現象を説明するのは色々間違えると思う。

でも一旦その現象の普遍性に立ち入ると

理論の純度が増す。

こんなに科学が発展している今こと普遍性を問い直せば

えげつない事になる。

私的にはそんな時代が到来しているような気がする。

まあ私も短歌や俳句やっているから

楽しんで本を読もうと思う。

三角関数もべき乗数で展開できる。

小数点何桁でも正確に計算できる。

それがデータを三角関数で関数化できる。

という事はべき乗数でも関数化できる。

指数関数もべき乗数で表せる。

対数もべき乗数で表せる。

そして三角関数でπの値を表せる。

小数点何桁の精度で三角関数がわかればπの精度も計算できる。

数学を道具として使えるのである。

<<追記20160531

<<追記20160621

唯物論と観念論を結びつけるのが人間の第六感ではないか?

ものに対する色々なデータから

人間は普遍性を見出す。

それは唯物論と観念論を結びつける人間の第六感に他ならない。

今宇宙のデータもある。太陽のデータもある。りんごのデータもある。

それを結びつけて認識する人間には感覚がある。

それが人工知能の最大の難問ではないかと思う。

明らかにデータを持って物を認識しているのは人間の第六感のように思う。

どういう第六感なのかは残念ながらわからない。

もしかしたら第六感以外にも複数存在するかもしれない。

生物学的にも物理学的にも唯物論と観念論を結びつける何かがある気がする。

今日は沼津駅でスズメを見かけた。

スズメはスズメで私を認識し私はスズメを認識した。

そこに何かがある気がした。

地球的にも宇宙的にも何かがそこに意味がある。

私には理解しがたい事にも意味がある。

それが人間の人生のように思う。

それはスズメも同じのように思う。

植物にも動物にも人間にもお互いを認識する意味があるように思う。

天体なども同じように宇宙かなたと人間の頭で認識するのは

唯物論と観念論が結びついているからではないかと思う。

それが人間の感覚のように思う。

<<追記20160621end

<<追記20160627

今日は仕事して夕食の買い物して帰った。

通勤時に少し読書した。

何の意味も無く地球に生物はいない。

地球の生物は何かしらの意味がある。

なんか至る所動物植物の生物にはつながりがある。

お互い無関心そうな世界になんかつながりがある。

未開の領域に占める役割に

生物の存続がかかっているのか

あらゆる領域に生き物がいる。

それに何かつながりがある。

もしかしたらそれが宇宙につながっている気もする。

そうやって生物としての生き残りを図っているようにも思う。

ただ誰かが生き残っていく、そういったところに

私なりの使命があるのかもしれない。

それが人間と限らないかもしれない。

私が人間である以上人間を生き残らせる必要があるような気がしても

生物の私としても生物を生き残らせる必要もあるのかもしれない。

<<追記20160627end

<<追記20160629

家に帰って俳句と短歌を作った。

外国語の計画はさておき古文と漢文が少し気になる。

後回しになっている。

ちょっとどうしたらいいか妙案が浮かばない。

数学の本もストックされつつある。

いずれにせよ自分なりに環境を整えば

周りも影響してくる。生物とはそういうもののように思う。

自分なりに工夫していると周りも追いついてくる。

それは人間もそうだし生物としても言える。

だから家事も同じ程度に意味がある。

人間的にも生物的にもである。

だから人間のやる事に意味がある。

私としてはそう思いたい。

そう思って生きていきたい。

そうして一つ一つ真実に近づきたい。

それが私ののぞみである。

それも時間がかなり必要な気がする。

ボチボチやりたい。

<<追記20160629end

<<追記20160814

アイデンティティとは自分を自分として確認する事そして

普遍性は項目別のそれぞれの共通性と

私が思っている。

アイデンティティと普遍性が両立するには

アイデンティティには

毎回同じものと変化するものがなければ

普遍性が成り立たない気がする。

アイデンティティが変化して自分を認識する事もあれば

同じものだから自分を認識するとすれば

そこには変化にも同じものにも普遍性が存在出来る気がする。

私的には普遍性の無いアイデンティティなんてあるのか信じられない。

それこそ人間を神格化している気がする。

両方同じものも変化するものもなければ

私としてはアイデンティティと普遍性は両立しない気がした。

それでこそ人間は生物であり動物であり哺乳類であり霊長類である気がする。

<<追記20160814end

<<追記20170105

電子レンジの電波で食品の細胞がこわれるというから

何かインターネットで調べてみた。

太陽光より電子レンジの電波は波長が長い。

電子レンジの電波はそのため太陽光よりエネルギーは小さい。

ガスの過熱などで人間は料理している。

そのため温度で細胞がこわれる事も無い。

電場や磁場が悪いのもちょっと異常反応のように思う。

家電製品や地球の磁場やらあっても人間は生きているからである。

こんなにひどい数百ミリアンペアとか数百ミリボルトの

電磁波を受けている私にとって、もともと私が生きている根拠を失う。

生物物理とか生物化学とか専門があって

もっと専門の人がいるはずだが私には現時点であんまり根拠が無い気がする。

私がそういう話を聞く機会があるのがストレスである。

もっとしっかりした話が聞きたい。

妥当性のある話が聞きたい。

そういうオカルトの話はキライである。

ふりまわされて人生がムダになるキッカケを作っているとしか思えない。

そんな事にふりまわされるより

私は可能性にかけたい。

可能性が無くなる人生は嫌である。

その原因がオカルトである。

オカルトにしない努力をするべきである。

オカルトで止まっている限りあんまりいい人生は送れない。それが私の感想である。

<<追記20170105end

<<追記20170227

最近のまわりの話だと物理学で医学に寄与しない話になっている。

加速器は費用が高すぎて

服薬でなおさなければいけないとかである。

私としてはそうですかしか言えない。

量子力学と化学で薬の創薬にはつながっている話は聞く。

相対論と言えば古典力学である。

量子力学は現代力学である。

この両輪がどのような未来を作り上げるか

ピンとこない。

デカルトのように私は私で分割された専門領域にチャレンジしたが

それがどのように医学まで寄与するのかピンとこない。

普遍性に対して相対論まで駆け上ったが

まだまだ駆け上る必要があって

そのあとに駈け下る必要がある。

とてつもないドラマがある気がする。

力学が統一されたら

なんか色々やれそうである気にはなるが

他領域でもいろんな副産物が出て来る可能性はある。

チャンスと言えばチャンスである。

そういう不思議なものと付き合っていると発想も浮かぶかもしれない。

その領域が大き過ぎて私にはピンとこない。

そういう風になったのも科学という普遍性のおかげである。

なので私としては新しい現象がわかったら普遍性を問うべきである。

それが新しい未来を作る。

それが私の人生を如実にあらわれていると思う。

それも科学の歴史のおかげであり

数学の歴史のおかげであり

哲学のおかげである。

ここまできたら語りつくすのは難しい。

そういう未来が待っている気がする。

普遍性のおかげである。

<<追記20170227end

<<追記20170228

今日は散髪して帰った。

大学院修士時代は

ビッグバン元素合成が研究内容で

古典力学中心だった。

観測データも論文収集内容だった。

なので量子論のデータは私は見た事が無い。

量子論のくりこみも私は知らない。

ただ摂動論は大学の卒業論文に含まれていた。

そういう手前

あんまり量子論にさかのぼる自信は無い。

大学時の参考書とか他にも参考書があるので

勉強は出来るけど

そこで私が何が出来るかというと未知数である。

私としては量子論のくりこみが

相対論でカバー出来るのか出来ないのかが気になる。

それなりになんだかんだと

国家百年の計になっていると思う。

日本の作戦本部長としては満足出来る気がする。

それも色々な歴史のおかげである。

それを忘れてはいけないと思っている。

あと私は何のお役に立てれるかが私の気になる所である。

ぼちぼちやりたい。

<<追記20170228end