廃ビルのある一室。黒のスーツで統一された人々が、男女あわせて10名ほどそこに詰め掛けていた。円を描くように並んだ彼らは、中央へ視線を寄せている。
CDディスクがあった。
プラスチックのケースの中に、それは佇んでいた。光を反射する銀の円盤には、白く文字が刻まれている。
「政府から【楽曲作成規制】がかかってから、こうした仕事の方が多くなったな。」
黒ずくめのうち、一人の男が呟いた。
「ああ。俺としては、デスクで延々とPCを見続けるよりかは全然いいけどな」
「禁止楽曲と判断された音楽データの抹消作業、ですか。この時世にあって手動なのが、私には解せないのですが…」
「仕方ないだろ。実行者、管理者、執行確認を行う者を何人か…。確実に破壊したか、人の目が通らないと気が済まないとかなんとか」
「それが前時代的なんですよ…」
誰かの応答をきっかけに次々に愚痴がこぼれる。ただ、その誰として、CDの内容物に関心を寄せる者はなかった。
目の前の仕事を全うしよう。面倒ごとはさっさと終わらせよう。
最終的にそんな意見でまとまったらしい彼らの中から、一人、ハンマーのようなものを持った男がCDへ近づく。
一息の間にハンマーを振りかざした。その様子を、天井にぶら下がった豆電球一個が、うっすらと照らしている。
響く。
ぶつかる音。
それが響く音。
何かが割れる音。
弾けたような音。
それぞれが協調性なく合わさって、がらんどうの部屋に響く。汚い音だ。
とにかく細かく。
とにかく跡形も無いように。
入念に鈍器をふり降ろし、飛び散る破片に構うことなくすり潰す。そうして、円盤は廃墟に舞う砂と同化していったのだった。
―
――
―――
「何度聞いても…吐き気のする【音】だ」
世界がどっぷりと闇に沈み、月と星だけが光を届ける頃。
廃ビルのある一室。そこに男のつぶやきが響いた。
少しよれたベージュのジャケット、青のジーンズ。前髪は長く、右側に流れていて、片目を隠していた。履き潰した黒いブーツを鳴らし、豆電球の明かりが頼りなく滴る部屋を進んでいく。
部屋の中心部に辿り着くと、男は片膝をついた。そっと指を伸ばし、床を撫でる。さらさらと触れる砂の中に、きらきらとした銀の破片が見えた。
何時間前に、人の手によって、砂と化したCDディスクの残骸であることを男は知っている。
「…よく持ちこたえたね」
男は、破片に向かって微笑んだ。
触れたまま静かに目を閉じる。その欠片ひとつひとつを確かめる様に、彼はそれらをなぞる。苦労をねぎらうように、傷に泣く赤子をあやすように。優しく、ゆっくり撫でた。
「大丈夫、繋ぎ合わせるから」
誰に言うでもない。
それでも呟いた。
指揮者が命じ、指を鍵盤に乗せる。そんな時間が、必要で重要だからだ。
男だけが佇む部屋に、静かに、でも確かに、もぞもぞと音が鳴りだした。
この音を知る者は、この世界には少ない。
エレキギターから鳴る、ミュートしたままの旋律。
ぽろぽろとひとつひとつ。雫がぽつぽつおちるように鳴る。
繰り返し繰り返し。曲の始まりを告げる音の並び。
男は立ち上がる。
それを待っていたというように、ギターの音へ合流していくハイハットの音。静かに重なり合えば、そこはもう、廃ビルの一室ではなくなっていた。
部屋の中だと言うのに、夜の空が見えていた。
時折星の光が見えるようだったが、はっきりと光をとらえられない、曖昧な夜空。そして、何もなかったはずの廃れた部屋、男の佇む場所から数歩の場所に、ピアノがあった。むき出しのままの鍵盤には土や埃が見える。
ギターとドラムが歌い続ける中、ゆっくりとベースの低音が響いた。長い一音が整い始めたビートへ重なっていく。
男の指が、鍵盤に触れる、その刹那。
廃墟の一室に、星のギターが弾けた。
その歌声には、澄んだ氷のような美しさの中に、燃え尽きる事のない炎を閉じ込めたようだった。泣き出しそうな夜空に、流れる光の軌道を描き出す。その声が語る物語は、消えた景色だ。廃墟のモノクロを裂き、星の残像を描き出すメロディーなのだ。
その音は、その声は、どこからなっているのか。
男は、そもそもこの部屋に存在していないはずの、音の出るはずのないピアノの鍵盤を、懸命に叩き続けているだけだ。
何もないはずのない部屋、男一人が佇む部屋。それなのに、力強いバンドの音とその上を軽やかに跳ねる歌声が、奏でられている。
より一層ドラムが弾け、声が昂る。響き続ける曲に、男はついに声を重ねた。聴こえる硝子のような歌声と似た、しかし少し擦れている声を重ねていく。完全なユニゾンが聴こえた時、煌めきは目を覚ました。
男とピアノの傍ら、砂だったはずの欠片が、少しずつ、忘れられようとしていた形を取り戻していく。きらきらと光る欠片が割れていたプラスチックのケースへ集まっていた。
豆電球の光だけだったはずの部屋に浮かぶ、星も見えない夜の景色。
その中で、ピアノは輝き、男は歌う。
曲はどこからか生まれ、そして。
粉々だったはずのCDディスクが、その姿を取り戻し出した。ないはずの光を反射させながら、切り裂かれたはずの物語を取り戻していた。銀の円盤。それがケースに収まっていく。
ベースが名残惜しくメロディーを歌った後。
部屋の中心には、片目を前髪で隠した男とCDのディスクが佇んでいた。あれだけ響いていた轟音は既に止み、豆電球の光だけが男を見ている。あったはずのピアノは消えていて、天井を覆っていた夜空は無く、灰色の廃ビル、その一室が戻っていた。
「…おかえり」
男は足元にあるCDへ手を伸ばした。微笑みながらかけた言葉は、たったひとりのオーディエンスに向けた労いでもあった。
着慣れたジャケットの大きなポケットにCDが入ったケースを突っ込む。そのまま、満足な表情を浮かべた足取りで、何もない部屋を後にする。
廃ビルのある一室。しばらくは足音が男の存在を伝えていたが、そう長く経たないうちに、完全な静寂が一夜限りの公演に幕を引いたのだった。