上田(アゲタ) 豊 著 残照のヤルンカン
1973年5月16日、京大学士山岳会のヤルンカン学術遠征隊(西堀隊長)の松田隆雄、上田豊の両氏が初登攀に成功したというニュースが報じられました。しかし、喜びもつかの間で、翌日には松田さんが下山途中に行方不明という報道がありました。
松田さんは17期のキャプテンで、マメさんという愛称の快活で頼りになる先輩でした。大学も同じで、たまに会うと笑顔で挨拶してもらっていたのですが・・・。あの頼もしかった松田さんだけが何故死んだのかという疑問が消えなかったのですが、上田氏の「残照のヤルンカン」を読んで、長年の謎が解けたような気持ちになりました。
ヤルンカンはカンチェンジュンガ山群の西峰で、頂点に達するには急な斜面の長いトラバースが必要でした。シェルパとポーターに人材が確保できなかったため、ベースキャンプの設営が遅くなり、更に、悪天候と急峻な地形のため、当初予定の第6キャンプを設営できず。サポート隊が途中に交換用の酸素ボンベをデポする形で、500mを一気に登るラッシュアタックが敢行されました。登攀には成功したものの午後4時になっており、下降時は暗闇になって、風を避ける場所もなく、ビバークもできませんでした。松田さんはリーダーとしてデポ地付近まで先導しましたが、酸欠状態で動けなくなり、上田さんは松田さんのためにボンベを探そうとして彷徨し、意識を失なって崖のふちで眠ってしまい、朦朧としながらも救援隊の呼ぶ声に反応して救出されました。救援隊はすぐに松田さんを探しましたが折れたピッケルが見つかっただけでした。
本書は登山報告としても好書であり、松田さん追悼の書でもあります。
極地法の実際を感じ取るためにあらましを行程表にして見ました。極地法によるアッタクの様子を感じ取ってください。