細川先生の『歎異抄講読』第九章、第十章を頂き、厚くお礼申し上げます。
何年か前、テレビ講演にて「癌患者に対して癌であると宣告すべきか否か」と言う問題に就いて、前癌研究所々長黒川利雄博士が、第九章を引用せられた事がいまでも印象的に思い出されます。
「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく……娑婆の縁つきて力なくしておわるときかの土へまいるべきなり」
黒川先生は癌患者に癌と宣告し、死期を予言するようなことは医師として為すべきではなく、生死に対する煩悩をかりたてるばかりで救いにはならない。あとは如来のはからいを待つのみであると申されました。
どうにもならない人間の自己中心からおこる煩悩に対して、他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり、自力が生死観にはいりこんでいる限り浄土往生はあり得ない。このていたらくの私と分って、南無阿弥陀仏を称える以外にありません。
第十章は念仏は自力のはからいの念仏から本当の念仏の道を辿るため如来のはからいにお任せする他力本願の道を説いた章であります。
怠惰、驕慢の私をかえりみず拙文をしたためましたが、唯々懺悔と感謝の気持ちで一杯です。お許し下さい。 合掌
第九章、第十章については、昭和五十四年十二月から昭和五十六年五月まで日野市中央公民館での講義をまとめたものです。テープからのおろし及び清書は佐々木文子・辻内佐喜氏、印刷に際しては、広島大学助教授松田正典先生のお世話を頂きました。厚くお礼申し上げます。
昭和五十七年五月 田中佳一郎
歎異抄講読(第九、十章について)
細川 巖 講述
昭和五十七年六月三十日 印刷
昭和五十七年六月三十日 発行
発行者 田中 佳一郎
印刷者 仁宮 孝雄
発行所 日野市教育を考える会
事務局 (佐々木 玄吾)
日野市日野七八〇一の三