10月23日に、第6回メタサイエンス勉強会を開催し、メタサイエンスの制度化について、EBPMの制度化を参照しながら考えました。今回は、「メタサイエンスとEBPM(証拠に基づく政策立案)の制度化」を主題とし、メタサイエンスの世界的中心地の一つであるイギリスの具体的な制度化の動きを概観するとともに、日本でその制度化を考える上での政策学的な歴史的課題、特に一部EBPMの議論において提起される過度なエビデンス傾倒への警鐘について、深く掘り下げる議論が展開されました。
テーマ:「メタサイエンスとEBPM:それが日常になるために」
開催日時:2025年10月23日(木)18:00~19:00(希望者は延長して議論)
開催方法:オンライン(Zoom)
進行役:宮崎大学 清水右郷(研究会発起人)
ゲスト:岩手県立大学 杉谷和哉氏
開催趣旨:近年、メタサイエンス運動が拡大する中で、誰がどのようにメタサイエンスを推進するのか、とりわけ、メタサイエンスを制度的に支える仕組みについて考える必要が生じてきています。第6回は、EBPMの制度化をめぐる議論を参照しながら、メタサイエンスの制度化の展望をフリートークしました。
参加人数:約25名(オンライン)
<あらすじ>
あまり遠くない昔、すぐそばの近代国家で...
研究の信頼性は揺らぎ、科学は暗黒面に苦しんでいた。
旧態依然とする科学技術政策とエビデンスによる改革を目指すメタサイエンスは、運命に導かれるように衝突し、新たな秩序をめぐる壮大な決戦へと突き進もうとしていた。
そんな中、若きメタサイエンティストたちは、制度化の鍵を握る伝説の「EBPMマスター」を探し求める。だが、彼は過去の失敗に傷つき、改革の灯火を絶やそうとしていた。
社会の命運は、メタサイエンスとEBPMに委ねられた……!
主催:メタサイエンス研究会
共催:広島大学高等教育研究開発センター&共創科学基盤センター
※本勉強会はJSPS科研費25K00434「社会派科学哲学の構築」の支援を受けて行われました。
セミナーの冒頭、清水右郷氏から、メタサイエンスが世界的に注目を集める中で、日本における議論を「非日常的なメタサイエンス」から「日常的なメタサイエンス」と移行させ、実際の政策や制度設計に結びつける必要があると提起された。
清水氏から、英国のメタサイエンスの実践的活用の状況が紹介された。メタサイエンスを巡る議論はイギリスが主導しており、UKRI(United Kingdom Research and Innovation)、高リスク研究を支援するARIA(Advanced Research and Invention Agency)、非政府系の研究団体RoRIなど、多様な主体が活動している。
特に注目されたのは、2024年に設立された政府系組織でありながら「メタサイエンス」の名を冠したUK Metascience Unitである。このユニットは、年間約300万〜400万ポンドという比較的少額の予算で活動しており、リーダーは、資金配分機関での経験も持つ哲学者Ben Steyn氏と、EBPMエキスパートであるJen Gold氏の2名体制であり、人文知と実務的エビデンス活用のバランスが図られている。
このユニットの活動方針は、「科学の改善のために科学的方法を用いる」という基本方針の下、人文学や社会科学を巻き込み、さらにはアカデミア外(企業、財団、政策関係者)をも視野に入れた「社会変革を目指す運動」として位置づけられている点が重要であると指摘された。
具体的な成果として、清水氏は二つの事例を紹介した。
Distributed Peer Review(分散型査読): Metascience Unit自身の実施する公募事業において、申請者自身を査読者に含めつつ、対面での審議を省略し、アルゴリズムを活用することで迅速性と公平性の両立を図り、大幅な効率化を実現している。
Partial Randomization(研究資金の部分的ランダム化)への提言: 資金配分の一部をランダムに決定する手法について文献レビューを実施。その結果、初期段階のピアレビューによるスクリーニングの時点で判断バイアスや時間の問題が発生するため、この手法は「実はイマイチではないか」と、注目される手法に対し冷静かつ批判的な評価を提言している。
清水氏は、これらのイギリスの活発な制度化の動きを踏まえ、日本でも制度化を考える時期にあるとしつつ、日本のEBPM制度化の経緯の難しさを念頭に置いた議論の必要性を提唱し、杉谷氏の発表へと繋げた。
杉谷氏(岩手県立大学准教授)からは、公共政策学・政策評価論の専門的立場から、EBPMの議論が経済学中心に進む日本の現状に対し、政策学的な視点から歴史的教訓を提示する発表が行われた。
「エビデンス万能論」への警鐘
杉谷氏は、データやエビデンスに基づいて意思決定をするという現代のEBPMの議論は、データサイエンス等の発展の後押しも受けて盛り上がりを見せるものの、質の高いエビデンスさえあればすべてうまくいくという合理性を前面に押し出した発想が潜んでいると警鐘を鳴らした。この発想は危険であり、政策や科学を改善するためには、過去の日本の政策評価プロジェクトにおける経緯や失敗原因を歴史的に分析する必要があると主張した。
政策学におけるエビデンス活用の歴史的挫折:PPBS
現代のEBPMを考える上で、公共政策における最初期のエビデンス活用プロジェクトであったPPBS(Planning Programming Budgeting System:企画計画予算制度)の歴史的挫折が指摘された。
時代背景と目的: 1960年代のアメリカ(特にジョンソン政権の「偉大な社会計画」)において、科学技術の進歩を背景に、政策決定を完全に合理的に行おうとする運動が勃発。コンピューターによるシミュレーションで未来を予測し、その政策目的に合わせて予算配分を計画的に決定するという、極めて野心的な試みであった。
挫折と失敗の原因: PPBSは数年間で廃止(挫折)という結果に終わった。主な原因は以下の三点に集約される。
事前の予測不可能性: 社会の不確実性や複雑な変動要因によって、シミュレーションが現実の結果を再現できず、政策の意図せぬ影響を排除できなかったこと。
データ処理・分析の限界: 1960年代のコンピューター技術では、PPBSに必要な膨大なデータを処理・分析するには能力が不足していたこと。
政治の壁: 予算決定過程において、客観的なデータや合理的計画よりも、政治的な力学や交渉が優位に働き、合理的なシステムが政治の現実に対応できなかったこと。
これらをの挫折は「事前にすべてを合理的に計画・評価する」事前評価の難しさを示し、エビデンスの活用は計画段階から事後の評価段階へとその活路を見出すようになり、現在の政策評価の議論へと繋がっていった。
日本における政策評価制度の起源は、1990年代後半に三重県の北川正恭知事(当時)が始めた「事務事業評価」にある。これは、国や自治体の活動を「政策・施策・事業」のうち、最も具体的な「事業」レベルの観点から評価し、評価シートを用いて予算、活動、成果を定量的に評価するものであった。この評価が予算削減に成功した事例として全国に広まり、後の国の政策評価制度の形成に大きな影響を与えたと解説された。
一方で、これらの評価も積極的に次の政策立案に繋がる訳ではなく、評価自体が自己目的化・形骸化し、行政内部の行政評価・進捗管理へと転じる状況を生んでしまっている。杉谷氏はこれら自治体評価も有権者たる市民の関心を惹いている訳ではなく、政治家たが評価結果を積極的に活用する展開が期待できなくなってしまっていることで、形骸化に歯止めをかけることができないことを課題として指摘する。
近年のデータサイエンスやAIの興隆は、エビデンスの分析能力を高め、PPBSで失敗した合理化を今度こそ可能にするとの期待を集めている。杉谷氏は一方で、不可避な政治の関与を指摘する。政治による意思決定の介入は、エビデンスのチェリーピッキングや、エビデンスの不完全性を逆手に取った批判もあるものの、結果責任を取る立場としての政治の規範論的な不可欠性を杉谷氏は指摘する。同時に、エビデンス自身が中立性を語っても、政治過程に投入された途端に意味を付与され、問題のフレーミングやスティグマの固定化に寄与してしまうといった問題も存在する。これらを踏まえ、エビデンスさえあれば政策が作れるというのはいささか無責任であり、社会について無頓着すぎると杉谷氏は指摘する。
メタサイエンスとEBPMの接点となりうる、科学技術イノベーション政策は、早くからKPI(Key Performance Indicator)などの数的データを意識した政策が行われてきたが、明確なエビデンスは未だ探求中にあり、また不確実性の高い中ではEBPMの実現には至っていないという。このような環境下では、エビデンスとしては明らかに間違っている政策がしぶとく生き残る「ゾンビ・アイディア」が蔓延し、元に「選択と集中」政策は否定されても政策の中心に置かれている。また、科学技術政策の担い手が研究者であれば、研究を行う者自身が資金配分を決めることになるという利益相反の課題も厳しく批判されている一方で、研究者以外のトップダウンの管理では司令塔の乱立や管理の複雑化の問題も大きい。
杉谷氏は、これらの状況も踏まえつつ、科学技術政策立案の過程に関する研究の一層の発展を提起する。政策への知識の利活用においては、政策の対象となる科学技術自体に関する知識(inの知識)は不可欠に重要な訳ではなく、政策のプロセスの中でどのように活用していくかという知識(ofの知識)が重要であると指摘する。このような状況下で、多様なアクターを巻き込んでいく社会運動としてのメタサイエンスは非常に重要であると杉谷氏は述べている。
発表後のフリートークにおいては、様々な観点からの関心が寄せられ、議論が行われた。
· 試験的・実験的である英国の行政分野におけるメタサイエンスの活用
· 政策決定そのものと、科学哲学等の人文系研究が政策としてどのように関わるか(具体的な助言として貢献するのか、科学の在り方全体を政策の中で取り違えることのないようバランサーとして振る舞うのか)
· 昨今のEBPM論の背景にあるEBM(エビデンスに基づく医療)とのアクター公正の違いによる影響
· 評価者の専門性(利害関係を回避するか、内情を分かっていることを重視するか)
· エビデンス自体に内包する価値基準や政治性(中立性神話に対する批判)
· 政治のリーダーシップと助言者との関係性、合意形成の作り方(原発再稼働の議論等を事例に)
· 科学政策的メタサイエンスの牽引者(国の行政政策か、フィランソロピーの運動か)
· EBPMが見ていない政策領域(RCTが機能しない分野)の在り方について