もぎ すず(茂木 鈴) 公式
Suzu Mogi Official Site
もぎ すず(茂木 鈴) 公式
Suzu Mogi Official Site
最側近のお仕事
本作品は、『漂泊の軍師 異世界救主の駒になりました 2』の特典SSになります。
リカルド・ブルームハルトの最側近であるミラは、主人の部屋をノックするため、拳を振り上げたままの状態で止まった。
部屋の中から、かすかに人の声が聞こえる。
ミラは半歩だけ扉に近づき、耳を澄ました。
「ぐああああああああ……」
主人の呻き声だ。
ミラの主人はいま、ベッドの上でのたうちまわっているか、椅子に座り、頭を抱えているのだろう。
先日、王立軍事学院の卒業式と出征式が、同日に執り行われた。
馬車で待っていたミラは知らなかったが、主人であるリカルドは、そこで大きな失敗をしたらしい。
「用紙がぁ……準備した用紙がぁ」
出征式が終わり、戻ってきた主人はそう言って胸をかきむしっていたのである。
出征式でかなりトラウマになる出来事があったようで、リカルドは家に着くまでの間、「なぜだあああ」と声をあげていた。
あまりに苦しそうだったので、ミラは主人に内緒で何があったのか調べたほどだった。
他家の使用人を通じて出征式の様子を聞いたところ、リカルドは壇上でみなの前で見事な演説を披露したという。
その場に居合わせた学徒は、大いに盛り上がったのだとか。
控えめに言っても大成功だったと、その使用人は語っていた。
失敗どころか、賞賛されてしかるべき演説だったらしい。
(出征式は関係ないのかしら……?)
不思議に思うものの、その日、リカルドが関わったのはそれくらいしかない。
参加した多くの者がリカルドの演説を絶賛したのだから、トラウマになるほど気を病む必要はない。
おかしいと思いつつも、リカルドの様子が変わったのはあの日からで、ときおりこうして「時間を巻き戻したいいいいい」とか「なぜなんだああああ」と呻いているのを見かけている。
いまはそっとしておいた方がいいだろうと、ミラはそのまま踵を返した。
「リカルド様のご様子はどうでしたか」
居間に戻ると、執事のクレスがいた。
「一人にして差し上げた方がよいかと思いまして、戻ってきました」
「そうですか。何か思い悩むこともあるのでしょう。なにかあれば、支えてあげてください」
「はい。もちろんです」」
どうやらクレスも、最近の奇行は気にしているらしい。
「それはそうと、最側近としてリカルド様との接し方を少し変えてみてはいかがでしょうか」
「接し方ですか?」
「接し方と距離ですね。習っていると思いますが」
「はい……そう、ですね。考えてみます」
「それがいいでしょう」
クレスは柔和な笑みを浮かべて、仕事に戻った。
ミラは貴族の側近として働きながら、外部の教育を受けている。
およそ十日に一度、学校に通い、使用人や側近としての教養やマナー、仕事などを学んだのである。
王都にある使用人学校は、とにかくレベルが高く、また学費も高い。
通常、これはという使用人を貴族が金を払い、通わせる。
期間は一年で『初級』は終了となる。
使用人として人を動かす場合は、もう一年通う。
『中級』終了となると、実力は申し分ないと判断され、使用人としてもそれなりにハクが付く。
待遇が悪いと、他の貴族へ自分を売り込むことあったりする。
最側近になるには、この『中級』を終了しているのが望ましいと言われている。
ミラの場合、その上である『上級』も終了している。
『上級』は、講義や講習、実習などが一切なく、毎回試験が行われる。
それに合格した者のみが『上級』の修了書を手にすることができる。
『初級』や『中級』ですら、修了への難易度が高いと言われている。
にもかかわらず、『上級』はそれこそ落とすためのような試験になっていると噂されている。
それこそ王宮で働くような、ひとつのミスすらも許されない環境で働く使用人を想定しているのだ。
ミラはこの学校で、使用人と主人との距離について学んでいる。
講義の中では、「主人が望む距離」をとることが使用人の理想だと教えていた。
答えはない。主人の評価こそが答えと言える。
これのいやらしいところは、主人が「こうと言ったから」が正解でないことだ。
主人が適宜、適切な距離感を使用人に告げられるとは思えない。
ゆえに使用人は、主人の言に惑わされず、最適な距離を取らねばならないとされている。
これが存外、難しいのだ。
これまでミラは、リカルドに対して決して出しゃばらず、余計なことをせず、聞かれもしないのに口を出すことのしない、完全な受動型の使用人として振る舞ってきた。
リカルドが望んでいるのは、干渉されないことであり、助言を含めて、気の利いたひと言すら必要のないものだった。
何とも使いがいのない主人であろうか。
だが最近、主人の行動に変化が訪れてきた。
分からないことは聞いてくるし、不必要と思っても、忠告めいたことを口にすると「ありがとう。助かったよ」とお礼を言ってくる。
「たしかにいま一度、リカルド様との距離を測り直す必要がありそうですね」
行動に変化がおきた理由はどうでもいい。
必要なのは、主人が何を求めているからだ。
主人が口に出さなくてもそれを理解し、実践するのが最側近である。
ミラはもう一度リカルドの部屋の前に行った。
「サビオ、先輩は酷いんだ。分かってくれるのは、お前だけだよおおおお」
ペットに語りかけている声が聞こえた。
まるでだれかにとどめを刺されたかのような言いように、ミラは少しだけ首を傾げたが、コホンと咳払いをひとつすると、扉をノックした。
最側近ミラの新しい仕事がはじまった。
〈了〉