「古銭2万6千枚出土 多摩タウン 戦国時代の隠し金?」 朝日新聞 昭和58(1983)年11月16日付
※著作権の関係により、当該記事の紙面は掲載できません。所在地: 八王子市南大沢220、225、232他
調査期間: 昭和58年9月5日~12月26日
時代: 縄文時代、弥生時代、平安時代、中世
発掘調査報告書:
東京都埋蔵文化財センター 1984 『多摩ニュータウン遺跡 昭和58年度』 東京都埋蔵文化財センター調査報告 第5集(第3分冊)
「古銭2万6千枚出土」と騒がれたのはNo.484遺跡である。
この出土銭は中世に掘られた3つの穴に埋められ、のちの集計では約2万7千枚にも及んだ。
中国からの渡来銭を中心とする66の銭種の組み合わせにより15世紀後半~16世紀初頭に埋められたと推定され、「戦国時代の隠し金?」とも紹介された。
ところがこの大量出土銭。一見すると大金にも見えるが、実際はとても戦費をまかなえるような額ではない。
一体なんのために埋められていたのか、今もなお論争が続いている。
Google Earthより(一部改変)
大量出土銭が出土した3つの穴の位置
「大量出土銭」とは、数千あるいは数十万枚以上もの銭貨がまとまって出土する事例で、全国各地で発見されている。
この現象は、13世紀後期から16世紀後期までみられ、甕、木箱、布袋など容器に入れて地中に埋める場合や直接土坑に埋める場合などさまざまである。
また、埋める場所の決まりもなく埋め方についてはよくわかっていない。
特に最大の謎は、なぜ埋められたのかである。
呪術的・宗教的な行いのために「埋納」した説と、なんらかの財源の確保を目的に「備蓄」した説の二つが議論されており、埋められた当時の社会背景や地域の事情が大きくかかわっていると考えられている。
出土状況
出土状況再現展示
中世に流通した銭は、どのようなモノに一体どれくらい必要だったのか。
ここでは、本遺跡の大量出土銭の時期にあたる15世紀後半頃の物価の事例について紹介する。
15世紀後半から16世紀中頃の物価の事例
(参照元: 参考文献13~15)
※銭1枚 = 1文※中世の物価は地域や場所の特性(都市か田舎か等)によって大きく異なる。ここに掲載した物価は京都周辺のものであり、多摩地域では状況が異なっていた可能性がある。また、計量単位についても全国的に統一されておらず、状況によって大きなバラツキがあった。ここにあげた価格はあくまで一つの参考値である。