「無功徳(むくどく)」 (令和8年6月)
「いいことしたら、誰かに認められたい、褒められたい」ー誰しもそんな気持ちはありますー
しかし、よくよく考えてみたら・・・
いいことしたのなら、それでよくね?誰も認めてくれなくても、褒められなくても、いいんじゃね?
いいことができる自分そのものが尊いのですから、それ以上のことを求めなくても、ちゃんと結果はついてきます。安心して、いいこといっぱいやりましょうね。
「唯我独尊(ゆいがどくそん)」 (令和8年4月)
「私は唯(ただ)一人の尊き存在である」―これは決して、「オレ様は偉いんだ!」ということを言っているのではありません。
頭上に限りなく広がる空を見渡してみてみても、足元に限りなく広がる大地を見ても、自分という存在はたった一人しかいない、それはあなたも同じである。すなわち、誰もがこの世にたった一人しかいない尊い存在であるというのが、「唯我独尊」の指し示すところです。
まさに、誰もが〝たった一つの尊いいのち〟を生かされているのです。
「中道(ちゅうどう)」 (令和8年3月)
公明党と立憲民主党による「中道改革連合」結成のおかげさま!?で、世間に広く浸透した「仏教用語」です(* ´艸`)。これは「一点に捉われない」とか、「偏った見方をしない」ということです。
『表があれば裏がある』、『良いところがあれば悪いところもある』、万事必ず両面あり。それに対して、ついつい自分が好む方、自分が選んだものだけに価値を認めるがゆえに、偏った見方をしてしまう私たち凡夫(ぼんぶ)。だから、ついつい相手の良さを見逃してしまうのでしょうね😢
紅梅もあれば白梅もある、どちらも趣があってよい。
まさに「あっちがよくて、こっちがダメ」ではなく、どちらの良さも認められるようになりたいものです。
「雨奇晴好(うきせいこう)」 (令和7年12月)
雨の日を嫌う方は多いと思いますが、雨の日には雨の日の良さがあるものです。
これは何事にも通じます。万事には必ず良し悪しや善悪等の両面があります。自分の狭い価値観だけで良し悪しを決めつけて、本当の価値を見逃さないようにしたいものですね。
「感応道交(かんのうどうこう)」 (令和7年11月)
周囲の人は争うためにいるのではありません。和して仲良くすべき存在です。
お互いの一致点を求め、自分が引いた直線を傾けていけば、必ずや相手が引いた直線と交点ができます。
-学生時代に数学で教わった「関数」のごとく-
「憍奢(きょうしゃ)の心を慎む」 (令和7年10月 「正法眼蔵随聞記」より)
憍奢(おごり高ぶり)の心は誰しも有する人間共通の「欠点」。
憍奢こそ自分の一番の敵と捉え、闘い慎んでいくのが仏の生き方である。