「最大級の縄文住居跡発掘 多摩ニュータウン 環状、300戸以上か」
東京新聞 平成元(1989)年4月23日付
「八王子の多摩ニュータウン予定地から 縄文中期の住居跡130戸」
読売新聞 平成元(1989)年4月27日付
「縄文中期の住居跡130戸発掘 多摩ニュータウン72遺跡」
朝日新聞 平成元(1989)年5月5日付
所在地: 八王子市堀ノ内5号470他
調査期間:
No.72・795遺跡 昭和62年11月16日~平成13年1月15日(8次)
No.796遺跡 昭和56年9月17日~平成2年12月26日(7次)
時代: 旧石器時代、縄文時代、古墳時代、奈良時代、平安時代、中世、近世
発掘調査報告書:
東京都埋蔵文化財センター 1998・1999・2003・2004・2005・2006・2009 『多摩ニュータウン遺跡 ―№72・795・796遺跡―』 東京都埋蔵文化財センター調査報告 第50集(1)~(22)
この遺跡は、南北を川にはさまれた丘の上にあり、日当たり・水はけが良好である上に、水場へのアクセスもよい。
起伏の激しい丘陵地にしては広い平坦面もあり、縄文人にとって住み続けやすい条件がそろっていた。
ここから全国的に見ても規模の大きな縄文時代のムラが発見されたことは、当時の紙面にも大きく取り上げられた。
報道の後も続いた発掘調査により、最終的には縄文時代前期の住居跡17軒、中期の住居跡275軒などが見つかっている。
遺跡の現況
東半分は公園(堀之内芝原公園)になり、西半分にはマンションが建っている。住居跡分布図
環状集落と呼ばれる、同心円上に住居が並ぶ集落形態である。時期の新しい加曾利E式期の住居跡の方が古い勝坂式期の住居跡より内側に分布している。環状集落の範囲(下段は調査時の空撮写真)
住居跡には時期差がある
新聞記事に取り上げられたのは、この遺跡から見つかった縄文時代中期のたくさんの住居跡。
すべてが同時に建っていたわけではなく、約500年おきに3つの時代に区分されることや、それぞれの時期にいくつかのグループに分かれて住んだと考えられること、住居跡は環状に並んでいて内側ほど新しい時期に建てられたことなどが紹介されている。
こうした考察を支えた根拠は、土器の研究だった。
土器は作られた時期や地域によって特徴がある。
そのため、形や模様の違いを根拠に「型式」を定め、型式間の新旧を判断することができる(土器編年)。
これは土器が出土した住居跡の年代を推定する根拠になるなど、遺跡の調査にとって欠かせない方法である。
この遺跡から出土した百万点を超える土器を見てみると、縄文時代早期から後期に至るものが含まれているが、95%は中期のものだった。