・柳霞の創作目的
私は文字が大好きです。世界にはたくさんの文字がありますが、表意文字はともかくとして表音文字についてずっとこう考えていました。
「曲線や、直線や、点みたいな全く意味のないものの組み合わせたる文字が音を成すのは何故だろう」と。
結論とまでは行きませんし、ましてや当たり前と言ってしまえばそれまでなのですが、それは人間の集団が、「曲線、直線、点」と言った物の組み合わせの記号に対応してある特定の音を表すと、「音を持たせた」からだという結論に至りました。
例えば、「P」という文字がここにありますが、皆さんはこれを何と読むでしょうか?
たいていの場合この文字のことを「ピー」と読むかと思います。(もっとも、仮名文字であらわそうとするのには限界があるのですが…)
しかし、それも集団が違えば読み方が変わってきます。
~ラテン語、ドイツ語、オランダ語、インドネシア語の集団では「ぺー」
~フランス語、スペイン語の集団では「ぺ」
~イタリア語の集団では「ピ」
~エスペラントの集団では「ポー」
~ギリシア語の集団では「ロー」
~ロシア語、ウクライナ語、キルギス語の集団では「エル」
~ブルガリア語の集団では「ル」
~化学関連の集団では「リン(元素名)」
~運転手の集団では「駐車場、パーキングエリア」
というように、同じ「P」でも、この記号(文字)を使う集団が変わればこんなにも読みが変わるものなんです。ましてや、時に意味が付されることすらあるのです。
つまりこれがどういうことか。「A」だって「エス」と呼んでいたかもしれないし、全く訳の分からない記号が「ディー」と読まれていたかもしれないということです。
文字というのは集団、つまりある特定の言語の話者内に限って普遍的ではありますが、一歩その外に出てしまえば通用しないという儚さを持っていると思うのです。
そんな「文字」という美しいものに惹かれて、「私も文字を作ろう!」と思ったのです。
この文字についてはのちに語りますが、「北星文字」という表音文字を作ったのちに物足りなくなった私は、実際にこの文字を使って表記される言語が存在して、
「それで会話ができたらとても楽しいだろうな」と思い創作したのが、徐々に構築されつつある柳霞です。
・柳霞の長所
柳霞の長所は何といっても、日本人にとって馴染みやすいものだと言うことです。
柳霞は、日本語と同じくSOV型である上に、膠着語だということです。世界の言語の45%がSOV型、つまり「SがOをVする。」の語順です。
ここでSOV型や膠着語について書きだすと長くなりそうなので、別項目で書きます。
そもそもが、日本語の構造が根幹となっているので日本語話者向きといっても過言ではないと思います。
また、北星文字の作成も仮名文字に対応させて行ったため、日本語の発音と同じ音がかなり多いです。
ただ、簡単かと言われると微妙なところです。学習においての欠点を次項で述べたいと思います。
・柳霞の短所
柳霞の短所は「フィーリングの言語」であるというところです。かみ砕いていうと、柳霞の語彙は極少数を除いて私の美的感性に基づき0から作成しているということです。日本語とも英語とも中国語ともない、独特の聞き心地であるというところです。強いていうのであれば、何となくロシア語のような響きがあります。
そして、もうひとつは、この言語の始まりが「文字の制作」から始まっているということです。多くの人にとって全く見たこともないような外見を持ち合わせているこの文字は、外字エディタ―でフォントの作成をしない限りコンピュータ上で入力できません。それは柳霞普及にとって大きな障壁の一つです。そこで、表記のルールを定めた上で、ラテン文字での表記を可能にしました。そのルールについてはこちらで。
そして最後に、SOV型であるということです。「あれ?これは長所じゃないの?」と思った方もいるかと思いますが、そうなんです。日本語話者にとっては長所なんです。しかし、英語やドイツ語、フランス語といったインド=ヨーロッパ語族の言語や、中国語などといった規模の大きい言語は大抵SVO型です。
このことが、世界的な普及を阻む大きな欠点であることは明らかです。このことに対する策はないことはないのですが、言語の根本的な体系が大きく変わることとなるのでそれはしません。思いついた策というのはSOV版とSVO版を作り、お互い共通の語彙を使えるように調整するという方法です。それを実際に行った人工言語もあります。
ただし、世の中には物好きがいるものです。言語として創作に応用できる程度の語彙数と文法さえ揃っていれば向こうから来てくれるものです。
私もそうやって言語の世界に足を踏み入れました。当面は語彙数を増やすことを最大の活動としていきます。
・柳霞の世界観
まずは柳霞という名称の由来についてです。「柳」というのは皆さんご存知「やなぎ」のことです。柳の枝というのは良くしなります。
「霞」というのは「かすみ」のことで、春に発生するものです。霧は秋なんです。この二つの言葉を組み合わせて次のようなことを伝えているつもりです。
「柳の枝のようにしなやかに困難に向き合い、霞のように日が昇れば消えてしまうけれど、人目に付かないところでも恥じない生き方をしよう。」
ただし、この「柳霞」という名前が意味しているのはこれだけではありません。”Ryûka”というのは、柳霞において「真理、深層」を意味します。
この言語を使いながら物事の深層に潜む真理に近づいていこうという意味もあります。神は細部に宿るのです。
次に世界観についてです。先ほども少し触れましたが、深層探求と現実の考察です。現実のあり様をひたすら考察し、施行するというものです。
要するに、世界の深層に隠れていて、誰も見たがらないようなマイナス部分を引きずり出して直視させることによってそれすらもプラスに変えて行こうということです。
皆がひた隠しにして来て見たがらないものをわざわざ引っ張り出して見せるというのはとても残酷なことですが、それすらも必要なことだと感じています。
なので私がこの言語を使用して小説や何かを書くときにはかなりえげつない話ばかりが出来上がると思います。