○『歎異抄』の構成
『歎異抄』は丁度二枚立ての屏風(びょうぶ)のように、真中に要(かなめ)があり両側に一枚ずつ屏風がある。はじめが師訓篇で、第一章から第九章まであって、この要のところが第十章。即ち第十章が、一章から九章までの師訓篇をまとめる。それを成上(じょうじょう)という。左側が十一章から始まって十八章まである。
これが異義編。第十章が聖人の仰せの、原点であり、他力の信の原点。それが十章。この聖人の仰有ったことに比べてみて十一章以下は間違っておる。それを起下きげという。あわせて十章を成上起下という。成上は師訓編のまとめ、起下は異義の原点という意味をもつ。
第十一章以下の異義編は何に対して間違っておるかというと、第十章が原点。
第一章から十八章までが本論。そのうち、正しい信心あるいは正しい聖人の仰せが、一章から九章まで出ている。それをまとめて、第十章を成上という。
第十章は、「念仏には無義をもて義とす。不可称不可説不思議の故に」無義為義という。それが聖人の、正しい信心のまとめである。これが成上。
起下は異義の原点。聖人の仰せでない間違った信心というのは、この第十章の無義為義に背いておる。無義ははからいなし。それに対してはからっておる。それを異義というのである。
本論のあとと中と先に序文がついている。前のを前序、十章のあとのを中序、後のを後序という。
これで『歎異抄』の全体である。
前序は序論。序論があって本論があって結論がある。このような構成になっておる。
本論に師訓篇と異義篇がある。その異義篇はどういう意味を持つのであろうか。また十章が異義の原点になるということも、も少し話したい。
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