碑文によりますと「原田十吉は明治27年9月15日の日清戦争平壌城攻撃において玄武門破り先頭の勇士として日本全国に高名をうたわれた。また兵役終了後は、この地にあって農業に専念し養蠶や果樹、あるいは施肥米作では当時反当り16俵の多収穫に成功して県知事賞を受けた篤農家でもあった。生家には軍隊手帖、玄武門破りの錦絵、十吉宛の国民の感謝激励文集、東本願寺特別下賜御名号入の厨子、歩兵第18連帯従軍名簿録等をはじめとするいろいろおの遺品が保存されている。」