実は常設展示にも新聞にのった遺跡たちが。
見出しとともに、5つの展示を紹介します。
「日本最古の土製仮面? 縄文中期の住居遺跡から」 毎日新聞 平成6(1994)年2月10日付
※著作権の関係により、当該記事の紙面は掲載できません。「縄文の有溝砥石を発見」 読売新聞 昭和60(1985)年10月25日付
「日本最古の『矢柄研磨器』発掘」 毎日新聞 昭和60(1985)年10月25日付
※著作権の関係により、当該記事の紙面は掲載できません。発掘調査報告書: 東京都埋蔵文化財センター 1987 『多摩ニュータウン遺跡 昭和60年度』 東京都埋蔵文化財センター調査報告 第8集(第3分冊)
矢じりが登場する時期に見つかるため、その棒状の溝から矢柄研磨器とも言われる砥石。
八王子市の富士見台公園そばのNo.116遺跡で見つかった。
「都内最大の横穴墓発見」 読売新聞 平成9年(1997)年10月7日付
※著作権の関係により、当該記事の紙面は掲載できません。発掘調査報告書:
東京都埋蔵文化財センター 2003 『多摩ニュータウン遺跡 ―No.313遺跡―』 東京都埋蔵文化財センター調査報告 第129集
町田市小山ヶ丘にある№313遺跡で見つかった、大規模な石積みをもつ横穴墓。
全国的にみても最大級であることや、石積みがあること、群集して見つかることの多い横穴墓が単独で、しかも丘陵頂部で発見されたことなどが珍しく、注目を浴びた。
石を積んだ例は朝鮮にもあることから、渡来人の墓である可能性も指摘されている。単独で見つかったのは、一族が長くそこに住みつかなかったためか。
常設展示されているのは、墓から見つかった副葬品の数々。墓自体は原位置を留めていないが、町田市三ツ目山公園で実際の石を用いたモニュメントが公開されている。
「関東最古の硯出土」 東京新聞 平成2年(1990)年6月14日付
※著作権の関係により、当該記事の紙面は掲載できません。発掘調査報告書:
東京都埋蔵文化財センター 1993 『多摩ニュータウン遺跡 平成3年度』 東京都埋蔵文化財センター調査報告 第15集(第5分冊)
町田市小山地区にあるNo.342遺跡からは須恵器を焼いた窯や木製の皿などが見つかり、記事中で「古代の工業団地」とも紹介された。
見出しになった硯は7世紀後半のもので、京都府宇治市の国史跡「隼上り窯跡」で見つかっていたものとよく似ている。
そのため、この時期に畿内・東海地方から工人が移り住み、中央の影響を色濃く投影した製品を作ったと推定されている。
古代の多摩丘陵では、No.342遺跡に限らず、豊富な資源を活かした手工業生産が活発に行われていた。
展示ケースの中も要チェック!
「第一級の資料 貴重な納骨用壺も」 読売新聞 昭和59年(1984)年1月20日付
※著作権の関係により、当該記事の紙面は掲載できません。企画展示で板碑と五輪塔を紹介した、No.513遺跡。
記事に写真が掲載された「渥美壺」が常設展示されている。
この壺は骨粉などと共に土坑から出土した。
ただ、壺の中に骨が埋納されていたのかは明確でない。
近くには三筋壺や経筒も埋納されており、少なくとも鎌倉時代になんらかの祭祀がおこなわれた空間であったようだ。
「稲城で古い瓦片大量に出土」 朝日新聞 昭和56年(1981)年2月6日付
※著作権の関係により、当該記事の紙面は掲載できません。多摩ニュータウンNo.513遺跡に関する話題は、実はそれだけにとどまらず、古代の瓦窯と中世の大丸城の発見でも注目を集めた。
特に瓦窯については度々新聞に取り上げられ、上に挙げたような見出しが紙面を賑わせた。