気温20℃弱で肌寒さを感じつつ、生憎の雨となった二日間でしたが、
お手伝いいただいた金沢市内の曹洞宗寺院45名の方丈様、7名の寺族の皆様、そして、60名近くの檀信徒の皆様のおかげさまで無事につとめさせていただくことができました。ここに深く御礼を申し上げます。
ご参詣くださった皆様をお送りする際に、多くの方から温かいお言葉をいただくと共に、皆様の笑顔に触れることができました。
また、大本山總持寺祖院・監院(かんにん)・勝田浩之老師のご法話も好評で、学ぶことが多かったとのことです。
啓建歎仏(けいけんたんぶつ)R7.5.24(土)
施主家の皆様の先祖供養
★「啓建」とは「ひらく」または「始める」という意で、今回の普度会法要の最初に行われる法要を意味する
祈願法要(能登半島地震・能登半島集中豪雨)
R7.5.25(日)
放生会(ほうじょうえ) R7.5.25(日)
捕らえた魚や鳥を生かしたまま放ち、
生を全うさせるという意味がある法会
法会の起源となるのは江戸時代後期、1835年(天保6年)のことです。度重なる自然災害によって人々はこの上ない苦悩を受けていました。「天保の大飢饉」による悪病の流行、「犀川(さいがわ)の大洪水」などの自然災害、また夏にあられが降るなどの天候不順がもたらした凶作、多くの尊いいのちが失われていきました。
そんな中、金沢市内の有力商人のお一人である能登谷又五郎(のとやまたごろう)【通称:宝月霊松居士(ほうげつれいしょうこじ)】が曹洞宗寺院の住職に亡き人々の供養を切願し、「普度会」が始まりました。以降、今日までの190年、途中、第2次世界大戦やコロナ禍でお休みせざるを得なかった時期はあったものの、毎年、春と秋の彼岸会の時期を目安に190年もの間、開基・霊松居士始め、天保の飢饉で亡くなった方々のご供養、檀信徒各家年忌法要、普度会の存続に携わってこられた金沢市内の僧侶方のご供養を中心に今日まで継続されてまいりました。
こうした法要は他に類を見ない、金沢の地に根差した仏教行事とも言えます。
尚、5月24日(土)は「松山寺二十七世大圓眞美大和尚追悼法要」
5月25日(日)は「能登半島地震及び能登半島集中豪雨」復興祈願法会を併修させていただきます。
檀信徒の皆様には24日(土)・25日(日)のいずれかご参詣いただきますようお願い申し上げます。
両日とも午前9時半頃にご来寺の上、受付、10時より法要開始、12時頃の終了を予定いたしております。
―誰もが参詣しやすい法要を目指して―
2014年(平成26年)松山寺普度会に参詣されたある檀信徒より、
「法要の時間が長かった」とのご意見をいただきました。
これは兼ねてより住職も懸念していた点でもあります。
そこで、今回の普度会では、2日間の日程で、「午前10時開始、12時終了」とさせていただきます。
また、「法要に参詣していても、何を行っているのかわかりづらい」というご意見も耳にします。
これを受けて、法要当日は「僧侶による司会進行」及び「法要パンフレット」を配布して、少しでも参詣者にとって、わかりやすく、ありがたく感じられる法要にすべく準備を進めています。
―〝普(あまね)く度す〟とは―
「普度会」という名称には、「普く(生死関係なくすべてのいのち)」が「度(救われる)」、「会(集まり)」という、仏教の誓願が込められています。松山寺にご縁のある全ての方が、何か得るもの、学ぶもの、心落ち着くものが提供できるよう、「普く度す」をテーマに修行させていただきます。
昨年の元日に発生した「能登半島地震」始め、各種大規模な自然災害によって、突如として尊いいのちが失われる現実を目の当たりにする中で、「普度会」を通じて、仏教が指し示す「人々の助け合いによって、誰一人として取り残されることなく救われる道」を歩み、次世代へとつないでいく機会になることを願っております。
また、サブテーマに「誰もが参詣しやすい法要を目指して」を掲げさせていただきました。「墓じまい」等に見られるお寺離れが指摘される中で、現代社会における各種諸問題とも向き合い、「檀信徒にわかりやすい法要」と「法要時間の短縮化」の2点を掲げ、法要をつとめさせていただきます。