天ヶ峯の山麓に位置し、本尊は阿弥陀如来像を祀っている。伝承によると、徳川始祖松平親氏が、天ヶ峯山頂において天下泰平、国家安隠の祈願を行い、その山麓に安全寺を創建した。高月院寛立上人を開山とし、親氏自ら仁王尊像を刻み山門に安置し、救世観音菩薩像を本尊とした。
松平氏五代長親は落髪し天下道閲と号し、この寺を隠居寺と定め、堂宇を再建した。時を経て天ヶ峯の山津波(宝永4年富士地震のときか)により、堂宇全て流され土中に埋没した。この時仁王尊像一体を漸く掘り出し、小堂へ安置した。天明年間(1781~1789年)奥殿領主、及び本山知恩院の取り持ちにより、堂宇を現在地へ再建した。