エピローグ・No.57遺跡
時に埋もれても色褪せない価値
多摩新街遺跡切抜帖、お楽しみいただけましたでしょうか?
ご覧いただいたように、調査当時は注目を集めていた多摩ニュータウン遺跡群ですが、その記憶は再び時の流れの中に埋もれつつあるようにも見えます。
しかし、かつてこの地にあった遺跡の記憶は当館で大切に保管されています。
これらは過去の営みを未来に伝えるかけがえのない資料として、その価値はこの先も色褪せることはありません。
私たちはこれからも、この貴重な遺跡の情報を継承し、未来に発信していきます。
これからも折に触れ、当館で遺跡の記憶に触れてみてはいかがでしょうか?
当館 体験コーナー
実際の出土品を型取りして作った立体土器パズルなどで考古資料に親しめます。
当館 特別収蔵庫
収蔵庫をガラス越しにご見学いただけます。
No.57遺跡
所在地: 多摩市落合1-14-2
調査期間:
昭和45年1月26日~2月25日
昭和45年4月29日~5月31日
昭和48年5月28日~9月26日
昭和57年9月21日~昭和58年2月10日
時代: 旧石器時代、縄文時代、中世、近世
発掘調査報告書: 東京都教育委員会 1988 『多摩ニュータウン№57遺跡―遺跡の概要と整備のあらまし―』
遺跡を庭園に
「『縄文の村』公園に 暮らし復元、教材に利用」 読売新聞 昭和62(1987)年3月10日付
※著作権の関係により、当該記事の紙面は掲載できません。多摩ニュータウン遺跡調査会は、特に重要な遺跡のいくつかを、自然公園などとして保存するよう要望した。
No.57遺跡はそのうちの一つで、この遺跡の集落部分を保存整備したものが当センターのとなりにある遺跡庭園「縄文の村」である。
この集落跡は丘の上の平坦地にあり、集落の近くには湧水、崖の下には川もあって、「縄文の村」としての特徴をよく備えていた。
整備の際にはそうした景観を壊さないように配慮し、住居や縄文の森の様子も再現して、縄文時代を体感できるようにした。
遺跡の場所
開園当初の「縄文の村」空撮写真
4号住居跡と5号住居跡のレプリカ
縄文中期の5号住居がモデルのC棟
2軒の住居跡レプリカは、実際に住居跡が見つかった地点につくられている。
左側の5号住居を改めて別地点に復元したものがC棟だ。
他遺跡の成果も活用
「4000年前の『敷石住居』 原型ほぼ完全に残る」 朝日新聞 昭和58(1983)年6月29日付
※著作権の関係により、当該記事の紙面は掲載できません。敷石住居は縄文時代中期の終わりごろから後期のはじめにかけてつくられる、床に石を敷いた住居だ。
再利用するために一部の石を抜き取った状態で見つかることが多いが、No.72・795・796遺跡のある住居跡では敷石が完全な形で見つかった。
実は、ここに使われていた石は現在、遺跡庭園「縄文の村」にある復元住居に移築されており、誰でもその上に立つことができる。
この遺跡の調査成果としてもう一つ欠かせないのは、付近の泥炭層から採取された植物の花粉、種実、木材などから縄文時代中期の多摩丘陵の植生が明らかにされたことだ。
この成果は庭園内に植える植物を選ぶ際の参考にもなった。
遺跡庭園で見られる縄文時代の食用植物の例
トチ
オニグルミ
クリ