もぎ すず(茂木 鈴) 公式
Suzu Mogi Official Site
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プロフィール
私のライター履歴の紹介です。
大学生時代に『ワープロ打ち』のアルバイトをしていました。
データ入力やテキスト入力と言われているやつです。
在宅ワークではなく、事務所でひたすらタイピングです。
1990年の初頭です。ワープロ技術者なんて人がまだいた時代だったりします。
そこに通ううちに『デザイン事務所』を紹介してもらい、大学卒業後もそこでアルバイトを続けていました。
バブル期でしたので、仕事はいつでもありました。デザイン事務所なのに『編集プロダクション』のような仕事も受けていました。雑誌の誌面も担当するわけです。
当時は、いまでは考えられないくらい雑誌が出ていまして、書き手もカメラマンも不足していたのだと思います。
締め切りがいつもタイトで、仕事が来たら一気に提出までもっていくスピーディさが求められました。文章構築の早い私は、かなり重宝がられました。
その頃は進学塾の教師をしていまして、中学受験から大学受験まで小学生から浪人生まで、オールラウンドに教えていました。この『デザイン事務所』には、時間のあるときだけ通っていました。
そして世の中が移り変わります。
巷間によくある『在宅ライター』の仕事です。
進学塾の教師は兼業がしやすいので、家業を手伝いつつ、二足のわらじならぬ、三足のわらじを履いていた感じです。
実家は農家をしていましたが、余っている土地の資産運用をしなければならず、かといって祖父や父は農業一筋。知識も経験もありません。私が担当するしかなかった感じです。
このWebライターは、自分で仕事内容を選べること、自分のペースで随時追加できることが合っていたため、かなり長く続けていました。結構最近までやっていました。
複数の大手サイトに登録して仕事を受けるのですが、このシステムって『冒険者ギルド』に似ている気がします。指名依頼もよくきますし。
この頃のライティングで、せっかく提出したものがリテイクになったり、評価C(たとえばですが)になったりすることがあり、完成させるだけでなく、文章クオリティにも気を使うようになりました。
文章力が上がったと感じたのは、この経験があったからだと思います。
有限会社『ホビー・データ』で4年弱、ゲームマスターをしていました。
商用PBMと言われるもので、ユーザーがお金を払い、キャラクターを作成。それを小説に登場させるものです。
毎月締め切りがありますが、他にも仕事をしていましたので、結構大変だった思い出があります。
最終的にゲームマスターを指導する『グループリーダー』という役職につき、全体の基幹シナリオのひとつを任されたりと、それなりの活動をしていました。
ホビー・データの看板ゲームであるアラベスクシリーズを担当していたこともあり、毎月多くのファンレターをもらい、「こういうのいいかも?」と思い始めました。
また、ホビー・データ出身のライトノベル作家A氏からは、個人的にシナリオや小説のノウハウを丁寧に指導いただきました。
当時まだA氏はデビュー前で、編集の仕事をしていたのですが、私を出版社に連れて行ってくださったりと、様々期待をかけていただきました。
ただ残念ながら、ホビー・データは時代の中に消えていきます。
ホビー・データが急速に傾く中、webライターの仕事を続け、ライティング仕事の中身を通常の案件から、ゲーム方面にシフトさせていきました。
この辺は、ホビー・データの仕事経験が生きていたと思います。
この頃になると、Web検索に引っかかるライター登録業者にはすべてエントリーしていたと思います。
ゲームライティング仲介業者に登録したのもこの頃です。
ここでライター担当のH氏と出会います。
当時はブラウザゲームが全盛で、そういったゲームが月に何十本とリリースされている時代でした。
H氏から次々と仕事を依頼され、ときには中途でデスマーチになっているところへヘルプで参入したりと、ゲームシナリオライティングの経験を積ませていただきました。無茶振りされたともいいます。
時代の変遷とともに、出版業界は不況の時代に入っていました。
実はこの頃、出版関係で受けていたライターの仕事で、立て続けにライティングの仕事を反故にされたり、相手との連絡がつかなくなったりと、口約束ゆえのいい加減さで、腹立たしいことがおきました。ようは舐められたわけです。
出版業界はアテにならない、信用できないと、後ろ足で砂をかけて去っていきました。
個人対出版社は、どうしても個人が不利になります。そんな業界に嫌気が差したわけです。
いつだったか、たまたま夜にヒマな時間があり、ネットサーフィンで見つけたweb小説を読んだところ、とてもおもしろく、記憶に残った作品がありました。
読んだのは『魔法科高校の劣等生』です。
そのことはすぐに忘れ、何年(?)か経ったある日、当時ネットで読んだことのある書籍が売られていることを知りました。同時に、web小説の方はそのうち削除されることを知り、慌てて読み直しに行きました。
そのときはじめて、当時訪れたサイトが「小説家になろう」であることを知りました。
個人でwebサイトを運営し、小説を発表しても読むに来てくれる人は限られますが、こういう大手のサイトに投稿すれば、多くの読者に読んでもらえるのだなと、半ば感心した思い出があります。
調べたところ、『魔法科高校の劣等生』は2012年1月3日に削除されたようです。
ちなみに私は、消される前にpdfで保存し、いまでも大切に持っています。
ゲームシナリオライティングの合間に通常のwebライターをしていましたが、ホビー・データーで書いていたように、また小説を書きたくなります。
いつかあったあのサイト、名前なんだっけ……ということで、「小説家になろう」を探して、再び訪れました。
累計1位は『魔法科高校の劣等生』から『異世界迷宮で奴隷ハーレムを』に変わっており、それを読みつつ会員登録し、構想を練った上で投稿をはじめました。これが2012年夏のことです。
小説の投稿をはじめたものの、年内にはいなくなっているかも。というレベルの熱意でした。
出版社もしくは出版業界にはいい思い出がないため、もし書籍化の話が来ても断ろうと思っていました。
ただ紆余曲折というか、投稿した小説に次々と書籍化の話がきたことで、いい加減だと感じた出版業界に舞い戻ることになったわけです。
忙しさでいえば、この時期が一番忙しかったでしょう。
ゲームシナリオライターとwebライターは、本数こそ減らしていましたが、完全に止めたわけではなく、それに加えて「小説家になろう」への投稿も続けていました。
そして作品の書籍化作業が待っているわけです。
どれだけ忙しいか分かるというものです。
書籍は、複数のシリーズを同時に出版していましたので、1カ月おきに発売ならばまだいい方で、2カ月連続刊行や、同月に2冊刊行ということもありました。
なかなかハードなスケジュールだったと思います。
ある日のことです。
とあるゲーム会社の人と面接したとき、私が社内で一番年上だったことを知り、愕然としました。
たしかにライターをはじめたのは大学生卒業間際。ゲームシナリオライターをはじめたのは独身の頃です。
いまは結婚して、子供はもう……大学生で、もうすぐ卒業です。
そりゃ、歳をとるわけだと納得です。
自分が社内で最年長だと、さすがに双方ともやりにくいだろうと考え、現在、ゲームシナリオライターはほぼ開店休業状態です。
話が来れば受けますが、積極的に仕事探しはしていません。
ただ、創作活動と執筆意欲は失われていませんので、何か別の形、もしくはしっかりとした形で世に残したいと考えました。
これまでのキャリアを生かし、何かないだろうか。
そう考えて、これまで書いたものを電子書籍にし、ゆるゆるとその分野で活動していこうと考えました。
そして今に至ります。