No.513遺跡

「多摩ニュータウンの大丸城跡 鎌倉初期の墓発掘」 読売新聞 昭和59(1984)年1月20日付

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所在地: 八王子市南大沢220、225、232他

調査期間: 昭和58年9月5日~12月26日

時代: 縄文時代、弥生時代、平安時代、中世

発掘調査報告書:
東京都埋蔵文化財センター 1987 『多摩ニュータウン遺跡 昭和60年度』 東京都埋蔵文化財センター調査報告 第8集(第4分冊)

中世の聖域

No.513遺跡の奈良時代・中世出土一括資料は、東京都指定有形文化財(考古資料)となっている。

当遺跡の発掘を報じた記事が掲載された当時は、この遺跡の出土資料を〝特に重要な文化財〟として指定する動きが始まった頃であり、その価値を広く知らしめる機会となった。


一方、この遺跡は場所としても重要で、死者を弔い供養する聖域であったと考えられており、記事に取り上げられた三筋壺や渥美の壺といった資料だけでなく板碑や五輪塔も発見されている。

遺跡の場所

遺跡の地形

調査当時、遺跡の地形は独立した小山のような形状をしており、北に多摩川を挟み武蔵野台地を一望できる絶好の位置にあった。


この地形と立地を活かすことで、奈良時代は武蔵国分寺創建のための瓦生産がこの場所で行われ、中世には北の監視や押さえの役目があったと考えられている大丸城が築かれた。

集められた板碑と五輪塔

遺跡からは3箇所の板碑群が検出され、中でも「1号板碑群」は残存状態が良好で、29基の板碑と五輪塔 の一部が見つかっている。

これらは、板碑の紀年銘から14世紀~15世紀を主体としており、本来別の場所に立てられていたものがこの地へ集められたと考えられている。


板碑や五輪塔は、亡くなった人へ冥福を祈る「追善供養」や、生きている間に自分の死後の冥福を祈る「逆修供養」のために立てられる供養塔(塔婆)である。

また一方で、12世紀~13世紀の経塚や墓跡といったものもこの遺跡から見つかっている。


ここには寺院や館跡はなく、大丸城との関りや経塚と板碑群との関連性についてもいまだ不明な点が多い。

しかし、こうした特殊な出土状況から、中世初期の頃より葬送や仏教儀礼を行う神聖な場所として認識されていたことがうかがえる。

1号板碑群検出状況

調査全体図

出土した板碑

出土した五輪塔