総 会
丸博友の会総会は毎年秋に開催されます。
(友の会の会計年度は、毎年10月1日から翌年9月30までとなります。)
2025.10.01 「知識の宝箱」ページを更新しました。
丸博友の会総会は毎年秋に開催されます。
(友の会の会計年度は、毎年10月1日から翌年9月30までとなります。)
2024(R06).10.15(火)
9:30~10:30
市民文化会館 4階大会議室
役員は9時前に全員集合
会長より手順の説明
役員全員による準備
参加会員の受付開始
シンボルマークの旗を掲示
ご来賓の方々も着席
会長の挨拶で総会開始
佐藤光茅ケ崎市長ご挨拶
茅ヶ崎市教育長竹内様ご挨拶
松岡教育推進部長ご挨拶
ご来賓の方々(市長、教育長、教育推進部長ご退席後)
有村副会長の開会挨拶
伊澤資格審査委員より総会成立の旨の報告
藤田友の会会長挨拶
伊勢田社会教育課長ご挨拶
新谷観光協会事務局長ご挨拶
森井丸ごと博物館PJ運営部会長ご紹介
石井社会教育課長補佐ご紹介
大元社会教育課長補佐ご紹介
原事務局長活動実績・方針報告
徳丸会計の決算・予算報告
伊藤監査の監査報告
菊崎選考委員長の役員選出報告
多くの会員が最後まで熱心に出席されました
無事終了し記念講演終了後、参加者全員での記念写真をとりました
*ご来賓のお言葉(抜粋)
🔳佐藤光茅ヶ崎市長
友の会におかれては純水館の看板設置など市の発展のためにいつもご尽力を頂いている。藤沢市や平塚市などの半分ほどの広さの茅ヶ崎市であるが、このまちにはたくさんの歴史や文化の遺産がある。それを発掘・調査し後世に伝えてくださる。先日も下寺尾地区で地元の方々が衣装を纏い大岡祭を行った。祭りを通して良いところを知らせている。こう言うことは行政の旗振りだけでなく皆さんのご協力で市民に伝えていくことが大切だと思う。この総会でもそうした議論を深めていただきたい。
🔳竹内清教育長
本日は関係職員をお招きいただき感謝する。「明るく、楽しく、元気よく、そして仲良くの夢と希望を持って前進しよう」の友の会のモットーのように精力的に活動されている。藤間家のボランティアや市の基礎講座のお手伝いを頂き、正に社会教育のモデルとなっている。茅ヶ崎市の博物館と丸ごと博物館がこれからの大事なものを繋げていく。その縁の下の力持ちとして丸博友の会さんは歴史・文化を研究され、その魅力を発信し続けていただきたい。
🔳松岡教育推進部長
友の会は会則にあるように同窓会的、実践的な組織で、散策やボランティア活動をされている。市の教育基本計画にあるように都市資源を行政と市民との協働で発掘・調査・研究をされていることに感謝する。少子高齢化による人口減少の社会の中で茅ヶ崎市は子育て世代へ力を入れている。令和5年の転入者数は市町村で第一位で、持続可能なまちづくりを進めている。転入から定住、世代交代など丸ごとの活動による郷土の歴史・文化による人づくりが大切である。友の会の郷土愛はコロナ禍を乗り越えそろそろ10周年の声聞くということでこれからも会のモットーのもと良い活動をしていただきたい。
<記念講演会>
2024(R06).10.15(火) 10:45~12:00 市民文化会館 4階大会議室
🔳 講師:大村浩司氏 (丸博友の会 特別講師)
🔳 テーマ:「旧相模川橋脚 関東大震災によって蘇った中世の橋」(出版記念講演会)
2023(R05).10.11(水)
9:30~10:40 市民文化会館 4階大会議室
受付が始まりました
シンボルマークの会の旗
開始時間になりました
廣田副会長 司会
役員席
藤田会長のご挨拶
佐藤市長のご挨拶
竹内教育長のご挨拶
新谷観光協会事務局長のご挨拶
伊勢田丸博館長(社会教育課長)のご挨拶
原事務局長 2022年度活動報告
有村副会長・純水館講演会実行委員長 純水関連報告
徳丸会計2022年度決算報告
伊藤監査2022年度監査報告
菊崎役員選考委員長2023年度新役員体制提案
新役員ご紹介 神本直子さん 渡辺恵子さん
特別講演会 平山孝通講師
平山専任講師と大村特別講師
全員集合
◆ご来賓のお言葉(抜粋)
【佐藤光茅ケ崎市長】
友の会は会員が111名と伺っていますが、3桁はなかなかない。市民の方々がこれだけ多く丸ごとに興味関心を持っていることであり、この会場にも識者の方々や先輩のお姿があります。 いろいろ皆様にはお世話になっています。先日のサザンのコンサートについても市民のご協力により成功を収めたと思うし、赤とんぼやクリスマスコンサートなどこれから音楽会などもあるようですが、コロナ禍でそうしたエンターテイメントを進めることが出来ませんでした。
昨年は博物館が開館しましたが、継続的な活動のある博物館にしていきたいので、皆様のご支援をお願いしたい。
【竹内清茅ヶ崎市教育委員会教育長】
平成28年に48名の有志で発足以来、丸博事業に市民の立ち位置からの支援を頂き感謝しております。昨年の純水館の記念碑建設は友の会の輝かしい足跡であると思います。
おかげさまで博物館は5万人の来場者がありましたが、励ましの意味で、「もっと深めて」、「もっと充実を望む」などの応援の声があります。丸博と博物館は学びを推進する大きな柱でありますので、これからも友の会のご協力をお願いします。
【新谷雅之観光協会事務局長】
丸博友の会とは発足当時からの付き合いがあります。
今年ガイドマップを予算が無い中で作成したが版が小さめになっております。観光協会はグッズの販売もしておりますので、買っていただけるとより良いガイドマップを作る予算になるのでよろしくお願いします。
【伊勢田珠代社会教育課長】
友の会は基礎講座を修了された方々が基と伺っております。また、講座や散策など会員相互での学びは正に社会教育そのもので、社会教育は行政だけが推進するものではなく相互教育の中でのみ成立つものだと思います。そういったことでは友の会の活動に日々感謝をしております。
藤間家に関しても除草だけでなく、作業後にはミニ講座で学ばれているとのことで、そうした活動で会員も増え、友の会の変革も進んでいると思います。
これから基礎講座も開いていくのでよりよい社会教育を目指してご協力をお願いします。
2022(R04).10.17(月) 10:00~11:00
市民文化会館 4階大会議室
仮議長:廣田副会長
議長:藤田会長
資格審査委員:小川幹事
ご来賓
幹事
受付
富岡課長補佐
飯田主査
渡辺副主査
活動報告:原事務局長
純水館講演会実行委員会報告:有村副会長
会計報告:徳丸会計
会計監査報告:伊藤監査
役員選定委員会-提案:菊崎副会長
新任役員
ご来賓のお言葉
【佐藤市長】
教育長はじめ市の幹部が揃って出席していることは、
この会に対する期待の大きさを表しています。
つい先日、5人の母親とお会いした際、「それぞれ出身は
茅ヶ崎以外から来ましたが、子供達の故郷は茅ヶ崎です。」
との話を聞き、素晴らしい故郷にしてあげたいと思う。
【竹内教育長】
平成28年に43名の会員で発足され、6年目には119名と
3倍近くに伸ばされたことは、着実な活動の証しです。
市主催の講座・藤間家の整備・市の文化遺跡等へのご協力に
感謝します。
また、7月末に発足した博物館事業にもタイアップ協力いただき、
おかげで、先日1万人の来館者を達成しました。
【白鳥教育推進部長】
コロナの影響でこの2~3年は活動が制限されていた中で、
新たなホームページの立上げや地道な学習会の実施をされた
ことは素晴らしいことで、敬意を表します。
【瀧田社会教育課長・丸博館長】
旧藤間家事業・14期まるごと講座・博物館事業等へのご尽力に
感謝いたします。
2022(R04).10.17(月) 11:15~12:00
市民文化会館 4階大会議室
講師:富永富士雄氏
テーマ:藤間柳庵の家 ーその歴史と新たな発見ー
富永富士雄氏
民族資料館旧藤間家住宅 学芸専門員
丸博友の会 専任講師
1日 時 令和4年10月17日(月)11:15~12:00
2場 所 市民文化会館 第2会議室
3参加者 友の会会員及び市職員(教育長他5名)
4講 師 友の会専任講師 富永富士雄氏
5講座内容 藤間柳庵の家―その歴史と新たな発見―
概要
「外でもない専任講師の立場で初めにお祝いを申し上げる。皆様方の活動がますます楽しく意義深いものになりますように。楽しいという事が友の会の一番大事なところであると思うので、今後もそうした活動を進めていただきたい。また、藤間家へのボランティア活動では、皆様にお庭の整備をしていただいているが、敷地の一角が藤間さんのお宅で、藤間家の奥様も皆さんが来てくださっていることを、こっそりのぞかれては、とても喜び楽しみにされている。皆様のおいでを快く感じながらいつも待たれている」と友の会への温かなメッセージで講演は始まった。
今回のテーマは「藤間柳庵の家―その歴史と新たな発見―」である。話の途中、富永氏が「私は縄文・弥生時代が専門であり、藤間家に関わるまで、藤間家や柳島その辺は興味がなかった。縄文以外は苦手であったけれど、藤間家に入り込むことで、柳島が見え、柳庵が見えてくる。どんどん面白くなる。私でも調べたり、楽しんだりできる。この辺の感覚は、友の会の皆さんと同好の士である。これからも誰もが楽しめることを紹介できればと思う」と話されたように、富永氏が藤間家にどんどん入り込んでいくことで見えた新たな発見のいくつかを紹介された。そして、それは私たちを次の学びへと誘ってくれるものでもあった。
―柳島の歴史―
初めに柳島の歴史について触れていく。まず、茅ヶ崎の歴史で平安時代から分かるものは、少なくとも、懐島の大庭景義(2代で終わってしまうが)~二階堂氏(インテリで武運もあるが3代で終わり)~大仏氏(懐島―円蔵・矢畑・西久保・浜之郷辺りを治めていたが、居住は別の土地)~後北条氏(1509年秀吉に滅ぼされる)~江戸時代(幕府の天領・旗本の領地)へと変遷をしていく。鎌倉時代の終わりころ、大仏氏の居所が茅ヶ崎でなかったことで、中心的な人物がいない茅ヶ崎に在地武士を誕生させた。出口、室田、香川などは在地武士の名前である。その後の後北条氏は茅ヶ崎を変えていく力もある大きな武士であったが、基本的に在地武士を大事にしていったので、茅ヶ崎の地は安定していったという事が見える。それから徳川の江戸時代へ変わっていく。茅ヶ崎はこうした変遷で説明することができる。
そういう中で、1271年、二階堂氏が一族に土地を与える文書に「柳島」が出てくる。茅ヶ崎における土地の名前で柳島は8番目に出てくる。すでに鎌倉時代中頃には独立した地名が与えられ、独立した集落であった。萩曽祢(萩園)も集落として古い。懐島は円蔵、西久保、矢畑、浜之郷と範囲は広いが後に細分化してくる。
萩園などは水が出る酷い土地であったと郷土誌「萩園のうつりかわり」の中では言われているが、村があり、歴史があることは、生活がしやすい場所であったということが、地名の歴史から見ることができる。
―藤間家―
藤間家は15世紀には茅ヶ崎に来た。15世紀、1400年代の過去を持つ旧家は茅ヶ崎にはほとんどない。鎌倉時代あたりまでは、殿様が動くと一族や農民も一緒に動いた。戦国時代になり検地が始まると農民は定住・定着しなければならなくなった。藤間家は室町の中頃に名前が出てくる。善福寺の過去帳に藤間家の1代目(右馬之助)が1466年に亡くなった記録がある。善福寺の創建は1461年のことで、ほぼ藤間家と一緒で、藤間家が持ってきたとも考えられる。しかし、それ以降1573年までの100年間、過去帳の記載が飛んでしまっている。柳庵が調べても、墓石等も見つからず、過去帳に書けなかった。後北条氏がまだ入っていない、混乱の戦国期のこの空白というものが当時の時代を感じさせ、考えなくてはいけない一つのことになるのだろう。
藤間家を知る手掛かりの一つに、1500年大勧進「相州柳島住藤間宗源入道」の名前がある「伊豆大川の三島神社」の棟札(東伊豆町指定文化財)が残されている。大勧進は中心的な人やかなりのお金を出している人。伊豆の大川の辺りで商いをしていて、伊豆の高いところから相模湾を見渡すと柳島も見えたのかもしれない。柳島を見渡せるその場所に三島神社を建て安全祈願をしたという気持ちも分かる。こうして、1500年頃には、茅ヶ崎に藤間家が住んでいたことが伊豆で明確にされたのである。そして、それはどういうことかというと、江戸時代前の商いの方向は伊豆や小田原など西が中心にしていたことも明らかにしている。
藤間家に関連して、姥島の伝承にこんな話がある。「藤間徳右衛門は切り開いた土地に大きな白い土蔵をいくつも建てた。遥か伊豆の大島から一望するとそれが見え、そのようなところにお嫁に行きたいと願がっていた娘の願いが叶い、柳島に嫁いだ。その時の持参金が烏帽子岩であった」と。
―藤間柳庵―
藤間柳庵はいろいろな資料、たくさんの書物を残してくれているが、柳庵の業績の一端を考えてみたい。まず、申し上げたいのは、ここ20年あまり日本の行政が言ってきた「安心・安全なまちづくり」と「村おこし、町おこし」の先駆けをしたのが藤間柳庵であった。
3階建ての土蔵は4つの窓を持ち、村を見渡すことのできる火の見やぐらの役目を持っていた。文字を読めない村人にもわかりやすい江戸の宝尽くしのデザインを使って「家内安全火之用心」を自ら板に彫り、絵文字版画として刷って村人に配る等、村をいつも心配する名主であった。
また、柳島湊には多くの廻船を停泊させ大きな商いをして、その出船入船で湊は賑わい雇用も多く生まれたのではないか。堀抜井戸という人力によるボーリングをしていつでも水が吹き上がるエコな取り組みや熱海からお湯を運びそれを混ぜて、藤間温泉、大南温泉、藪下温泉など、柳島に温泉が出来た。
柳庵は、また、知的好奇心が旺盛な人物でもあった。西浦賀にペリーが来た時には藤沢の名主仲間を誘い、望遠鏡を持って見に行ったりしている。吉田松陰や坂本竜馬とこの辺は隣り合わせか。持ち船の不動丸が柳島湊を出たところで軍艦に遭遇してもいる。柳庵は「かながわの100人」に選ばれているが、この辺の社会情勢は「太平年表録」に克明に書かれているので何かの機会にお読みいただければと思う。
江戸時代、藤間家では、旗本戸田氏の領地であった柳島の名主を勤め、名主を継ぐと「藤間善左衛門」を名乗って来たが、柳庵だけは「藤間善五郎」を突然名乗っている。柳庵についてなぜだろうと思うことの一つで、ここも探ってみたい。
―絵に見る藤間家―
「新編相模国風土記稿」の挿絵であるが、そこに描かれている1軒の家がおそらく藤間家。あまりに簡単な絵であるが。柳島は茅ヶ崎の南西南。大正頃までは今のスポーツ公園・柳島小学校辺りまで入り江が入り込み、台風の時などには大きな船が避難していた。
藤間家の寄贈を受ける以前に行った発掘調査で出てきた江戸時代の石垣は、現在の道路より1メートル下にあった。江戸時代は石垣が見られるくらいまで土地全体が低かったのではないかと考えられる。柳島は関東大震災の時には入り江の辺りなど6mほど隆起し、今では畑になっているところもある。この絵には、小出川、松尾川なども見える。
藤間家の船「観音丸」の絵。描かれている観音丸は、20反で一つの帆を作っているので500~600石の船とみられる。18反で400石の船を造るという決まりがあるようである。帆の高さは15~16メートル。錨もあり、窓もある。窓のところに描かれているのはおそらく柳庵であろう。錨は柳島ポンプ場の工事や畑の6メートル下などの発掘でもいくつも出てきている。
―萩園和田家との関係=
江戸時代、萩園の和田家との深い関係を見ることができる。旧和田家住宅(1855年造)の平面図と藤間家の主屋の平面図を重ね合わせてみると、畳の間と板の間が同じような造りになっている。旧和田家では殿様や幕府の人間が来るときのシキダイや床の間もしっかり見られるが、後から造った和田家が土間や廊下の在り方なども藤間家を真似して、どちらかというと親しくなりたいという思いで家づくりをしたのではないかと思える。また、萩園の道祖神の幟旗も藤間柳庵が頼まれて書いている。時を経て、柳庵から5代の雄三さんの奥様も萩園の旧家野崎家から嫁いでいる。江戸時代の再来。萩園と柳島との因縁だろうと思っている。
―藤間家の浮世絵―
藤間家には浮世絵のレプリカが飾られている。439枚(3枚セットでは221点)の浮世絵は、今は美術館に保管されているが、柳庵が元々は地元の絵、江の島や馬入川の渡しの絵などを集め始め20年間にコレクションしたものだろう。その中でいつも気になっている絵がある。歌川貞秀の「カリフォルニア港の風景1862年出版」である。日本人は軍艦しか知らないはずなのに、ペリーの軍艦とか咸臨丸しか知らないはずで、見たことのない船が描かれている。調べるとこの絵はメトロポリタン美術館やハーバード大学にもある。人物のコートの色が白と黒という違いがあるが、版画ならではの色の違でいくつもあることが分かる。藤間家のものは白いコート。2019年横浜歴史博物の横浜浮世絵展にも同じ白いコートの絵があった(丹波コレクション)。
見たこともない船の絵を歌川貞秀がどうして描けたのか。1枚の絵からいろいろなことが
想定される。その謎を探るのも面白い。
1862年というと、幕府が初めて日米修好通商条約の批准に向かったのが1860年である。
この辺のところは、ウィキペディアで「万延元年遣米施設」を見ていただければ、万延元年77人の使節団のことや咸臨丸のことなど面白い記事がある。福沢諭吉のアメリカの少女と撮った写真なども日本の幕末の混乱の時代を考えると面白い。(この話の詳細はウィキペディアで「万延元年遣米施設」)
―藤間家の管理―
藤間家の管理は、①藤間家の近世屋敷跡という茅ヶ崎市指定の史跡、②国登録有形文化財藤間家住宅主屋、和室部分は90年以上(この和室で先々代の奥様ハナさんが、明治時代に英語を教え、柳島に欧米文化をもたらした)、洋風部分は昭和7年に造られ90年くらいが経っている。③3,900㎡の敷地の様々な樹木や移り変わる四季。これらを3本柱として藤間家の管理と訪問される方々に説明をしている。
以上
2021(R03).10.22(金) 9:30~11:00
市民文化会館小ホール
議案書は右側のPDFをご覧ください。
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総会のご報告と写真特集を、
「知識の宝箱 第43号-1」から転載致します。
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2020(R02).9.20
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2019(R01).09.25
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同時開催されました記念講演「エコミュージアムのあれこれ」は、研修部会報告第20回をご覧ください。
2018(H30).9.20
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同時開催されました記念講演「七堂伽藍跡から下寺尾官衙遺跡群へ
」は、研修部会報告第14回をご覧ください。
2017(H29).9.14
PDFの内容を見るには、右上のポップアウトマーク(右上向き矢印)をクリックしてください。
同時開催されました記念講演「『丸博』の試み実践の記録」は、研修部会報告第8回をご覧ください。
2016(H28).9.28
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友の会設立準備から第一回総会に向けての歴史的経緯について
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