2024年12月11日に、「科学政策は何をしているのか:行政と研究の間で立ち止まる」と題したオンライン勉強会を開催しました。
開催趣旨(参加者募集時の文面):第3回のテーマは「科学政策と科学史・科学哲学」です。話題提供者には、行政での実務経験と、科学技術社会論の研究経験を積んだ気鋭の若手研究者である久保田唯史さんをお招きします。久保田さんからは、ご自身の経験や研究と共に、日本の科学政策を考えていく上での課題についてお話しいただきます。こうした話題提供に対し、伊勢田哲治教授(京都大学文学研究科)からは科学哲学の観点を踏まえたコメント、伊藤憲二准教授(京都大学文学研究科)からは科学史の観点を踏まえたコメントをいただき、科学政策に対するメタ科学の多様なアプローチを忌憚なく議論する場をつくります。また、今回はZoomだけでなく、京都大学文学研究科「ぶんこも」を会場としてハイブリッド開催を予定しています。メタサイエンスに関心を持つ方々の交流のきっかけになれば幸いです。
開催日時:2024年12月11日(水)17:00~19:00
開催方法:ハイブリッド
現地会場:京都大学文学研究科ぶんこも1F
主催:広島大学高等教育研究開発センター
共催:メタサイエンス研究会、広島大学共創科学基盤センター
プログラム:
開催趣旨説明(清水右郷:5分)
話題提供「科学政策は何をしているのか:行政と研究の間で立ち止まる」(講演者:久保田 唯史 氏 iPS細胞研究所 上廣倫理研究部門 研究員、researchmap)45分
参加者からのフラッシュトーク2件 10分
話題提供コメント(各15分)
伊勢田哲治 教授(京都大学文学研究科)
伊藤憲二 准教授(京都大学文学研究科)
フロア・オンラン参加者との議論(30分)
参加人数:現地20名、オンライン約40名
初めてのハイブリッド開催となる第3回勉強会は、京都大学文学研究科のコモンスペース(ぶんこも)の一角、およびオンライン配信で行われた。本会には、京都大学に在籍する様々な分野の学生や、関東圏を含む遠方からの来場者も集まった。
はじめに、主催者の清水右郷氏(京都大学)が本会の趣旨説明を行った。メタサイエンス研究会が、「科学」を研究・実践の対象にする多くの分野の邂逅を一つの目的とすること、今回のゲストが「京都大学」という場における縁でつながっていることに触れたうえで、科学と社会の接点と視点としての「科学政策」と科学哲学、科学史の視点を交えて考えてみようという趣旨が述べられた。清水氏は、「知的で自由な、京都大学らしいディスカッションをしましょう」と参加者に呼び掛けた。
【久保田氏による話題提供】
続いて、久保田唯史氏(iPS細胞研究所)が「科学政策は何をしているのか」と題した話題提供を行った。科学政策と科学技術社会論を専門としつつ、2013年から2024年まで文部科学省と経済産業省で行政官を務めた経歴を持つ久保田氏は、まず、科学政策にまつわる行政機構の概要と、政策がどのような関係性の中で作られるのかを解説した。よくある「政策を作っている人は何も分かっていない」という語られ方の一方で、「諮問→答申→政策立案→政策決定」の全プロセスに科学の専門家を含む政治・行政・学界の関係者が相互に関わりあっていることを説明した。その折衝・調整を行うのが行政官の役割だと、久保田氏は説明した。
ではそのプロセスにおいて科学的・学術的知見はどのように反映されうるのだろうか。久保田氏は、博士論文研究において、イギリスと日本で、受精卵に関する介入技術に対する政策議論を題材に、「科学」や「市民の声」がどのように政策決定に利用されたかを分析した。その結果、プロセスを重んじる英国では科学の厳密性が意識されることで政策決定上有意な立場に置かれ、市民の声は決定に至る「プロセスの正統性」を担保するものとしてのみ利用されていたのに対し、結果を重んじる日本では、「科学」はあくまで責任のある決定をするための一つの権威性の源となっていることが見出され、一見して同じく見える科学偏重・市民軽視の裏に異なる構造が現れているという。
この研究から敷衍して、日本の政策決定では「誰が責任を取るのか」が前景化し、その責任の肩代わりとして「諸外国の先例」や何らかの「数字」が権威性を持つことが多いのではないかと久保田氏は指摘する。そこでの「数字/エビデンス」の扱いは、必ずしもそのプロセスの正統性に目が向けられることなく使われている。例えば、科学政策において「研究投資の費用対効果」や博士人材政策の評価において、ある側面からの数的評価のみが利用されているように見える。科学に対する社会的な位置付けは国ごとに異なることを念頭に置いて、メタサイエンスの政策適用を慎重に検討していく必要性を久保田氏は示唆した。
【指定討論・総合討論】
発表を受けた指定討論では、科学史を専門とする伊藤憲二氏(京都大学)は、歴史学者としての視点と断りを入れたうえで、久保田氏の研究や主張が、どのようなデータや出典をベースに、どれくらいの主語の大きさで言えることなのかを尋ねた。また、文部科学省における政策形成プロセスについての既存の著作や研究との違いや、科学技術社会論における「第3の波」の文脈の中での位置づけを明確にすると、研究としてより面白くなるのではないかと指摘した。
科学哲学を専門とする伊勢田哲治氏(京都大学)からは、政策のプロセスの中で研究者がどのように関与するのかに興味があるとのコメントや、「メタサイエンス」に科学哲学を包含する従来からの用法への違和感が指摘された。「AについてのA」という再帰性を含意する「メタ」の意味合いからすると、「人文学」の視点から科学を研究する科学哲学をメタサイエンスと呼んでいいのか疑問が呈された。また、科学哲学のメインの興味は認識的側面にあり、科学政策においては「役に立つ」ものではない可能性がある。科学哲学に限らず、目的を超えた研究の適用範囲への注意が必要だろうと伊勢田氏は述べた。
続いて、総合討論においては、「エビデンス」という言葉が分野や利用場面で様々な意味を持ちうること、政策と科学を切り分けられるかをめぐる科学技術社会論の潮流をどう考えるかについて、また、「メタサイエンス」を科学の「外」ないし「上」から行うのではなく、科学の「中」から行うことの重要性について、活発な議論が交わされた。
【全体を通して】
本勉強会には、「科学政策の実務」に加えて「科学技術社会論」、「科学史」、「科学哲学」という諸分野の専門家が参加した。これが「メタサイエンス」という旗印のもとで開催されたわけだが、本勉強会からは、各分野・実践を簡単に融合することはできないということが確認されたように思われる。
科学 vs 政策:科学的助言の場面などでは、両者の摩擦が常に問題とされてきた。
科学史、科学哲学、科学政策:基本的には関心事項が異なるものとして捉えるべきである。
メタサイエンス vs 科学政策:メタサイエンス的な知識は、その生産者が意図したように政策に利用されるとは限らない。
科学史・科学哲学はメタサイエンス?:後者を前者に含める用法もあるが、それへの違和感もありうる。
このように、各ドメインの研究や実践は、目的や適用範囲が異なり、「メタサイエンス」というラベルを用意したからといって、すぐに相互に活用できるわけではない。しかし、このような気付きをもたらす対話が実現したことに、「メタサイエンス」というフレーミングの積極的な意義を見出せるだろう。また、分野を超えた協力関係の可能性が否定されたわけではない。予定調和的な一致団結が自然に生じるわけではないにせよ、本勉強会では異分野の相互理解へ向けた対話を行い、むしろ相互に重要性を認めるトピックも確認できた。メタサイエンス運動の拡大にあたっては、こうした対話の意義にも注目すべきではないか。本研究会としては、京都で行われた今回の学際対話をその一歩として、次の機会につなげていきたい。