直感とサイエンス
科学は直感が働かない。
気持ちはわからないわけではない。
でも今まで光や電磁波や原子など
人間が理解できるように
科学者は工夫して苦労してきた。
我々が理解し易くするのも
科学である。
私の勝手な判断は
科学という道具を使って
戦略を練るインスピレーションが持てる
それこそが科学である。
日本のどこにいたら
戦略が練れるか
私には理解できない。
民間にいる私に
いろいろな発想が浮かぶのは
どこにいても
戦略に関してどこも
同じような気がしたりする。
結局の所
そういう戦略を
どこにいても必要なのかもしれない。
2012/02/06 新規作成
<<追記20161217
科学で扱えるのは再現性のあるものである。
再現性があれば科学になる。
なので科学=再現性である。
再現性を確かめる事こそ科学のあかしである。
再現性の確かめられない現在は科学にならない。
なので科学にする事こそ人間の営みである。
未来の科学も再現性が確かめれない以上科学にならない。
それが私の科学観である。
我々にとって
どうにかして再現性を具現化する事が大事である。
それが我々の未来を明るくするだろうと私は神に対して信じている。
ボチボチやりたい。
それで再現性一つ証明出来たらそれは理論である。
だけど量子力学のような標準理論はもっともたくさんの現象を証明しているあかしである。
それを動かすとしたら標準理論を変化していくぐらいが一般的だと思う。
ビッグバン元素合成標準理論を扱った経験が私にある。
どっちが実証しているか非標準理論使って標準理論の差の戦いである。
標準理論にも色々問題はある。
そうやって人間はより美しいものを求めるんだと思う。
限りなく実証値に近づいていく。
それが神の意図なのか私にはそれが神秘に思える。
何か神を信じたくなる。神様の言う通りのような気がしてくる。
私にも試練もあるかもしれないけど神が私を試している気もする。
まあともかくボチボチやりたい。
<<追記20161217end