外傷・骨折と矯正治療

顎顔面外傷は、軟組織、歯および歯周組織、骨の損傷など多発性外傷の形をとることが多く、多科にわたるチームアプローチを必要とします。矯正歯科医は、一般歯科医、口腔外科医、形成外科医と連携し顎顔面骨折の治療に当たります。

チームの中で矯正歯科は、顎矯正力を用いた顎骨の整復や矯正歯科で用いるマルチブラケット装置を用いて咬み合わせの回復を図る治療を担当しています。

❐ 顎顔面骨折患者さんの治療

顔面・口腔内写真撮影、X線写真撮影を行います。口腔内の印象を採得し、咬合回復時の予測模型(セットアップモデル)を作製します。それらを基に患者の状態、骨折の部位と程度、歯の状態、その他諸条件等を勘案し治療計画を立案します。

矯正歯科手技を用いた治療が可能(外科手術を必要としない)と判断した場合には、受傷後1週目ごろに装置を装着し整復治療を開始します。歯列の整復にはマルチブラケット装置を一般的に用いられるアーチバーの代わりに用い、アーチワイヤーやゴムの使用により矯正力を加え変位した骨片の整復や歯の移動を行います。

外科手術が必要と判断された場合や受傷後時間が経過し顎変形をおこし顎変形症となる場合には、外科的矯正治療が必要となります。(顎変形症の治療を参照して下さい)

※受傷直後の患者さんは、まず口腔外科、形成外科、救急外来などを受診し救急処置および精密検査を受ける必要性があります。

矯正装置を用いた骨折患者の治療(院長の論文より抜粋)

症例1:18歳、男性

バイクで走行中に車と接触し転倒、受傷直後に搬送先の某病院にて鎖骨骨折、顔面骨折の治療を受けるも家族の希望で受傷後7日目に転院した。初診時、X線写真上で左側頬骨と下顎正中および左側骨体部に骨折を認め、口腔内では、開咬、下顎左側第一大臼歯歯冠破折、下顎右側中切歯と左側第一小臼歯の著しい動揺を認めた。また、顎間固定用スクリューが前施設で上下顎歯槽部に各2本埋入されていた。頬骨骨折については、骨の偏位がほとんどないため経過観察とし、下顎骨骨折については骨片の偏位が比較的大きいこと、また患者にとって早期の形態回復が望ましいと判断したことから手術による骨片と咬合の回復を図ることとした。

治療経過:手術前準備として、受傷前の咬合状態を再現するように診断用セットアップモデルを作製し、これを用いて矯正歯科用ブラケットの歯面への装着位置を確認した後、矯正用ブラケットを歯面に接着し、再度印象採得を行って作業用模型を作製した。次に、この模型上において矯正歯科で用いるステンレススチールワイヤー(断面サイズ0.016x0.022インチ)をブラケットに適合するよう屈曲し、顎間固定用のフックを付け歯列固定用ワイヤーを作製した。

手術は、経鼻挿管による全身麻酔下で行った。術中、まず矯正歯科医が歯列固定用ワイヤーを歯列に装着し、咬合が受傷前の状態に回復していることを確認したうえで顎間固定を行った。その後、外科医が骨片の復位を確認したうえでチタン製ミニプレートを用いて骨片固定を行った。

術後は、固定用ワイヤーに付けられたフックより顎間ゴムを用いて顎間固定を行った。1週間の強固な顎間固定期間を経て、顎位の変化を確認しながら、徐々にゴムの数を減らしゴム牽引を4週間行った。ゴム牽引終了後もマルチブラケット装置は術後3か月まで留置し、骨片の癒合をX線写真上で確認したうえで撤去した。治療の結果、咬合と顔貌は良好に回復した。

初診時

咬合の回復

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症例2:29歳、男性

泥酔し、駅のホームで転倒した際にオトガイ部を強打した。自力で帰宅後に救急外来を受診した。初診時の口腔内では、上顎前歯の上前方への変位、上顎左側側切歯の不完全脱臼、開咬、下顎左側犬歯の歯冠破折を認めた。開口量は15mmであった。上顎前歯は徒手整復を当直医が試みたが復位できなかった。レントゲンおよび3次元CT画像上で上顎前歯部歯槽骨骨折、下顎骨正中骨折と両側下顎頭骨折を認めた。両側下顎頭は前下内方へ脱臼転位していた。

治療は、上顎歯槽部、下顎骨体部の骨片偏位が小さいことから外科手術を行わず矯正歯科治療のみを選択することとした。

治療方針の決定に際しては、診断用セットアップモデルを作製した。特に変位している上顎前歯に注意を払い受傷前の咬合状態を再現した。

治療経過:整復治療は、矯正歯科医が患者矯正用ブラケットを歯面に接着することから開始し、変位した上顎前歯に対しては矯正用アーチワイヤーに付与したループを用い歯槽骨とともに歯の移動を行った。また、開咬を改善するため治療初期から顎間ゴムによる牽引を行い、顎位の改善と咬合の安定化を図った。患者は、治療期間中3週に1度程度の間隔で通院し、ワイヤーの調整や顎間ゴムの交換などの治療を受けた。その結果、治療開始後5か月で咬合はほぼ受傷前の状態となり、顎位も安定した。その後装置を維持し2か月の保定期間を経て装置を撤去した。両側下顎頭部の変形治癒が認められたが、開口量は45mmとなり咬合は安定し、機能的には回復した。

考 察

顎顔面外傷は、軟組織、歯および歯周組織、骨の損傷など多発性外傷の形をとることが多く、多科にわたるチームアプローチを必要とする疾患である。当科では、チームアプローチとして口腔外科医および形成外科医とともに矯正歯科医が連携し治療に当たっている。矯正歯科医は、骨折の診査・診断など治療の初期から携わり、矯正歯科治療に用いる手法を応用することにより咬合および顎機能の回復を図ることを担っている。特にセットアップモデルの作製とマルチブラケット装置の適用は、矯正歯科医が大きな役割を果たしている点である。

歯型の診査とセットアップモデルの作製は、受傷前の咬合状態を再現し、治療計画を立てる上で重要である。顎骨骨折患者では、もともと歯ならびの悪い患者も多いが、骨折治療では患者の持つ固有の咬み合わせを回復することを目標としている。注意深い歯型の診査と、それに基づくセットアップモデルの作製は、咬合だけでなく骨片偏位の診断にも有用で、特に明らかな骨折線をX線写真上で認めない亀裂骨折や軽度の骨片偏位の診断では重要である。また、矯正歯科手技を用いた転位歯の整復や、顎矯正力を用いた骨片整復の計画を立てる上で必須のものとなっている。さらに、歯の欠損のある症例では、術前後の補綴治療の必要性についての情報を得ることができる。

マルチブラケット装置は、顎内固定装置として転位歯の3次元的移動、動揺歯の固定、歯列の連続性の回復・保持に用いるほか、上下顎関係の牽引誘導による改善にも用いられる。顎間・顎内固定に用いられる線副子としては三内式シーネやエリックのアーチバーが一般的であるが、これらは歯列に合わせて正確に屈曲することが難しい。また歯牙結紮の際のワイヤーによる歯間乳頭や辺縁歯肉への損傷は避けられず、それに伴う疼痛や不快感は非常に大きい。この点マルチブラケット装置では、アーチワイヤーをブラケットに結紮するため歯周組織の損傷がない。また、セットアップモデルをもとに作製したアーチワイヤーを用いることで手術中に正確な咬合の整復が行え、骨片接合部は安定し骨片固定を容易に行える。さらに、装着期間中の口腔内衛生状態を良好に保ち、術後感染やカリエスのリスクを減らせるものと考えられる。

今回報告した2症例はともにマルチブラケット装置を用いて治療を行った。症例1は、観血的治療(外科手術)においてマルチブラケット装置を線副子として用いた例である。この症例では、下顎歯列は3分割されており、アーチバーなどでは正確な歯列の回復は困難であるが、セットアップモデル上で作製したアーチワイヤーを用いることにより、歯列の正確な整復が可能であった。また、歯列が固定されることにより、ミニプレートによる骨体部の固定も容易になった。

症例2は両側関節突起骨折を認め、開咬状態を呈していた症例である。関節突起骨折の治療法の選択については様々な報告がなされているが、観血的治療と保存的治療のどちらが有用かについてはいまだ一定の見解が得られていない。当科では、下顎頭部骨折では保存的治療を第一選択とし、骨体部に骨折がない、または骨折が軽度な症例では顎矯正力を応用した保存的な治療を行い咬合と顎機能の回復を図っている。本症例では、上下顎歯列にマルチブラケット装置を装着し、アーチワイヤーに付与されたフックから顎間ゴムによる牽引を行い、顎矯正力により顎位と咬合の安定を図った。また、上顎前歯部歯槽骨骨折と上顎前歯の変位に関しては、歯槽骨片の偏位が小さく歯は不完全脱臼であったため当科の歯槽骨骨折に対する治療法の選択基準に照らし合わせ保存的治療を選択した。実際には、アーチワイヤーに付与したループを用い持続的で弱い矯正力を与えることにより歯槽骨とともに変位した歯の移動を行った。治療開始後5か月で開咬は改善し、顎機能は、ほぼ受傷前の状態となった。これらのことは、関節突起骨折に保存療法を適応した場合、咬合だけでなく顎運動機能において満足のいく治療結果が得られることを示唆している。

本報告では、矯正歯科手技を応用した当科の顎骨骨折治療を紹介した。当科では、手術を回避できる症例も多くなり、患者にとってより負担の少ない治療を選択することが可能となってきている。また、観血的治療の必要な症例においても、矯正歯科手技を用いた治療を組み合わせることによって手術が容易になり、より低侵襲な手術を行うことが可能となっていると考えている。今後、本手法の普及が望まれる。

結語

顎口腔外傷に対するチーム医療の中に矯正歯科の手法を取り入れることは、正確な骨片整復、咬合回復を可能にするのみならず、手術が容易となり口腔衛生状態の改善にも役立つ。また、保存的治療の適用範囲も広くなる。従って、患者にとってより負担の少ない治療を可能とすると思われる。

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