"Jodo shinshu no sukui no yorokobi " para ver la versión española "Jodo shinshu, el regocijo de la salvación" veálo en la subpágina de "En español"
南无阿彌陀佛 なもあみだぶつ なんまんだぶつ なんまんだぶ なんまんだぶ なんまん・・
浄土真宗(じょうどしんしゅう)の救(すく)いのよろこび
阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願(ほんがん)は
かならず救(すく)うまかせよと
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)のみ名(な)となり
たえず私(わたし)によびかけます
このよび声(ごえ)を聞(き)きひらき
如来(にょらい)の救(すく)いにまかすとき
永遠(とわ)に消(き)えない灯火(ともしび)が
私(わたし)の心(こころ)にともります
如来(にょらい)の大悲(だいひ)に生(い)かされて
御恩報謝(ごおんほうしゃ)のよろこびに
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)を称(とな)えつつ
真実(まこと)の道(みち)を歩(あゆ)みます
この世(よ)の縁(えん)の尽(つ)きるとき
如来(にょらい)の浄土(じょうど)に生(う)まれては
さとりの智慧(ちえ)をいただいて
あらゆるいのちを救(すく)います
宗祖(しゅうそ)親鸞聖人(しんらんしょうにん)が
如来(にょらい)の真実(まこと)を示(しめ)された
浄土真宗(じょうどしんしゅう)のみ教(おし)えを
共(とも)によろこび広(ひろ)めます
南无阿彌陀佛 なもあみだぶつ なんまんだぶつ なんまんだぶ なんまんだぶ なんまん・・
◆浄土真宗の救いのよろこび 南无阿彌陀佛 なもあみだぶつ なんまんだぶつ
阿弥陀如来の本願は
かならず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のみ名となり
たえず私によびかけます
阿弥陀如来さまとは?本願の如来さま 本願とは?かならず救うまかせよの仏心
その仏心は?南無阿弥陀仏と仕上がり その南無阿弥陀仏は?よび声となってたえず私に
つまり、阿弥陀如来さまはどこに? たえずよびかけられなければならない私のところに!
どの様に? 私を包み込んで、私の中より南无阿彌陀佛と私の口を媒体としてよびかけます!
南无阿彌陀佛 なもあみだぶつ なんまんだぶつ!
このよび声を聞きひらき
如来の救いにまかすとき
永遠(とわ)に消えない灯火(ともしび)が
私の心にともります
よび声を聞き開くとは?南无阿彌陀佛の中に「救う阿弥陀さまと阿弥陀さまに救われる私」
が”一つ”に仕上がっています。その様に南无阿彌陀佛が聞こえる!
如来の救いにまかすとは?その様に南无阿彌陀佛をいただくことが”まかせた”ことになる!
そうすれば?決して消えることのない安心の灯火が私の中にともります
如来の大悲に生かされて
御恩報謝のよろこびに
南無阿弥陀仏を称えつつ
真実(まこと)の道を歩みます
阿弥陀さまのお慈悲の中で南無阿弥陀仏が常に新しく聞こえます!常に聞くとは常に称えるこ
と!自ずと御恩報謝のお念仏になり、生死(まよい)の中にありながら空しく過ぎない真実(ま
こと)の道へと転じられます。
この世の縁の尽きるとき
如来の浄土に生まれては
さとりの智慧をいただいて
あらゆるいのちを救います
死ぬのではなく、生死(まよい)のいのちが縁尽きて、即お浄土へたどり着きます。阿弥陀さ
まと同体のさとりと同時に有縁のいのちを目覚めさせ、お念仏称えさせ、お浄土へ迎とるはたら
きが恵まれます。
宗祖親鸞聖人が
如来の真実(まこと)を示された
浄土真宗のみ教えを
共によろこび広めます
親鸞聖人さまが顕かにして下さった、浄土の真宗・阿弥陀如来さま・南无阿彌陀佛の真実の救
いを共々よろこび広めて参りましょう!
南无阿彌陀佛 なもあみだぶつ なんまんだぶつ NANMANDABUTSU!