もぎ すず(茂木 鈴) 公式
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泰山国の志記
本作品は、『かつて死弁と呼ばれた男』の特典SSになります。
かつてこの世は地獄だった。
官僚の腐敗は進み、人の命はまるで枯れ葉のように散っていった。
そんな最悪の状況を打破しようと、一人の男が立ち上がった。
男の名はガラン。かつて国から、死弁の刑を受けた男である。
ガランはまたたく間に人心を掌握し、人々に希望の芽を受け付けた。
彼のおこした反乱……それは一地方からはじまったものだが、ついに国をも屈服させるに至ったのである。
新しい国――泰山国がおこって三年。
立て役者の一人であるテグリは悩んでいた。
「さて、どうしたものか」
日頃より、何事も即断即決してきたテグリとしては、いささか珍しいことである。
一緒に働いていた部下たちは、何か緊急かつ重大な事件でもおきたのだろうかと、噂し合った。
「少々知恵を借りに出かけてきます」
「……はい。いってらっしゃいませ」
どうやら、だれかのところへ相談しにいくらしい。
テグリの手に負えない事態が生じたのだ。これは由々しきことである。
見送った部下たちは、これからおこる動乱を幻視して、ブルッと震えた。
「……というわけなのですが、どうしたらいいでしょうね」
テグリが相談に向かった相手はシンシイである。
テグリはよく、だれにも相談できない話をシンシイのもとへ運んでくる。
今回も同様である。
話を聞いたシンシイは難しい顔をした。
「無難に石碑でいいのではないでしょうか」
「それですと、かなり省略しなければならないのです」
「そうですね。それでは不満ですか?」
「正しく、後世に伝えたいのです」
「でしたら、書がよろしいのでは?」
「火事で焼失するかもしれませんし、盗まれるかもしれません。仕舞ったまま出てこないことも考えられます。……結局、書ですと散逸する可能性がありますので、どうしても別の方法がいいと思うのです」
「そうですか……困りましたね」
「ええ、困っているのです」
テグリは一体、何に困っているのか。
「しかし、建国の志を後世に残したいというのは、考えましたね」
「私どもが何を考え、なぜ行動したのか。そのことをしっかりと残しておきたいのです」
「いいことだと思いますよ。初心忘れるべからずですね。実際の出来事ではなく、そのときの心を残したいだなんて」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですが、はてさてどうしたものでしょう」
「うーん……どうしたらいいですかね。ちょっと考えつきませんね」
やはりシンシイにも、名案はないようだ。
テグリが残したいという建国の志。
これは『諸在団』が結成され、いざ行動におこそうとなったときにガランが皆に伝えた言葉だった。
言葉にすれば短いものである。だが、その本質は別にあった。
ガランは世の情勢や当時の状況を正確に把握していた。
その上での言葉なのである。
あとでそれを聞いたテグリはいたく感動し、ガランの言葉と周囲の思いを後世に残したいと考えた。
ここで困ったのは、どういう形態で残すかである。
ただガランの言葉だけを残してもいいのだが、長い年月のうちに解釈が変容してしまうかもしれない。それは困る。
では、当時のことをすべて残そうと思ったら、やたらと長くなってしまう。
できるだけ正確に、それでいてしっかりとした形で残したいと考えたテグリは、こうしてシンシイに相談したのだが、よい案はもらえなかった。
「いっそ、どこかの壁にデカデカと彫ってみますか……いや、結局それでは……」
ほとほと困り果てたテグリは、この思いが冷めないうちになんとか形にしたいと考えた。
「……よし」
意を決してガランのもとへ急ぐ。
普段、学がない、学がないと言っているガランであるが、こういうときは一番頼りになる。
「というわけなのですが、何かいい知恵はないでしょうか。私としては、いくつもの石碑に分けてでも、残したいと思うのです」
テグリの話を黙って聞いていたガランは、首を横に振った。
否ということらしい。
「なぜです?」
当時の思いを石碑にする。後世に残すには、一番確実な方法である。
たしかに膨大な量になるかもしれないが、|廟《びょう》を建て、中に順番通り並べておけばいいのではないか。
テグリはそんな風に思っていた。
「国は滅ぶものだ」
ガランの答えは単純だった。
国は滅ぶ。ゆえに石碑も同じだと言いたいらしい。
「国は滅ぶもの……ですか……ははっ……」
この地に巨大な国があった。それが滅び、いまテグリたちがいる。
ガランを頂点としたこの国も、いつか滅ぶかもしれない。
だがそれを当然と受け入れられるかといえば、否だった。
建国のために奔走したテグリからしてみれば、国など滅んで当然などとは、考えられない。
書物に書こうとも、石に彫ろうとも、次代の為政者が不要と判断すれば、それは無に帰してしまう。徒労になるのだ。
「で、では……どうすればいいのでしょう」
それではどうしようもないではないか。そんな気持ちを込めて、テグリは尋ねた。
「歌にでもすればいい」
「……はっ?」
話は済んだとばかり、ガランの興味が失せたのをテグリは感じ取った。
「……歌ですか? いや、歌ですか」
ふむとテグリは考え込んだ。
どれくらい時間がたったであろうか。
テグリは動いた。
「歌い手を集めてください。戯曲を書ける人も! 詩人もです、なるべく多く、すぐに、すぐにです!」
こうしてその方面に詳しい者たちが多数集められた。
彼らを前にして、テグリは興奮気味に建国の志を語った。
「これを歌にしてください。戯曲にでもです。誌にもお願いします。さあ、やるのです」
大号令である。
芸術家たちが創作したものをテグリが見極め、建国の志は少しずつ形を成していった。
そしてついに、完成した。
巻物にして、七巻におよぶ大作である。
戯曲で演じようとすれば、四時間を越える。
「さあ、完成しました」
満面の笑みを浮かべるテグリに、ガランは何も言わなかった。
世に名高い『泰山国の志記』はこうして生まれた。
ガランがそこまで見越していたのか定かではないが、時代が移り変わろうとも、その演目は変わることなく、建国の志は多くの観衆を魅了してやまなかった。
なかでも、三幕の終わりに歌われる「泰山国賛歌」は、多くの人に親しまれた。
国が亡くなり、その記録が失われても、『泰山国の志記』や「泰山国賛歌」は人々の心に残り続けた。
のちに『泰山国の志記』は無形の文化財一号として登録されるのだが、テグリですら、予想していなかったに違いない。
あの時代、もしガランが、テグリが、そしてシンシイがいなかったら、地獄はまだまだ続いていた。
泰山国の志記は、大昔の人々の心をまるでいま見聞きしたかのように、思い起こさせる。
〈了〉