No.450遺跡

「イワシ文様の縄文土器 多摩ニュータウンの遺跡から発掘」 毎日新聞 昭和60(1985)年11月7日付

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所在地: 多摩市乞田谷戸根980他

調査期間: 昭和58年81日~12月10, 昭和58年11月12日~昭和59年8月15日

時代: 旧石器時代、縄文時代、弥生時代、奈良時代、平安時代、中世、近世

発掘調査報告書:
東京都埋蔵文化財センター 1986 『多摩ニュータウン遺跡 昭和59年度』 東京都埋蔵文化財センター調査報告 第7集(第2分冊)

縄文土器に魚骨で模様

この遺跡は多摩ニュータウン通り沿いに400メートル以上にわたって広がっていた。

旧石器時代以降、様々な時代の生活の痕跡が見つかっている。

中でも、魚の骨で模様をつけた縄文土器は極めて珍しく、注目を集めた。

No.450遺跡出土 魚骨文土器

遺跡の場所

意図された「杉綾形」

魚の背骨は、位置や魚種によって様々な形をしている。


展示の土器に見られるような比較的左右対称な形は、「杉綾形」を神経棘と血管棘の跡と仮定するならば、背骨の中でも尾ひれ側のものだろう。


とはいえ尾ひれの末端の特徴的な形は認められないため、末端付近を除く部分だ。


背骨でも頭に近いほうは内臓を囲うため肋骨が立体的につくのに合わせた形をしており、当て方によっては左右対称にもなりえるが、可能性は低いように思える。


なんにせよ、展示の土器片の上端は土器の縁に近いと考えられることから、左右対称の形に近くない部分の骨は模様つけに使われなかったと考えられる。


つまり、「杉綾形」を表現できる部位のみが意図的に選ばれたことになる。


いったいこの模様にはどのような意味が込められたのだろう。

右画像は土器片のシリコン型

魚の椎骨(背骨を構成する骨)の形
(引用元: 樋泉岳二 1995 「遺跡産魚骨同定の手引(Ⅱ)」『動物考古学』 第5号 動物考古学会)

なんの魚の骨?

模様つけに使われた骨は「イワシ」と報告されているが、表面からの観察では確認しづらい。

そこで、シリコンを使って土器の表面の形をとってみると、そこに押し付けられた魚骨の形がよく分かる。


椎骨の大きさや鼓のような形の椎体は確かにイワシ類に似ている。

中心の稜線の強さはウルメイワシに近いだろうか。

しかし前方の突起の形がイワシ類よりも外側に開いているようにも見える。

実物の「杉綾形」の部分は魚骨にしては太すぎるように思えるが、後から別の道具を押し付けているのかもしれない。


細かい形状からこれが魚骨であることは確かであり、さらにこれが「イワシ」であると推定された根拠も確かめられた。

しかし、イワシ類とは異なるように見える箇所もあるため、検討を続けたい。

各魚種椎骨と土器模様の比較

※記載の体長は標準体長

シリコン型(拡大)