令和8年10月1日
(1)〝食事作り〟も大切な仏道修行
5月に福井県にある大本山永平寺開祖・道元禅師様がお示しになった「典座教訓(てんぞきょうくん)」について触れさせていただきました。
我が曹洞宗は、お釈迦様より歴代の祖師方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」である坐禅及びそのみ教えを拠り所としますが、日頃の三度の食事を作ることやいただくことについても、仏道修行として捉えます。
「典座教訓」は禅の修行道場において、修行者たちの食事作りを仏道修行とする「典座(てんぞ)」の「食事作りの心得」を説いた一冊です。
(2)「三心 ―喜心(きしん)・老心(ろうしん)・大心(だいしん)―」
今回はその中で「三つの心構え」としてお示しされております「喜心・老心・大心」について触れさせていただきます。道元禅師様は「典座はじめとする修行道場の運営に携わる僧侶は役職を司るに当たり、三心を心に留めていただきたい」とおっしゃいます。
① 喜心
喜悦の心。いつも喜びの心を忘れずに事を為します。
② 老心
一子を思う父母のごとく、周囲に思いを巡らせながら事を行います。
③ 大心
偏ったり、固執(執着)したりせず、大きな心を以て、周囲と関わります。
(3)〝三心〟に生きた女性 ―喜寿の尊き生き様を念じて-
2月に最愛のつれあいを亡くし、その半年後には自身も旅立っていかれた喜寿の女性をお見送りさせていただきました。女性とは初めてお会いしてから関わらせていただいた約半年間、つい数カ月前には楽しそうに言葉を発し、食事もしっかりと召しあがるお姿が思い起こされるだけに、いのちのはかなさを思わずにはいられません。
最期は集まってきた実子・孫といったご家族に精一杯の元気な姿を見せ、静かに息を引き取ったとのこと。まさに一子を思い続けながら、母として生きてきた女性の精一杯の「老心」がにじみ出た最期と感じました。
女性のお子さまたちが語る生前のお姿は「ボランティア活動」一筋に徳を積んでこられたお姿でした。地域の役職を何一つ嫌な顔一つせず、むしろご自身の使命と言わんばかりに喜んでお引き受けしていたこと。地域のため、人様に少しでも喜んでいただきたいと願って、様々な活動に楽しんで参加なさっていたこと。これぞ「喜心」を忘れずに生きてきた方のお姿と感じます。
何事に対しても嫌な顔一つ見せず、喜心を以て、喜び楽しみながら生きてきた90年をお子さまたちは「自分のやりたいように過ごしてきて、きっと満足しているだろう」とおっしゃいました。自分が関わる人、我が身に起こる様々な経験、それらを自分の好みで分け隔て、好みのものだけを大切にするような考え方・態度では、女性のような喜びに満ちた人生を過ごすことは難しいと感じます。誰とでも親しく関わり、どんなことをも受け入れる大きな心(大心)を自分の中で育てていく修行があってこそ、人は幸せな日常を送れるのだろうとお子さまたちから女性の思い出話をお聞きするたびに感じるのです。
(4)〝三心〟を持って生きていく
「喜心・老心・大心」の三心は禅寺を運営する修行者のみならず、誰もが意識しながら日々を過ごしていきたい心の用い方です。私自身、喜寿の生涯を全うされた女性の生き様に触れながら、自分の頭の中で考えた価値観だけに捉われることなく、万事を受け止める大きな心を育てながら、我が子を思うがごとく周囲と関わり、不平不満を断ち、喜んで事に尽くしながら、この先を生きていきたいと思っております。
令和8年9月2日(水)
(1)天童如浄禅師(1162-1227)について
曹洞宗の大本山永平寺開祖・永平道元禅師様の師である天童如浄禅師様は中国南宋時代の禅僧です。如浄禅師様は天童山景徳寺はじめ、中国各地の禅院の住持職(住職)をおつとめになり、多くの修行僧を指導してこられました。
その家風は厳格この上ないもので、朝は2時半から3時には起床して坐禅、夜の11時頃まで只管(ひたすら)に坐に徹せられたとのこと。如浄禅師様は一日たりともお休みになることなく、修行僧と共に坐り続けられたとのことです。
―睡眠時間3時間程度で休むことなく坐禅修行に勤しむ日々―
修行僧の中には坐したまま眠る者も多数いたとのことです。
そんな修行僧に対して、如浄禅師は「拳で打ち、履物をぬいでそれで打って、非を言い立て、叱り責めながら言葉を口に出して眠りを覚まさせた」と道元禅師様は述懐なさっています。
(2)禅僧のパワハラ!?
―人を殴ること、相手を強い言葉で批判したり、責めたりすること―
「これってパワハラ(パワー・ハラスメント)ではないか・・・?」
そう思われる方もいらっしゃるかと思います。
試しに人事院のホームページでパワハラについて調べてみると、次のようにあります。
『職務に関する優越的な関係を背景として行われる、業務上必要かつ相当な範囲を超える言動であって、職員に精神的若しくは身体的な苦痛を与え、職員の人格若しくは尊厳を害し、又は職員の勤務環境を害することとなるようなもの』(https://www.jinji.go.jp/seisaku/kinmu/harassment/10-16.html)
しかし、道元禅師様は如浄禅師様の言動について、「仏道を学ぶ者は天童の家風を思い見るべきである」と評していらっしゃいます。また、如浄禅師様の会下の修行僧たちは感涙して仏道修行に励んでいたとのことです。
人事院は「パワハラは、行為者と受け手の関係性に着目した概念」と定義します。その点から見れば、如浄禅師様の言動はパワハラではないと考えます。
(3)如浄禅師様が修行僧たちに語ったこと
修行僧の指導者として、彼らの迷いを破り、仏道を助けるために修行僧と共に一日たりとも休むことなく坐し続けた如浄禅師様の人物像を、私は「仏道一筋に生きた超厳格な禅僧」と捉えています。まさに道に対する厳しさを有する真の修行者、そして、その背景には修行僧に対する深い愛情が垣間見えます。
―如浄禅師様はある日、修行僧たちに語りました―
『世間の帝王、役人は王としての道を修め、臣下として忠節を尽くしている。庶民は田を開き、鍬を取って、苦労して毎日を過ごしている。誰が身を安楽にして毎日を過ごしているだろうか。それに対して、世俗の業務を逃れ、修行道場に入って、なすこともなく時間を過ごして何になる?「生死事大(しょうじじだい)(生死の問題は仏道修行にとって最も重要な課題である)」・「無常迅速(時間はあっという間に過ぎ去っていく)」、いのちある間に仏法を修行しないで眠りこけて過ごすのは特に愚かなことである。だから、仏法が衰えるのである。仏法が盛んなときは坐禅を専一にしていた。諸方の長老が坐禅を勧めなくなったから仏法は衰えていったのだ。
(自身の居眠りをする修行僧に対して)叱り褒める言葉を発したり、叩いたりすることは慎むべきことである。仏に代わってやっていることと許していただきたい。』
坐禅こそ悟りへの道と捉え、後世に仏法を伝えることを自らにいただいた使命とし、修行僧たちの成道を願っていた如浄禅師様―ひょっとすると殴られる者以上に心を痛め、日々の仏道修行に勤しんでいらっしゃったのかもしれません。
(4)用心―天童の家風から学ぶもの―
こうした厳格なる天童の家風を表面的に捉えてしまうと、深く仏法を理解するのが難しくなるような気がします。むやみに相手を支配して一方的に自分の感情や考えを押し付けたり、相手の欠点や短所を指摘して不快感を与えたりするのはパワハラとして慎むべきことです。しかし、道元禅師様始め如浄禅師様の下で仏道を歩む修行者たちは皆、如浄禅師様の言動の背景にある思いを汲み取り、厳しい修行に勤しんでいたのです。
大切なことは、相手や周囲の環境等にも思いを巡らせながら、自らの言動を提示していくということです。「用心」という言葉がありますが、そうした自分の心の用い方に留意して、周囲に配慮しながら言動を発することです。常日頃から、「用心」を意識して過ごしていきたいものです。
パワハラということが言われる現代ですが、坐禅をしないことが仏法の衰えと指摘なさる如浄禅師様のお言葉もよくよく考えておきたいところです。あまりにパワハラを意識しすぎて、歩むべき道が衰退するようでは本末転倒ということでしょう。どんな道も歩むことは辛いものです。簡単で気楽な道などないことをも再確認しておきたいところです。
令和8年8月1日(土)
(1)お盆のはじまり
今年も暑い夏がやって来ました。仏教の世界では夏と言えば「お盆」です。遠方に生活する家族や親せきが故郷に集い、仏壇やお墓のご先祖様に読経供養を捧げるのが、「お盆」ですが、この風習が日本で営まれるようになったのは、1400年近く前、飛鳥時代の女帝・斉明天皇(594-661、第35代及び37代天皇)の頃が初めてとのことです。
(2)お盆とは ―〝ウラバンナ〟の意味するもの―
お盆は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と申します。「盂蘭盆会」はインドの「ウラバンナ」を音訳したもので、「逆さづり」を意味します。
―「お盆」の先祖供養と「逆さづり」とが一体、どんな関係があるのでしょうか―
(3)自恣(じし)の日 ―「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」に見るお盆の起源―
お盆の起源について記された「盂蘭盆経(一説には偽経説あり)」にはお釈迦様とそのお弟子様である目連尊者(もくれんそんじゃ)とのエピソードが記されています。
お釈迦様の下で、日々、仏道修行に邁進し、「神通力(物事を見通す力)」を体得された目連尊者は、ある日、自身の亡き母があの世でどうしているのかを神通力を用いて確かめてみました。
すると亡き母は逆さづりにされ、十分に食事さえ与えられずに苦しめられていたというではないですか!!
びっくりした目連尊者はすぐさまお釈迦様に亡き母を救う方法を相談に行かれました。すると、お釈迦様は「7月15日、約3カ月に及ぶ坐禅修行を終えた修行者たちが自分の下に帰ってきて、3カ月間を振り返り、法に背く悪しき行いがあったならば、二度と繰り返さないことを誓う修行をする。このときに修行者たちに食事の供養を行えば、亡きお母さんは救われるだろう」とおっしゃいました。
目連尊者は師のみ教えに随い、修行者たちに食事の供養を施しました。すると、どうでしょう。お釈迦様のお言葉通り、亡き母は逆さづりと飢えの苦しみから救われたというのです!
ちなみに、インドの仏教教団は4月から7月にかけては雨季(連日、大雨が降る期間)のために方々を訪れ布教活動を行うことができないため、各地の精舎(寺院)に籠り、連日、坐禅修行に勤しむそうです。
そんな3カ月の坐禅修行が終わり、各自がお釈迦様の下で振り返りと懺悔(さんげ)(反省)を行う7月15日が「自恣の日」です。
(4)現代人にとってのお盆の意義
目連尊者が「自恣の日」に亡き母(ご先祖様)を喜ばせ、救うような善き行いを仏教の開祖であり自身の師でもあるお釈迦様のみ教えに随ってなさったというのが、今のお盆の先祖供養に繋がっています。
すなわち、私たちもお釈迦様のみ教えに随い、善き自分の姿をご先祖様にお見せ(お供え)できるようなお盆を過ごしながら、少しでも自分の人間性を高めていく機会としてお盆を迎えていただきたいのです。
令和6年9月に先代住職の父、同8年5月に寺族である母を亡くし、今年は初盆です。松山寺住職を拝命して9年、ようやく住職としての指針を次の3点にまとめられるようになりました。
① 境内を愛する
広い境内ですが掃除や草取りを欠かさず行い、参詣者にとって心安らぐ環境作りを心がける
② 坐禅を愛する
曹洞宗の宗旨である「坐禅」ができる坐禅堂を有するお寺で坐禅修行を欠かさない
③ 檀信徒を愛する
檀信徒に信頼されるよう宗教性のみならず社会性も併せ持った住職になる
まだまだ至らぬ住職ですが、亡き先代夫婦(両親)に少しでも喜んでいただけるような自身の姿をお供えできるお盆を過ごしたいと思っています。
令和8年7月9日(木)
「あばれ祭り」に見た‶能登の復興〟
令和6年元日に発生した「能登半島地震」から2年半の歳月が流れました。能登の復興にはまだまだ時間を要することと思います。しかし、復興は着実に進んでいます。
—能登半島の北部に位置する石川県鳳珠郡能登町・宇出津(うしつ)―
毎年7月の第一金曜・土曜日の両日に渡り「あばれ祭り」が開催されます。これは江戸初期(寛文年間)に発生した悪病退散のご祈祷に端を発するキリコ祭りで、地元住民を中心に助っ人の東大生らが加わり、40数本のキリコを担いで町内を乱舞、特に、夜の部において、キリコが水や火の中に放り込まれたりするなどしながら、終着点となる八坂神社の拝殿まで運び込まれるという激しい動きが特徴的な祭りです。
そんな「あばれ祭り」に、以前から一度、行ってみたいと思っていましたが、今年、ようやく念願が叶い、少しお邪魔してきました。会場は大勢の人で賑わい、祭りの活気に圧倒されました。
-「能登は着実に復興している」-
地元住民が力強く担ぐ大きなキリコの乱舞する光景を目の当たりにしながら、そう感じました。
(2)「能登半島地震」を振り返る
「能登半島地震」発災当時、私は曹洞宗石川県青年会会長職を拝命しておりました。これまで自然災害が発生すれば、青年会は実働部隊として率先して動いてきましたので、当初は自分も同じように動かなくては、周囲からあれこれ指摘されるんじゃないかという不安が心の片隅にあったことが思い出されます。
とは言え、全国各地から送られてくる支援物資の被災地への運搬、被災寺院の片づけや避難所での、炊き出しのお手伝いに携わらせていただく中で、次第にほんのささやかな行いでも相手に喜んでいただけることに喜びが感じられるようになりました。休みなどなくてもいい、時間さえあれば被災地への支援に赴いていたことが思い出されます。
(3)―従容録(しょうようろく)第二則・「達磨廓然(だるまかくねん)」—
中国の天童山(てんどうざん)を大いににぎわせ、「天童中興の祖」と称される中国宋代の傑僧・宏智正覚(わんししょうがく)禅師のお言葉に同時期の万松行秀(ばんしょうぎょうしゅう)禅師がコメントを加える形で展開されていく「従容録」。その百則の中の第二則「達磨廓然(だるまかくねん)」をご紹介させていただきます
梁(りょう)の武帝(ぶてい)達磨大師に問ふ。如何(いか)なるか是(こ)れ聖諦第一義(しょうたいだいいちぎ)。磨云く、廓然無聖(かくねんむしょう)。帝云く、朕(ちん)に対する者は誰ぞ。磨云く、不識(ふしき)。帝契(ていかな)はず。遂に江(こう)を渡って少林(しょうりん)に至って、面壁九年(めんぺきくねん)。
はるかインドの地から3年もの歳月をかけて中国にやって来た達磨大師という禅僧。その噂はすぐに広がり、早速、当時の中国の皇帝であった武帝がお会いします。
これまで多くの寺を造ってきた—
お経もたくさん書き写してきた—
大勢の僧侶も輩出してきた—
この功徳はいかなるものか?
初見の達磨様にそう問いかかる武帝の中には、ひょっとすると、自らの功績を認めてもらいたいという淡い期待があったのかもしれません。
しかし、そんな期待は簡単に裏切られてしまいます。
―「廓然無聖」―
達磨様は「功徳など何もない」と断じられるのです。
思いがけぬ回答に驚いた武帝は問います。
「なぜ功徳がないのですか?」
すると達磨様は「不識」―「そんなことは知らない」と言い放たれるのです。
武帝は何が何だか分からず、頭の中はすっかり混乱してしまいました。
そんな武帝との初見の問答の後、達磨様は江を渡り、仏教の聖地であり、後にご自身のお弟子様となる慧可大師(えかだいし)様が肘を断って、出家の志を示したとされる嵩山(すうざん)の甲刹・少林寺に赴き、面壁九年。坐禅三昧の修行の日々を過ごされたというのです。
(4)無功徳(むくどく) ―達磨大師がお伝えした仏法―
達磨大師の「不識」というお言葉は、単に「知らない」とか、「わからない」ということを言っているのではありません。物事の表面的な良し悪しや善悪等の対立概念に捉われることなく、仏のみ教えに随って仏道を歩んでいればよいのであり、自らの言動に対して、周囲からの評価やコメントを求め、一喜一憂する必要はないことをお示しになっているのです。それが、「無功徳」という仏法(仏のみ教え)なのです。
いいことをしたのなら、それでいいのです。
人に褒められようとか、認められようなどと思う必要はありません。
なぜなら、その行い自体が尊いからです。
周囲の評価や理解など最初から求めるのではなく、仏のみ教えに随った行いを只管に行じていればよい、結果はちゃんとついてくる。青年会会長として能登半島地震に微力ながら携わらせていただいた日々を思い返しながら、「無功徳」のみ教えを再確認させていただきました。
令和8年6月3日(水)
(1)「人人一の非あり。憍奢(きょうしゃ)是レ第一の非なり」
これは道元禅師様が会下の修行僧たちにお示しになったことと伝えられております。(「正法眼蔵随聞記」6-23より)人間には誰しも非(欠点)がある。憍奢(おごり高ぶること)が第一の欠点であるとのことです。
(2)憍奢の有無がもたらすもの ―布教の現場から―
これは誰もが合点のいくみ教えでがないでしょうか。
平成17年から3年間、曹洞宗宗務庁に開設される布教師養成所に通わせていただき、以来、20余年、微力ながらも曹洞宗の布教師として携わらせていただいております。この間、幾度となく法話の仏縁をいただき、つとめさせていただきましたが、道元禅師様がご指摘になっている第一の非・憍奢との闘いであったことが思い出されます。
私は法話のご依頼があったならば、原稿やレジュメを作成し、自分の身体に沁み込むまで声を出して練習して現場に臨むようにしています。謙虚な気持ちで「私の拙い話かもしれないが、聞いていただこう」という気持ちで臨んだ法話では、終わってから聴衆から歓喜のお言葉をいただくことがありました。また、話し手である自分にも達成感がありました。憍奢なき謙虚な姿勢で臨むと相手にも自分にも得られるものがあり、満たされるものなのです。
ところが、その反対に妙に場狎れしたかのような態度、あたかも聴衆を見下すかのような態度で臨もうものならば、聞き手に多大なる不快感を与えるばかりか、話し手の側にも達成感がもたらされることはなく、いくら準備に時間を割いたとしても、徒労に終わってしまうのです。まさに憍奢に満ちた横柄な態度で臨むことは、相手にも自分にも不信感が残るだけで、何一つとしていいことはありません。「憍奢(きょうしゃ)是レ第一の非なり」-憍奢の有無は自他共に苦悩をもたらすだけです―そのことを気づくと、憍奢を慎みながら毎日を過ごすことが欠かせないのは当然の結論となります。その上での留意点を道元禅師様から学ばせていただきたいと思います。
(3)憍奢を戒めるための留意点
①周囲に劣等感を持たせないように気を配る
特に法話の場において、話者の自分が誰よりも知っていると思って臨むことは憍奢の最たるものと言えるでしょう。法話の内容は誰よりも知っています。しかし、他の分野、たとえば、調理の面では、調理師の聴衆がいらっしゃったならば、彼の方が詳しくて当然です。といった具合に、誰しも人間は完璧な存在ではありません。相手の方が優れていることも往々にしてあるわけで、そのことに気づけば、相手を見下すような態度など取れなくなるはずです。
②自分の正しさを主張し、周囲の誤りを指摘して非難しない
仏教徒が意識すべき戒律の中にも「不説過戒(ふせっかかい)(他者の過ちを指摘して否定したり責めたりしない)」とあります。他者を責めることも、相手を見下すことであり、憍奢の甚だしきものと解すべきでしょう。
(4)憍奢の調整 —謙虚な気持ちを忘れずに生きていく―
振り返れば、人生47年、いつも憍奢と闘い、憍奢で失敗してきたことが思い出されます。仕事でも、勉強でも、人付き合いでも、習い事でも、どんな場面においても、沸き起こる憍奢の念を調整していくことが、物事を円滑に進めていく秘訣であることは同じです。よくよく心に留めておきたいところです。
「貪り・瞋り(怒り)・愚かさ」の「三毒煩悩」は誰もが有し、生きている限り、言葉や行動に出さないよう、調整して付き合っていかねばならぬものですが、それは憍奢も同じです。相手を見下したり、物事を軽く考えたりするような心持ちは自らの中で調え、謙虚な気持ちで毎日を過ごしていきたいものです。
令和8年5月4日(月)
(1)「典座教訓(てんぞきょうくん)」・「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」とは・・・?
お釈迦様より歴代の祖師方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」である坐禅とそのみ教えを拠り所とする曹洞宗では、日頃の三度の食事を作ることやいただくことに関しても、坐禅と同じく仏道修行として捉え、教えがあります。そこを知ると、興味深いものを感じるのではないでしょうか。
「典座教訓」は仏道修行としての「食事の作り方」を、「赴粥飯法」は仏道修行としての「食事のいただき方」を説いた一冊で、それぞれ福井県にある大本山永平寺開祖・道元禅師様がお示しになりました。
尚、「典座(てんぞ)」とは、禅の修行道場において、修行者たちの食事作りを修行とする僧侶を指します。
(2)「典座教訓」誕生の背景にあるもの
1223年春、道元禅師様は本場の禅を学ぶべく、師・明全(みょうぜん)和尚と共に禅宗発祥の地である中国に渡られました。当時、道元禅師様は24歳でした。
中国に到着後、道元禅師様は明全和尚と行動を別にし、しばし船の中で滞在していらっしゃったとのことです。そんな船の中で、道元禅師様は中国・阿育王山(あいいくおうざん)の老典座と出会います。そのやり取りは道元禅師様にとって、これまでの常識を根底から覆すほどの衝撃的なものでした。それは日本では雑事と解され、さほど重要視されていなかった「典座(食事作り係)」というものを、禅の本場である中国では立派な仏道修行と捉えているのを知ったこと。そして、典座修行の仏縁をいただいたことを心底喜び、我が身を捧げる僧がいることを目の当たりにしたことです。
「典座教訓」はここから誕生したのです。
(3)「作る修行」・「いただく修行」
坐禅をするのと同じく仏道修行として作られた食事が我が眼前にあるならば、それをいただく際には、調理に携わった典座はじめ、食材の生産や配送等、調理に至るまでに関わった一人一人に対しても思いを馳せ、感謝していただきたいものです。食事をいただくのも空腹を満たし、肉体を養う「飲食」とは異なる仏道修行として、一つ一つの作法を丁寧に行ずると共に、周囲で食事を共にする方がいらっしゃれば、そうした方々が気持ちよく食事を共にできるよう、配慮していく視点も欠かせません。仏道修行として作られた食事をいただくことは、まさに仏道修行としていただくことなのです。
(4)「食と仏道は一体」
そのことを道元禅師様は「赴粥飯法」の中で、「法はこれ食、食はこれ法なり」とお示しになっています。このみ教えを踏まえ、曹洞宗では食事を作ることもいただくことも仏道修行であると解します。「食と仏道は一体」なのです。
こうしたみ教えを念頭に、普段の三度の調理や食事に携わるとき、言葉では言い尽くせぬ味わいを覚えることがあるでしょう。それが〝今・ここに生かされている喜びを味わう〟という人間最上の幸せの実感へとつながっていくように思います。
何かと気忙しく、食事にもゆっくりと時間がさけぬ日常生活を過ごす私たちですが、こうした調理や食事を少しは味わう余裕を持てたらと願っております。
令和8年4月8日(水)
(1)釈尊降誕会(しゃくそんごうたんえ)とは・・・?
4月8日現在、金沢市内は桜が満開。兼六園やその周辺の観光地では連日、花見客で賑わいを見せています。
「この時期の仏教行事とは何か?」と問われれば、「花まつり」と答える方もいらっしゃることでしょう。仏教系の幼稚園等に通われた方であれば、きれいな花で彩られたお堂(花見堂)の中に安置されている誕生仏(お生まれになったばかりのお釈迦様の像)に甘茶を注いでお参りをした経験を思い出されるかもしれません。これが「花まつり」であり、「釈尊降誕会」です。
(2)お釈迦様の御誕生
仏教の開祖・お釈迦様は今から約2600年前、インドの釈迦族国王・浄飯王(じょうぼんのう)と摩耶夫人(まやぶにん)の長男として生を受けられました。お釈迦様の生誕年については諸説があり、一定しませんが、お誕生日は4月8日と伝えられています。
お釈迦様がお生まれになったのは、摩耶夫人が里帰り出産される途上、「ルンビニ」の花園で休憩なさっていたときのことであったと伝えられています。「ルンビニ」は仏教の四大聖地の一つで、このとき、竜王が香水を以てお釈迦様を沐浴されたとのことです。これが誕生仏に甘茶を注ぐという習慣の基となりました。
お生まれになったお釈迦様は七足歩行し、右手で頭上、左手で足元を指さし、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と発せられたとのことです。
(3)天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)
この言葉は一体、何を意味するのでしょうか?「私たちの頭上に限りなく広がる空。そして、私たちの足元に限りなく広がる大地。それらどこを見ても自分と同じ存在はいない。」ということです。
これはお釈迦様に限らず、私もあなたも、この世の生かされる全ての存在に当てはまることです。
(4)唯我独尊―〝たったひとつのいのち〟を生かされている—ということ
すなわち、「誰もが取り替えの効かない尊くて唯一無二の存在である」ということです。まさにどの方も「唯我独尊—我、唯(ただ)独(ひと)りの尊い存在」なのです。
年に数回、檀信徒の葬儀をつとめさせていただきます。平均寿命を超えた大往生の方をお送りしたこともあれば、若い現役世代の方に引導を授けたこともありました。年齢だとか、社会での地位・貢献度の有無などは関係ありません。誰もがこの娑婆世界で生きてきた足跡を残しています。死というのは、そんな〝生きてきた証〟が突然、消えるのですから、特にご縁の深かった方々ほど、喪失の事実は大きいものです。亡くなった瞬間から顔を合わせることも、対話の機会も、共に行動することもなくなりますが、そうした場面を幾度も経験する中で、次第に故人が他の誰にも代えがたい、たった一つの尊き存在であったことに気づかされるように思います。
亡くなってからでは何かして差し上げたくてもできません。だから、この世にご縁のあるとき、今・ここに生かされている間にこそ、お互いに優しい言葉がけや穏やかな関わりを心がけていきたいものです。
―陸・海・空、我れ唯(ただ)独(ひと)りの尊い存在であるということ—
唯我独尊の者同志、お互いに相手を思いやり、丁寧に関わっていくことを心がけて毎日を過ごしましょう。