TKC046 カラカラ
紀元198-217年 アントニヌス勅令ローマ市民権の拡大
紀元198-217年 アントニヌス勅令ローマ市民権の拡大
カラカラの胸像
カラカラ浴場
外套を配るカラカラ
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ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス
ローマ帝国の歴史の中で、これほど評価が揺れる皇帝は多くない。
カラカラは暴君として知られる。
だがそれだけで語るには、あまりにも単純すぎる人物でもある。
彼の名「カラカラ」は本名ではない。
彼が好んで着用し、兵士や民衆にも広めたガリア風の外套に由来する呼び名である。
防寒性に優れた実用的な衣服を自ら身につけ、広く配ったその姿勢は、皇帝でありながら兵士と同じ側に立とうとする意思の表れだった。
彼の父セプティミウス・セウェルスは、帝国を再統一した軍人皇帝だった。
その最期はローマではなく、遠くブリタンニアの地で迎えられる。
帝国の最前線で、臨終の際彼は二人の息子に後を託しこう助言したと言う。
「 兵士を富ませよ、他は気にするな。」
カラカラはその言葉を、そのまま受け取った。
まだ22歳だった。
若すぎる皇帝が、帝国を引き継ぐ。
しかも弟ゲタとの共同統治という、不安定な体制の中で。
しかし弟ゲタとの関係はすでに破綻していた。
帝国を二分して治めることも考えたが、母ユリアの反対の為それも出来なかった。
宮廷は分裂し、帝国は内戦寸前になる。
その中でカラカラが選んだのは、危険を先に断つことだった。
彼は母ユリア・ドムナの目前でゲタを殺害する。
そしてゲタ派に対してその後の粛清は苛烈を極め、多くの命が失われた。
この出来事が彼を暴君として決定づけたのは間違いない。
だが同時に、それは内戦を回避するための選択でもあった。
彼の判断は極端だったが、状況自体もまた極端だった。
彼の統治は一貫していた。
軍団を優遇し、給与を引き上げ、兵士に結婚を認める。
自らも軍装に身を包み、兵士と同じ側に立つ。
父の遺言を守ること、それが彼の軸だった。
この点において、彼は成功している。
さらに212年、彼はアントニヌス勅令を発布する。
帝国内のほぼすべての自由民にローマ市民権を与えるという決断だった。
ローマは都市ではなく、帝国そのものへと変わる。
この転換は、後の世界にまで影響する。
また市民のために巨大な浴場も建設している。
それは後にカラカラ浴場と呼ばれている。
しかしその統治は、決して安定したものではなかった。
ゲルマン人との戦いでは金銭による和睦に頼り、ローマの威信を損なう。
アレクサンドリアでは嘲笑への報復として虐殺を行う。
彼の判断は早く、そして極端だった。
彼は間違いなく苛烈な皇帝だった。
だがそれは無思慮だったからではない。
むしろ、自分なりに帝国を守ろうとした結果でもあった。
ただ、その方法があまりにも性急だった。
217年、東方遠征の途上で彼は暗殺される。
まだ29歳だった。
もし彼がさらに長く生きていたなら。
経験を積み、判断に余裕を持つことができたなら。
その場合きっとその評価は、今とは少し違ったものになっていたかもしれない。
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