2025年2月19日に、「第5回メタサイエンス勉強会:科学史から見たメタサイエンス」と題したオンライン勉強会を開催しました。
開催趣旨(参加者募集時の文面):メタサイエンス勉強会の第5回のテーマは「科学史から見たメタサイエンス」です。メタサイエンスは、科学という営みをよりよく理解し、その制度的・実践的な改善を目指すものですが、そこで言われている「科学」とは、いつ・誰にとっての科学なのでしょうか。科学の在り方は時代ごとに変遷しており、その歴史を振り返ることは科学を「メタ」に捉える一つの重要な軸になります。そこで、本勉強会では二人の科学史研究者をお迎えします。胡藝澤さん(京都大学文学研究科 外国人共同研究者)からは、1960~80年代の日本における行政の意思決定への情報技術導入に関する実証研究をもとに、昭和中期の技術官僚の科学技術観、および彼らの「メタサイエンス的」実践について話題提供をいただきます。続く鶴田想人さん(大阪大学 社会技術共創研究センター)からは、科学の担い手により知とともに「無知」が作られてきた「無知学」の視点も交えつつ、科学史が見渡す「科学」の多様な在り方が、今日のメタサイエンスに投げかけることについて話題提供をいただきます。歴史の方向に科学や科学政策を「メタ」に捉える機会として、また改めて「私たちの目指す科学とは何か」に関する意見交換の機会として、ぜひご参加ください。
開催日時:2025年2月19日(水)15:00~17:00
開催方法:オンライン(Zoom)・無料
プログラム:
企画者から開催趣旨説明
胡藝澤氏(京都大学文学研究科 外国人共同研究者)話題提供「1960-80年代のテクノクラシーとメタサイエンス」(30分)
鶴田想人氏(大阪大学 社会技術共創研究センター)話題提供「メタサイエンスにおける「科学」とは何か(仮)」(30分)
参加者を交えた議論(60分)
主催:広島大学高等教育研究開発センター
共催:メタサイエンス研究会、広島大学共創科学基盤センター
参加人数:約30数名(オンライン)
胡藝澤氏(京都大学文学研究科 外国人共同研究者)話題提供「1960-80年代のテクノクラシーとメタサイエンス」
まず、京都大学文学研究科の胡藝澤(こ・げいたく)氏から話題提供がなされた。1960〜80年代の日本における行政の意思決定への情報技術導入に関する実証研究を行ってきた胡氏からの発表は、とりわけこの時代の「メタサイエンス」の概念および実践に焦点を当てたものであった。
1970年代の日本では、異なる分野においてメタサイエンスという概念が使われていた。たとえば科学史家の伊東俊太郎は、1971年の『現代科学思想辞典』にて科学を反省する科学史や科学哲学を指す用語として「メタ・サイエンス」を扱っている一方、工学者のなかには脱工業化社会・情報化社会へと向かう時代の科学の重点の変化を「メタ」という言葉に込めていたという。ただし、それらの分野は断絶していたわけではなく緩く連動し、さらに当時の技術官僚たちとの接点も大きかった。1960〜1990年の2587件の共著者関係を調べた胡氏の計量的研究からは、工学研究者、技術官僚、人文・社会科学の研究者のネットワークが見えてきたという。
セクターをまたいだ「メタサイエンス」を巡る当時の言論には、情報化という大きな社会変革のなかで科学技術政策をより科学的にしていくというテクノクラシーの「夢」が託されていたと胡氏は指摘する。当時のシンクタンク設立の潮流ともあいまって、経験と勘だけに頼る政策決定を乗り越えるための多くの学術分野を巻き込んだ「総合的な科学技術政策」の必要性が謳われ、そのための野心的な情報システムの下絵が描かれた。
しかし、それらの構想をもとに実際に行政の中で作られたシステムはそうした野心には到底及ばず、1970年代のメタサイエンス的な実践の成果は限定的だったと胡氏は評価する。当時のメタサイエンスの意味は分野やセクターによって多様だったが、その境界は必ずしも明確ではなかった。今日のメタサイエンスにおいても、そうした多様性を明確にしたうえで、科学史・科学哲学の研究者と、政策・意思決定の関係者をつなぐ糸口を探ることが重要だろうと胡氏は結んだ。
鶴田想人氏(大阪大学 社会技術共創研究センター)話題提供「メタサイエンスにおける「科学」とは何か」
続く鶴田想人氏からは、科学史を含む科学論の視点から、今日のメタサイエンス運動をどのように見ることができるかについての話題提供がなされた。
近年のいわゆる「メタサイエンス運動」は2019年に米国スタンフォード大学で行われた「メタサイエンス会議」に起点を持つ。会議の参加者にインタビューを重ね、社会学の視点から同運動を分析した論文Peterson&Panofsky(2023)“Metascience as a Scientific Social Movement”がある。メタサイエンスは科学に対する⾃然科学的(定量的)な研究を通して 「科学」を「よりよく」する運動であるとされるが、そのときに「科学」とは何か、科学が「よりよい」とはどういうことかという問いは不問に付されている。後者については科学を対象とする⼈⽂学・社会科学的な質的研究(すなわち科学哲学や科学社会学)の蓄積があるが、メタサイエンス運動の初期においてはそれらが意図的に排除されてきたことが、Petersonらの論文では報告されている。
またメタサイエンス運動は再現性問題をその一つの中心的論点としているが、今日の「科学の危機」は本来再現性問題よりも大きなものであるはずだと鶴田氏はいう。そこには、1960〜70年代の公害問題に端を発するような科学の効率性や有用性を超えた、信頼性の問題がある。「科学の科学」と呼ばれるような計量的なメタサイエンスへの過度な比重は、今の「科学」のあり⽅をこれからも再⽣産してしまう懸念がある。こうした点を議論してきた人文・社会科学の蓄積を取り込むことで、メタサイエンス運動がより良い方向性に(その「良さ」の意味を再帰的に問いつつ)向かう可能性があるのではないかと、鶴田氏は提案した。
そこで一つのカギとなりうるキーワードとして、鶴田氏は「科学の多元主義」をあげる。近年の科学哲学には積極的に科学的実践の多元性の価値を主張する議論(例:Hasok Chang (2021) Is Water H2O?)もある。メタサイエンス運動のなかに多元主義を実装するうえで参考になりうる視点をとして、空間的な科学の多元性に着目したリヴィングストン『科学の地理学』や、知を生み出す人々の多元性に着目するシービンガー『科学史から消された女性たち』が例示された。
ディスカッション
その後のディスカッションでは、1時間弱にわたり、二つの話題提供を受けた議論が行われた。
まず、2023年のメタサイエンス会議に参加した丸山(メタサイエンス研究会運営補助)からは、鶴田氏が指摘したように質的な科学論を排除する形で始まったメタサイエンス運動は、その在り方への反省が近年なされ、科学技術社会論(STS)の論者を中心とする科学論の蓄積や問題意識を包摂しようという努力が見られるという補足がなされた。とはいえ、もともと科学コミュニティの中から出てきた今日のメタサイエンス運動が、再現性の担保や研究資金配分の効率性、研究情報の公開性といった価値を中心に議論を進めていることは否めない。
それに関連して、「科学の良さは誰にとっての良さなのか」という点が一つの中心的な論点となった。科学者やメタサイエンティストの外にいる「非科学者」も視野に入れた議論を、いかにしてできるのか。科学の手段の多元性だけでなく、「目的の多元性」を、メタサイエンスはどこまで扱うのだろうか、という問いが浮かび上がった。
もう一つの中心的な論点として、胡氏の発表における「70年代のメタサイエンス」と今日のメタサイエンスの共通点と違いがある。70年代当時の技術官僚の構想は今よりもはるかに野心的だったが、今日のメタサイエンスは歴史を踏まえるとどのように評価できるのか。技術的・社会的環境の違い、またメタサイエンスに関わるステークホルダーや期待の違いも含めて、どのように人文社会科学の視点も取り込んだメタサイエンスを実践しているのかについて、今後掘り下げが必要かもしれない。
科学の多元性というテーマに関連して、医療に従事している参加者の方から、「科学の指針が変化する中で、患者の行動に関してどこまで専門家の判断を必須とするのか」という問題意識が提起された。鶴田氏は、科学知に従わないことが実害をもたらすこともあるので難しさもあるが、すべて科学知に従えという態度にも抵抗がある、そこも含めた多元性をどう考えるかが今後の課題ではないかという見解が述べられた。
最後に、メタサイエンスは「壊れた科学を直す」というナラティブにもなりがちだが、科学をどうしたいのか、科学を通して何をしたいのかという、ある種の「夢」が重要ではないかという指摘がなされた。異なる立場の人は科学やメタサイエンスに異なる「夢」を託すが、その夢がどのように違っていて、どこが共通しているのかをまずは探ること、そこからメタサイエンスという大きな傘のもとで行われる実践が価値のあるものになっていくだろう、というひとまずの総括がなされた。