洗濯物を干し終えたナギは、まおが朝に作って残していったサンドイッチをツバキと共に食べる。ツバキは鍛錬をすると言って、庭に出て刀を振り回していた。ナギも他の家事も思い当たらなかったので部屋に戻ることにした。
2年間放置し続けていた部屋も少しずつ片付き、部屋は秩序を取り戻しつつあった。ナギは自室の片付けの続きをしつつ、その休憩がてら本棚の本を1つ取り出すとベッドに腰掛けてそれに目を落とす。
久しぶりの穏やかな昼下がり。ナギは窓からの陽の光を浴びながら、ゆっくりとページをめくってゆく。
ふと、まおの顔が浮かぶ。ナギは思い出したようにスマホを開く。今日はまだ まおからの連絡は来ていない。
いつもならナギが気にすることもなく、必ず彼女の休憩時間にはメッセージを入れてくれていた。「お昼食べた?」「今日も元気にしてる?」などなど。2ヶ月前に初めて住み始めた頃は、いくらメッセージが来てもナギが無視をしていたのだが、いまとなっては、そんなことをしていた自分がとても申し訳なく感じ恥じていた。そしていまはその時とは正反対に、まおからの連絡をいつも心待ちにしている自分がいた。
「お仕事…がんばってくださいね…っと」
ナギはスマホにそう打ち込むと、そのメッセージをまおに送る。
ふと、鏡台に自分の姿が映る。ぼさぼさのくせっ毛の銀髪。
そういえば、来週の日曜日にまおとお出かけすることを思い出す。
身だしなみをしっかり整えないと…
ナギは鏡台の前に座ると髪をいじりだす。
まずは櫛で髪をとく。少しでもくせっ毛をマシな状態にしていく。
するとある程度マシなストレートロング姿の自分が鏡に映る。
そのままのロングでもいいけれど、もう少しオシャレを試してみてもいいかもしれない。
試しに髪留め用のゴムで髪を縛ってみる。後ろで纏め、シンプルなポニーテールを作る。
鏡の前の自分を再度確認する。
こんなふうに身だしなみに関心を持つのはいつ以来だろうか。
「……」
他にもどんな髪型があるだろう。ナギは思いを巡らす。シンジケートの他のメイドたちの髪型を思い出してみる。
三編み、サイドテール、後ろでまとめて肩から流す等々。
「流石にこれは子供っぽいですよねっ」
左右を纏めてツインテールにした自身の姿を見てナギは苦笑する。他にどんな髪型があっただろう。ルミネがしているような優雅なロール髪。しかしあれを真似するにはヘアアイロンなどの専用の道具が必要そうだ。
「まおは、どんな髪型を喜んでくれるでしょうかね…」
ナギはぼんやりと思案する。そしてふと何かに気づく。
「も…もしや……」
ナギはドキドキしながら髪を頭の真上やや後ろに束にしてねじり始める。
「えっと…たぶんこんな感じで…」
ねじった髪をクルクルとまとめてゆく。いくつかピンを差し込んで外れないように固定する。
「できた……!」
ナギの髪は長いので、全てをまとめることはできなかった。しかしナギの後頭部には、まごうことなきお団子髪が完成していた。
なんとなく罪悪感を覚えながら、ナギは鏡に映る自分の姿を覗き込む。お団子髪の頭。まおの面影を感じる。自然と胸の鼓動が高まるのを感じる。
「こ、これは…、ぞ、俗に言う”おそろい”……というやつでしょうか?」
ナギは若干顔を赤らめながらも興味深そうに鏡を覗いていた。すると…
「おい、風海ナギ!」
ドカンと、ドアが開く。そこに立っていたのは朱鋏ツバキだった。
「わーっ、勝手にヒトの部屋を開けるだなんて何事ですかっ!!!」
大層驚き飛び跳ねるナギ。慌ててお団子を取ると髪を掻きむしる。
「……何度も呼んだんですけど」
ナギの鏡台の周りの散らかり様を見て、半ば呆れるツバキ。
「そ、それで、何の用ですか?」
ナギは冷静に返事をしようとする。
「もう7時になりますけど、マシュマロ先生帰ってくるの遅くないですか?」
ツバキはお腹に手を当てている。お腹の虫が鳴いているようだった。ナギは窓の外に目をやると、気づけばとっぷりと日は暮れていた。まおは早番の日はだいたいいつも5時には帰ってくる。そしてもし用事がある場合は、うるさいくらいに必ずナギに連絡を入れていた。
ナギは改めてスマホを確認する。先ほどナギが送ったメッセージに既読はついていない。そして特にまおからの返信や着信も無かった。
「おかしいですね…、いつもでしたら何か連絡をくれるのですが…」
ナギはまおに電話をかける。
Prrrrrrr……Prrrrrrr……Prrrrrrr……Prrrrrrr…………
呼び出し音だけが続く。
「……出ませんね」
ナギはツバキの顔をちらりと見る。
そして今度はまおの働き先のウラ喫茶店【イゾルテ】に電話をかけてみる。
Prrrrrrr……Prrrrrrr……Prrrrrrr……ガチャ
「はい、こちらイゾルテです」
店番のメイドが出てくる。
「お世話になってます、風海です。円堂まおさんはいらっしゃいますか?」
ナギは電話に出たメイドに問う。向こうのメイドは答える。
「円堂さんでしたら、午後にひまり様と一緒に本店へ行かれたはずです」
「本店? そうですか……ありがとうございます」
ナギは電話を切る。
ナギとツバキは顔を見合わせた。
すると屋敷のドアチャイムが鳴った。
ナギたちは急いで階段を降りるとドアを開けた。
しかしそこに現れたのは まおではなく、エッダ・ベリエンシェーナだった。
急いで来たようだった。息が上がって顔から汗が滴り落ちる。
「どうしたのです、エッダ」
「お嬢様! たいへんです!! まおさんが!」
エッダは叫ぶ。
「あ…れ……?」
まおはぼんやりと目を開いた。薄暗い部屋。メイド服を着たまま、どうやら椅子に座って眠っていたようだった。ずっと寝ていたせいか身体が温かい。ふわっと甘い匂いがする。いつも紫陽ひまりが付けている香水の匂いだ。そうだ、そういえばひまりさんの車の中でお茶を飲んでからの記憶がない。
ぼんやりとした意識の中、徐々に目が薄暗闇に慣れる。あたりを見渡す。ここは車内ではなかった。しかし見たことのある間取りの部屋だった。どうもシンジケート本店【ヴァルトブルク】の応接室のようだ。
「あら、お目覚めになりまして?」
聞き慣れた声がする。扉が開き、目の前に宝座ルミネと紫陽ひまりが現れた。ひまりの手には2Lペットボトルくらいのサイズはあろうかという大きな注射器のようなものが握られていた。
まおは二人に挨拶をしようと立ち上がろうとするも、手足を引っ張られて椅子から立つことができなかった。
「えっ!?」
そこでまおは異変に気づく。慌てて自分の手足に注意を向ける。するとまおの手足は椅子に縛り付けられていた。
「ちょ、ちょっと…、どういうことですかっ!」
まおの意識が一気に目覚める。慌てて叫ぶ。
「手荒い真似をしてスミマセンね、まおさん。しかしわたくしたちも時間が無いの」
そう言うとルミネはまおにそっと近寄った。そして1枚の写真を見せる。
「この写真に、何か見覚えは無いかしら?」
まおは写真を見る。あまり鮮明な写真ではないが、どこかの格納庫のような広い室内。そしてそのすみに映る黒い四角い物体。
これって、マツリカ博士のところの……
「し、知らないよっ」
まおは一瞬写真を凝視するも、とぼけたふりをする。
そんなまおの様子をルミネはじっと観察する。
「この存在に、シンジケートの存亡がかかっているのですわ。まおさんは、よく工場に行ってらして、博士とも懇意の仲でしょう? 何か知っていることがあれば教えていただきたいんですの」
ルミネの口調はいつもどおり丁寧だった。顔も穏やかだ。しかしそこにはいつもとは異なり有無を言わせぬ見えない気迫が感じられた。
「そんなのっ、博士に直接聞いたらいいじゃない」
まおがルミネから顔をそむける。
「マツリカ博士に直接聞いても、きっとシラを切るだけでしょう。いまヘルガさんを工場に向かわせて聞き取りをしようとさせてはいます。しかしできることなら、煩わしい手続きは飛ばしてさっさとこっそり壊してしまいたいのです」
そうして改めてまおの目を覗き込む。
「貴方さえ正直に話してくれれば、全ては平和裏に収まりますわ」
「……イヤです。私は何も知らないし、カンケーないです。お屋敷に帰してください!」
まおは精一杯身体をよじる。そんなまおの顔を両手でつかむと、ルミネは無理やりまおの顔をこちらに向ける。二人の目が合う。
「……わたくしの目は、誤魔化せませんわよ?」
伊達にマフィアの総メイド長なだけはある。ルミネの気迫に一瞬まおは声を失う。ルミネがすっと手を上げると、ひまりが巨大注射器を持って近づいた。
「ご協力頂けないのでしたら、とても残念ですわ。そうなったら、紅茶マフィアの流儀に則って『紅茶沈め』をさせていただきますわ…。ひまりさん」
「はぁい。ジメットちゃん、入ってきて」
すると部屋の扉がまた開く。そこから手押しワゴンを押す紫色の長髪の目つきの悪いメイドが入ってきた。ワゴンの上には煮えたヤカンと各種茶葉、そしてなぜかウサギのぬいぐるみが置かれていた。
ひまりとジメットがワゴンの上でいそいそと紅茶の準備を始める。そしてカップに1杯分の紅茶を注いだ。そのカップをソーサーと一緒にルミネは持つと、それをまおの目の前に持ってくる。
「えっと…一体何を…?」
まおは何が始まるのか分からず怪訝そうな声を出す。そしてルミネが近づけた紅茶の匂いを嗅ぐ。ひまりがいつも淹れる独特な香りはするものの、それ自体は普段シンジケートで使われている茶葉やフレーバーのもので、特段危険そうな雰囲気はない。
ルミネはニンマリと笑う。
「『紅茶沈め』、伝統ある紅茶マフィアの”質問”方法ですわ。まおさんにはこれから紅茶を飲み続けていただきます。本来ならひまりさんが持ってる注射器のようなもので一気に飲ませて差し上げるのですが、まおさんは別に組織の敵ではありませんし、ナギさんのお知り合いに手荒なマネはあまりしたくないですからね」
「えっ、紅茶を飲む、それだけですか…?」
まおがあっけに取られる。
「ええ、そうですわ。ただし、質問に答えるまでずっと、永遠に…ね?」
そこでまおはそのことに真意に行き着いた。縛られた手足を改めて動かそうとする。
「え……ってことはもしかして……おトイレに……」
もちろん縛られた手足は動かすことができなかった。
「ふふっ、さすがまおさんは聡明な方ですわ。もちろんお手洗い休憩はナシです。やめるなら早いうちですわよ? 私としてもナギさんのお知り合いを痛めつけたくないのですから」
◆◆◆
マツリカ工場の地下格納庫。中央に1台の大型トレーラーが置かれている。
そこに全高20Mはあろうかという大きな黒い箱型のボディを持つ人型ロボット、ギガントが助走をつけて近づいてくる。
その速度はそこまで速くはない。普通自動車道を走る車程度のスピードだ。しかしその1歩1歩の地面を踏みつける音には迫力があり、ギガントの存在感を感じさせる。
ギガントはずんぐりとした左腕を下げると、その大きな拳を持ち上げ、その勢いでトレーラーを殴り上げた。トレーラーはそのまま吹き飛ばされ、格納庫の一番端で粉々になった。
そして轟音、燃え上がる。
「消火行くヨ~!」
鰐塚らむが消火ガジェットを手に、数人のメイドたちと炎の元へと駆けていく。その近くでそれを嬉しそう眺めて拍手をするT.T.01。
その様子を格納庫の二階フェンスから川越マツリカと全身黒ずくめのシルクハットの人物、シュヴァルツが眺めていた。
「素晴らしいいい、ギガントは本当に素晴らしいいいです、マツリカ博士」
シュヴァルツが諸手を挙げて称賛する。
「これなら相手が装甲機動隊のパトカーだろうが、鎮台の戦車だろうがイチコロですねええ」
「ご期待に添えたようでよかったよ~」
マツリカも満足そうに頷く。
「それで、報酬の方なんだけど~」
「ええ!ええ!モチロンです! 組織は約束を守りますす。貴方には報酬として新しい心臓と、新たな開発資金を贈らせていただきますす」
「そっか、それはよかった~。おかげで工場の皆を路頭に迷わせなくて済むよ~」
「もういっそのこと、我々の組織にいらっしゃいませんか? そうすればお母様もきっとお喜びになる」
「……」
マツリカは愛想笑いを浮かべながら黙ってしまった。
すると2人の元へ工場のメイドが近づいてくる。
「博士。管理部門のヘルガ様がお越しになっています」
マツリカは首をかしげる。
「ヘルガちゃんが? どうしたのかなあ?」
「わぁ、ここがシンジケートの隠し工場ですか~、いいですねえ、お金の匂いがプンプンします」
コウベ屈指の大企業、カミサキ重工の敷地内。その一角に川越マツリカの工場は建っている。
青髪のメイド、ニヤコが工場を眺めながら声を上げていた。
その後ろで車から降りる1人の少女と1匹の犬。桜井ヘルガとその忠犬グラーフだった。周りには管理部門の幾人かのメイド達。皆手にタブレットやカバンを抱えている。
「ニヤコさん、いいですか? この任務はとても重要なのです。気を引き締めてくださいね?」
「はぁい、もちろんです。ヘルガ様に申し付けられて、マツリカ博士の不正帳簿を色々まとめましたから。これを見せつければ、博士も反論できないハズです。ルミネ様に隠し事をするなんて、マツリカ博士も悪いヒトですねえ」
ニヤコはそう言うとウッシッシッと笑う。
ヘルガはスマホを取り出すと電話をかけた。
「サギリさん、状況はどうですか?」
すると電話口からぼそぼそと声が返ってくる。
「……はい、ヘルガ様。全武装メイドは裏口の偽装トラック内で待機中です。管理部門特殊メイド隊はいつでも工場内に突入できます」
「ルミネ様から、例のロボットの居場所を教えてもらい次第突入してください。工場のメイドたちが妨害するかもしれませんので…ご注意を」
「…了解」
ヘルガは電話を切る。
「それにしても川越にしても風海にしても、協力体制なんて2年前に両家の家長が失踪して力なんてないというのに、どうしてルミネ様はもっと前にお取り潰ししなかったのですかねえ」
ニヤコのお喋りは続く。
「この前だって、ルミネ様は風海ナギさんの借金をかなり減らして差し上げたとか。元ボスの娘だからって特別扱いですか? ワタシには理解できません。紅茶マフィアの世界は弱肉強食。絞れる相手からはいくらでも絞っちゃえばいいのに」
そんなニヤコにヘルガは諭すように話しかける。
「ニヤコさん、私たちは総メイド長であるルミネ叔母様のご意志に従うのみですよ」
「んもぅ、ヘルガ様はいつも真面目なんですから!」
するとヘルガは片目を閉じる。
「ナギさんが以前から依頼を受けるたびに本店を訪れていたことは皆さんご存知だったでしょう。だけど気づいていた方はどれだけいたんですかねぇ。ルミネ様がナギさんにお仕事を頼む時にどの部屋を使っていたか。それはルミネ様の執務室でもましてや応接室でもない。ルミネ様はいつも貴賓室でナギさんをお迎えしていたのです」
「えっ…それってルミネ様の中ではナギさんはまだ……」
ヘルガはそっと自分の口に人差し指をあてる。
「お喋りはここまでです。私たちは私たちの職務を果たしましょう」
そうしてヘルガたちはマツリカ工場の正門を通る。
「どうやら本店の方で何かあったようで、まおさんが捕まっているみたいです」
エッダが不安を隠しきれない様子でナギに詰め寄る。
ナギは呆然とした表情でそれを聞いていた。
「ど、どうしましょう。とりあえず本店に電話をかけますか? それとも私の部下にもっと様子を探るように伝えましょうか…」
おろおろするエッダの隣でツバキも何かを考えている。
「エッダお姉様…、その情報は確実なのですか?」
「えっと、はい…、眠らされたまおさんが応接室に運び込まれるのを見た子がいたので…」
ナギは意を決した表情をすると屋敷の廊下を進む。
「お嬢様!?」
その後をエッダとツバキが追う。
ナギは廊下の奥の物置の扉を開くと、床の隠し扉を開く。そこには地下への階段が続いていた。
「お嬢様…ここは」
屋敷を知っているエッダは息を呑む。3人は階段を下る。
地下のひんやりとした小部屋。電灯のスイッチを入れると、壁一面ラックに架けられた銃器、足元の棚には弾薬が並んでいた。
「緑茶さん、エッダお姉様。好きなものを持っていって。…戦いの準備をしてください」
ナギは使えそうな武器を手に取り確かめる。
「王子様を助けに行きます。私は……これ以上、大切なモノを失うわけにはいかないのです」
ナギの瞳には強い意志が込められていた。
「………ッ! 往生際が悪いですわね……」
【ヴァルトブルク】の応接室。椅子に縛られたまお。それを取り囲むルミネ達。
まおは十数杯目になる紅茶を飲み干した。
「へへっ、同人作家の集中力をナメないでよね……。集中しちゃえばご飯だっておトイレだって忘れるんだから…! ナギ姫の色んな妄想を全力でしてたら、こんなの全然効かないよ!!」
まおはドヤ顔をする。
「よ、よくわからないですが、なんて自信なのっ!?」
「それに博士や らむちゃん、T.T.ちゃんや工場の皆とはお友達だから。……王子様はね、友達を困らせるようなことは絶対しないんだから…!」
すると、応接室の扉が開かれ中年の男が入っていくる。コウベ・シンジケートのボス、宝座ハンスだった。
「ルミネ、川越の娘の件はどうなっている!」
「お父様、いま取り込み中ですわ!」
「ヘルガを直接向かわせたそうだな。もういっそのこと工場ごとを燃やしてしまえ、そうすれば全て解決だ」
「いいからっ、ここは私にお任せください!」
ルミネはハンスを部屋から出そうとする。
「分かっているのか? ヨコハマや警察に睨まれているのだぞ? 一つ手を間違えたら我々は…!」
「はい、重々承知していますわ!」
ルミネはハンスを部屋から追いやった。
はあ、はあ、とルミネは荒い息を吐く。
そしてキッとまおを睨むと再度近寄る。
ルミネは自分の手を口にあてる。ルミネは徐々に冷静さを失っているようだった。
「まおさん…どうにかして教えてくれませんこと? これは本当に組織の重大な危機なのです」
「……博士と話し合った方が良いと思うな…」
まおは不機嫌そうにつぶやく。
「……マツリカさんは秘密の多い方ですわ。直接聞いて話してくれるものですか…」
ルミネは顔をしかめる。
「……ここはひとつ手打ちとしません? まおさん、貴方が協力してくれるのなら、何か1つ望みを叶えて差し上げますわ。お金でも権利でも私にできることであれば融通して差し上げましょう」
「ルミネ様っ!」
ひまりが声を荒げる。
「だって仕方がないでしょう。これで解決できるなら、安いものです」
そうしてルミネはまおを見やる。そこにはまおへのルミネたちの仕打ちに我慢しきったことへの称賛と、さすがにここまで譲歩すれば、まおも納得するだろうという勝ち誇った表情があった。
まおも頭の中で一瞬ナギたちとの今後の生活やシンジケートでの仕事のことが頭をよぎる。しかしまおはルミネのその言い方にひどく引っかかりを覚えていた。
「今度は博士をお金で売れっていうの?」
「そういうことじゃありません。ただの交渉ですわ。もちろん博士にはナイショですわ……それによって貴方と私がそれぞれトクをする…」
「……いつもお金で解決できると思ったら大間違いだよ、ルミネさん…!」
そう言うとまおはいつにもない真剣な眼差しでルミネを睨みつけていた。まおの意外な態度にルミネは驚く。
「人の弱みにつけ込んでそういうことばかりして…。前も私を働かせるために姫の借金の話を持ち出したよね? そうやって姫のことも借金漬けにして言うことを聞かせてたんでしょ! 姫がボロボロになるまで!」
「なっ!?」
その言葉にルミネは一瞬青ざめ、やがて紅潮する。まおは続ける。
「ルミネさんは姫の古い友達だったんでしょ? 姫はルミネさんや皆がくれたぬいぐるみを大切に残していたよ! 姫はババロア一家との戦いで死ぬつもりだったんだ……姫のずっと一番近くにいたのに、あなたは…どうして、もっと姫のことを大切にしてあげられなかったんだ!」
その言葉にルミネは顔を険しくする。そんな彼女のつりあがった両目。しかしその目尻には涙が貯まっていた。ルミネは感情が抑えきれなかった。右手を振り上げる。
ばちんっっ!!
そして思いっきりまおの頬に振り下ろすのだった。
ルミネは震えた、かすれた声で言う。
「貴方ごときが、ナギさんを語らないで……! ……誰のために、このシンジケートを護っていると思って……貴方なんかに……わたくしの何が分かると言うの……?」
「……」
叩かれたまおも呆然とルミネを見上げる。周りのメイドたちも、そんな総メイド長の姿をただ眺めるだけだった。
「ルミネ…ちゃん」
ひまりがおずおずとルミネの様子を伺う。
「ひまりさん、もう注射器から直接飲ませてしまいなさい。時間がありませんわ」
ルミネがそう言った、その時。
ドガァァン!!
とてつもない爆音と共に本部全体が揺れた。
「何事ですの!?」
Prrrrrrr……
室内電話がけたたましく鳴り響く。
それをひまりが取る。
「えっ、なにっ!? 襲撃!?」
ひまりは驚きのあまり目を見開く。
「ちょっと、どういうことですの? まさか、マツリカさんたちが先手を!?」
ルミネに焦りの表情が見える。
「私、ちょっと様子を見てくるよ!」
ひまりが部屋を飛び出す。
◆◆◆
日が沈み、代わりに街灯やビルの明かりが街を照らす。そんな中、一際明るく、そして黒煙を立ち上げている場所があった。
コウベ・シンジケート本店【ヴァルトブルク】。
その正面玄関から炎が上がっていた。
「とてつもない火力ですね。こんな武器が屋敷にあったなんて」
朱鋏ツバキが燃え盛る正面玄関を眺めながら感嘆の声を上げる。
「ええ、以前母がヨコハマで、アメリカのマフィアと戦った時の戦利品と聞いています」
ナギは肩に乗せた4連装ミサイル砲を構え直す。
「…私の王子様を返してもらいますよ」
ナギはもう1発を発射した。
ドガァァンと近くに止まっていた車が吹き飛び、1階の窓ガラスが勢いよく割れる。周りにいたメイドや一般人が慌ててその場を離れる。
「お嬢様、行きましょう!」
エッダが進み出る。ナギはミサイル砲を捨てるとショットガンを両手に持った。そしてツバキと共にそれに続く。
「なっ、何事だっ!?」
建物にいたコウベ・シンジケートのボス、宝座ハンスは建物の爆発に驚き太った身体を揺らす。
近くの側近が声を張り上げる。
「どうやら襲撃のようです!」
「襲撃だと!? いまさらコウベに我々を攻撃するような勢力があるはずが…!」
側近は窓に近寄るとその様子を伺った。夜陰に街灯にきらめく銀髪のメイドの姿が建物に近づいてくるのが見える。
「あの髪の色!ハンス様、風海の娘が、風海ナギが攻めてきました!! 近くにエッダ・ベリエンシェーナも!」
「なっ、なんだとぉ!?」
ハンスは顔を赤くする。
「この忙しい時にあの小娘……何が狙いだ。ハッ、もしかして、アレを持っていると知って取り返しに来たのか?」
ハンスは立ち上がる。
「こうしてはおれんっ、早く保管庫に行くぞ。それとメイド長クラスを誰か呼べ! 鍵が必要だ」
3人は破壊された正面玄関から中に入る。
煙と炎を抜けフロントロビーに出る。
大勢のメイドたちがフロントのデスクや柱の影に隠れながら、恐る恐る拳銃をナギたちに向ける。
そもそもコウベ・シンジケートの給仕部門や管理部門に戦闘用に訓練されているメイドはほとんどいなかった。皆、急な襲撃に驚いて、その場で渡された武器をナギたちに向けているに過ぎない。そして唯一本店の実力部隊であった管理部門直下の警備メイドたちは、ヘルガとともに工場に向かっており不在だった。
ナギは一歩前に進み出るとショットガンを天井に向けて放った。
ドガンッ!!
銃声と共に天井にゴム弾による穴が開く。いくつかの散弾が当たり天井から吊るされたシャンデリアが揺れる。
「私と戦いたいヒトは、出てきなさい」
誰としてそれに応える者はいなかった。シンジケートの中で暴風のナギのことを知らない者など誰ひとりとしていない。『暴風のナギ』はマツリカ工場の『猛火のラム』と共にシンジケートの数少ない武力の象徴だった。これほど頼れる味方はいない。それがまさか敵に回るだなんて……
3人はロビーを進む。もちろんそれを邪魔する者などいない。
ナギとツバキ、そしてエッダはエレベーターへと向かった。
「師匠、たいへんですよ!」
ナビラ・ダルランはソファで気持ちよく寝ているのを弟子であり雇用主でもあるエミリ・トーヴィーに起こされる。
「どうしたのですか、もう夕飯はすでに食べたはず…」
ナビラはぼんやりとそう言いかけて、異変に気づく。ピリリとした空気、かすかな煙の匂い。これは戦場の感覚だ。ナビラは頭を覚醒させる。そして静かに問う。
「誰が来たのですか?」
「それが、風海ナギさんらしいんですっ、1階はボコボコにされたらしいって!」
「そうですか……コウベは跡取りの問題が不安定だったと聞いていましたが、ついに」
ナビラは立ち上がると服装を整える。そして専用のショットガンと幾つかの武器を手にとった。後ろには2丁拳銃とライフルを背負ったエミリがいる。
「いちおう私たちもこのシンジケートに雇われている身。パン代くらいは働かないと各方面に叱られてしまいますからね」
ナビラたちはやれやれといった様子で部屋を出た。
【ヴァルトブルク】は6階建ての建物だったが、エレベーターは4階で停止してしまった。誰かがエレベーターを止めてしまったようだった。
ナギたちはエレベーターを出て階段を目指そうとする。そこに拳銃などの軽装備で武装したメイドたちと、その中央からナビラ・ダルランとエミリ・トーヴィが現れた。
ナギは二丁のショットガンをナビラに向ける。
「どいてください、ナビラさん」
「どうしたんだ、カザミ。物騒な顔をして」
「王子様を取り返しに来ました。上に行かせてください」
「王子様?」
バンッ、とナギがショットガンの引き金を引く。通路の空中にゴム散弾が飛び出しばらまかれる。それを低姿勢でナビラとエミリはかわす。しかし後ろにいたメイドたちはそれを受けて吹き飛ばされてしまう。
「分かっているのか、カザミ。これはシンジケートに対する敵対行為だぞ!」
ナビラは柱の陰に隠れると、撃ち返す。
ナギもそれをとっさにかわし、壁に寄る。
「私は…大切な者を取り返すのみです!」
ナギは反対側に隠れたツバキとエッダの方を見やる。
「お姉様、緑茶さん! ここは私が引き受けます! 別の通路から上に向かってください!」
ツバキは頷くとエッダを連れてそこを離れようとする。それに気づいたナビラはエミリに目配せする。
「エミリ、無事だった者を連れて階段に戻れ。彼女たちを上にあげてはいけない!」
エミリは頷くと、メイドたちと共に来た通路を戻る。
建物の中で銃声が鳴り響く。
ひまりは辺りを見回しながら状況を把握しようとする。
どうやらナギちゃんが攻めてきたらしい。目的はもちろん、まおちゃんを誘拐したことを嗅ぎつけてのことだろう。きっと本店に潜んでいたエッダ先生の部下が教えたに違いない。
下階は制圧されてしまったようだ。ナビラさんやエミリちゃんが応戦に出てくれたようだけれど、果たしてナギちゃんに勝てるんだろうか。それにナギちゃんのお屋敷には何故か緑茶結社の人間もいたと聞く。それにエッダ先生のスパイが何かしないとも限らないし…
万一に備えて、どのようにルミネを安全に逃がそうかとひまりは思案する。ヘルガのメイド部隊も出払っている今、まともな戦力が本店にはない。
すると不意にひまりは腕を掴まれた。慌ててその主をみると、それは宝座ハンスだった。
「宝座のおじ様!?」
「紫陽の娘だな、急げ、一緒についてこい」
そして力の限り引っ張られる。
ドババババババッ!!
ツバキとエッダは壁に隠れていた。4階と5階をつなぐ大階段の前に、設置式のガトリング式の機関銃が壮大に火を吹いて2人の前進を阻んでいた。
「くっ、あそこを通らないと、上には行けないのに」
エッダは歯ぎしりする。
ツバキは小さくため息をつく。息を整えると壁にそって立ち上がった。そして紅白2本の刀をそれぞれ抜くと構えた。
「仕方ありません。ここからは私の出番ですね」
ツバキは廊下に出ると銃座に向かって駆け出した。銃手のメイドたちは慌ててそれを狙おうとするも、ツバキは軽やかに壁や天井を駆けてかわしてゆく。狙いを定めようとするもその速さに追いつけない。そしてツバキがかなり接近してきたことに気づいた銃手たちは、慌てて持ち場を放棄して逃げ出した。ツバキは両腕を構えると、2刀をハサミのように交差させ機関銃をあっさりと真っ二つにしてしまった。
そこへ1発のゴム弾がツバキをかすめた。それに気づきその方向へと顔を向ける。エミリ・トーヴィーとメイドたちが近づいているのが見えた。
「エッダさん、ここは私に任せて上に向かってくださ……」
ツバキが辺りを見回すと、すでにエッダの姿は見えなかった。
ひまりの腕をひっぱるハンス。ひまりが連れてこられた場所は5階の金庫室だった。管理部門の事務室の直ぐ側にあるシンジケートの重要物を管理しておく場所だった。普段ならそこに警備のメイドたちがいるはずだったが、この騒ぎの中、どこかへ行ってしまったようだ。いま、そこには宝座ハンスとひまり、そしてハンスの側近2人しかいない。
「重要なものを金庫から取り出す。そのためにはボスである私と、メイド長1人の鍵が必要だ」
ハンスがカードキーを取り出す。ひまりもそれにつられて慌てて自分のカードキーを取り出した。
「あの、宝座のおじ様、いま大変な時なんです。こんなことをしている場合では…」
ひまりがおずおずとハンスに意見する。
「ん、何を言っているんだ。ここにあるものこそ風海の娘の狙いに違いないというのに!」
保管室に入ると大小様々な金庫が固定された鋼鉄製の棚に収められていた。その棚の道を進みながら、ハンスとひまりは部屋の奥にたどり着く。そこには黒い扉とその横にカードキーの差し込み口があった。ハンスは自身のカードキーを入れると、ひまりにも同じ様にするよう促す。
扉が開いた。4人がその中に入ると、そこにはひときわ巨大な金庫が鎮座していた。
シンジケートの保管室にある最重要指定の金庫。これはボスがいないと開くことができない。ひまりもその実物を見るのは初めてだった。
ハンスはいくつかの認証を済ますと、金庫の中から手のひらサイズの王冠の形をした金色のバッジを取り出した。
ひまりはそれに見覚えがあった。数年前、まだ風海マキ様がいた頃。彼女が胸につけていた。コウベ・シンジケートのボスを表すエンブレム………
「やはり、貴方がここに隠し持っていたのですね…」
そこによく知る声がした。現れたのはエッダ・ベリエンシェーナだった。
廊下のような直線の場所での銃撃戦は互いに不利だ。ナギとナビラは柱に隠れて相手の動きを伺っていた。
時間はナビラの味方だった。じきに本店の外からも応援が来て、ナギたちは包囲されることだろう。
それはナギも重々理解していた。そして時間が経てば経つほど、まおの身に危険が及ぶかもしれない。
ナギは意を決した。腰につけていた小型版煙幕弾「しゅもも」を廊下に放り込む。辺り一帯に広がる煙。その煙を囮に一気に突き進もうとする。先ほど受けたゴム散弾を生き残ったメイドたちは戦いに慣れていないのもあり、ケホケホと咳き込み身体を晒してしまう。こうなればもう敵ではない。わざわざそれらを撃つ必要もなかった。唯一ナビラだけが要注意だ。ナギは走る。しかし後ろからの気配を感じとると、とっさに横へ飛ぶ。一拍遅れて銃声して、先ほどまで走っていたところをかすめる。煙の中、ナビラの弾丸は正確にナギを狙っていた。
「良いカンだ。カザミ!」
煙を抜ける。いつの間にかナギの背後にナビラはいた。ナギはとっさにそちらに向かって発砲する。バァン! しかしナビラはそれより先にナギの銃口を蹴り上げ、その散弾は天井に穴を空ける。ナギは急いでハンドガンに持ち替えようとするも、ナビラがナギの口元を手で抑えつけるとそのまま床に押し倒そうとする。ナギは左手に残っていたショットガンでナビラを殴りつけようとするが、それよりも先に床に投げつけられるナギ。そのナギにナビラは発砲する。ナギは間一髪で転がりそれを避けると、ナビラと距離を取って立ち上がった。
「はぁ、はぁ」
ナギは荒く息を吐く。先ほどナビラに撃たれたゴム弾が左肩のメイド服を切り裂き、ナギの髪に穴を開けていた。肩からは血が流れている。
「さすがはカザミ。コウベ随一の武装メイドと言われているだけのことはある……だが、オマエは自分の能力に頼り過ぎている」
ナビラは専用ショットガンを構える。それに対してナギもハンドガンをナビラに向ける。対峙する2人。
「どうする? どちらかが引き金を引こうものなら共倒れだぞ? 」
「……ッ」
ナギはナビラを睨みつける。
2人は向き合ったまま、膠着する。
ーーー剣だけが私の人生だった。そのはずだった。少なくとも、8年前までは。聖剣朱鋏家。私の家は代々剣術の家系で、幕末の戦争で大きな功績を上げて、結社の八聖剣に名を連ねていた。
しかし先の大戦で朱鋏家は結社を裏切ってしまった。そしてあろうことか守るべき存在である御国に刃を向けたのだ。
両親たちや一族の人間がどうなったのか、その後のことは何も知らない。しかし幼くして残された私の存在、そして朱鋏家の名声は地に落ちた。
どのような手段でもその名声を取り戻す必要があった。
4階の大階段付近。
エミリ・トーヴィーはライフル銃から2丁拳銃に持ち替えると、ツバキに対して射撃を続ける。
隠れる場所がない開けた空間でツバキはそれを避けつつ、避けきれない弾は刀でそらして凌いでいた。
「すごいすごい!ニホンのサムライ!すごい!」
エミリはツバキの技に感嘆の声を漏らす。
「でも、勝つのは私ですよ! リエナお姉さま、見ててください! エミリはさらに強くなっちゃいます!」
勝ち誇る笑みを漏らすエミリ。ツバキは舌打ちする。
「紅茶マフィア風情が、調子に乗って…」
ツバキはどうしてナギと共に来たのかを考え直す。もちろん円堂まお ことマシュマロ先生が心配だったのは事実だ。しかしそれは個人的なこと。そして結社で手柄をあげるためあわよくば宝座ルミネの首を手に入れられればと考えていたこともウソではない。だが一番は、ツバキはどこかで風海ナギに共感していたからだった。同じ様に家族の裏切りでいままで持っていた全てを失い、周りから嘲られ、蔑まれ、それを取り戻そうとする存在に。
だからツバキはナギをけしかけ、シンジケートを取り戻すように常に働きかけていた。
同じような存在が本来のモノを取り戻す、その瞬間をこの目で見てみたかったのだ。
正直、それで自分がどうなるのかはまだ漠然としたイメージしか無い。しかし風海ナギと共にいることは決して悪いことだけではないだろうとも思っていた。意外な巡り合わせ。しかし、そしてそれを楽しんでいる自分がそこにいた。
ツバキは頭につけていた鬼の面を被る。
「この両刀こそが我が力……!」
幾重にも補修され磨き直された伝統的な古い赤い刀ーーー幕末の外国戦争の時に初代朱鋏が使っていたと伝わる、朱鋏家の当主が代々受け継いできた刀。
近代的な製法で作られた白い柄の太い刀ーーーツバキの数少ない知人、「恩師」と呼べる人間が死に際に託した刀。
その2本の刀を手に、その両刃をエミリたちに向けて構える。
ハサミのように相手を切り裂く。血塗られた二刀流。朱鋏家の技。
「朱鋏流……カミキリ!」
勢いよく駆け出すツバキ。その両刃でエミリを挟み込む。その風圧で飛ばされる周りのメイドたち。しかしエミリはそれを拳銃の芯で受け止める。
「くっ、さすがっ! ニホンには強い人が沢山いるんですねえっ!」
エミリはツバキの剣を弾くと距離を取った。
「でもおサムライさん! 私だって負けるわけにはいきません! もっと強くなって、いつか伯母さまを倒したヤツを見つけて、仇討ちするんですから!」
金庫室。ハンスの側近たちがエッダを取り押さえようとするも、近づく前にその場に倒れ込む。
はっと気づいたひまりはハンカチを取り出すとハンスの口に当てた。自分もエプロンをまくり、それで口を押さえる。近づくエッダ。彼女もハンカチで口を押さえていた。
「睡眠効果のあるフレーバーを焚いたのですが、ひまり、さすがですね」
「……この手のやり方は先生の得意分野でしょ」
ひまりは言い捨てる。
「騒ぎが起きてそれがナギお嬢様の仕業だと気づけば、貴方は絶対にここに来ると思っていましたよ、宝座ハンス」
エッダが言い放つ。そしてエプロンのポケットに隠していた拳銃を取り出してハンスたちに向けた。
「そのバッジを渡しなさい。それがあればナギお嬢様は正統なるシンジケートのボスになれます。これこそ私が風海夫妻にできる唯一の償い…」
ハンスは先ほど金庫から出した王冠の形をしたバッジを握りしめる。
「はっ、エッダ。そんな豆鉄砲でどうにかなるとでも思ったか?」
ハンスは威張り散らすと、エッダの前に立つ。
ガァン!
エッダはハンスの足元に向かって発砲する。するとその床には金属の弾痕が残り、深くえぐられていた。これはゴム弾ではない。正真正銘の金属弾だった。
「これは船長をしていた父の形見の拳銃。シン様が直してくださったものです。アフタヌーン協定は所詮組織間同士のもの。身内には関係ありませんから。…ごっこ遊びだと軽く見ない方が身のためですよ?」
ハンスはその弾痕を見ると一気に勢いをそがれ、青ざめながら後ずさった。その様子を見てエッダは嘲るような笑みを浮かべる。
「ああ、ハンスさん、貴方はいつもそうでしたね。大戦の頃も血を見るのが大キライ。いつも事務仕事に逃げて、荒事はマキ様やシン様に任せてばかり」
「…先生、やめて!」
ひまりは意を決して話に割り込む。
「ひまりは黙っていなさい!」
エッダはそれを一喝した。
ハンスもエッダを睨みつけると喚いた。
「……いっ、いまさら、風海の小娘をボスにして何になる! あの小娘ごときがシンジケートを扱える器なものかっ」
「…私が補佐します。それに泥棒がシンジケートを支配しているより数倍はいいでしょう?」
エッダは銃をハンスの胸に向けた。
「ハッ、ハハハッ!泥棒だと!? それを言うなら貴様も同じだな! 私の甘言に乗せられて、まんまと風海たちを陥れる片棒を担いだではないか! この色ボケメイドめ!」
ガァン!
エッダの拳銃が火を吹くと、ハンスの肩を貫いた。
「ぐぅっ」
ハンスが痛みに顔を歪める。
「何メイドですって?」
エッダの冷たい声。ハンスは顔を引きつらせる。
「ハハッ、何度でも言ってやるさ、エッダ・ベリエンシェーナ! オマエは風海シンを慕うあまりマキに嫉妬していた。あの日、川越コウコが裏切った時に、お前が時間通りに援軍を連れてきていれば2人は無事だっただろうにな」
エッダはわなわなと肩を震わす。
「そもそも川越に金を渡してあのロボを作らせたのも私だがな!あわよくば共倒れ。とはいえそれでもマキを倒せるかは怪しいものだった。だが、マキをよく思わない人間は他にもいたようだ。あの時は協力してくれて助かったよ、エッダ!」
最大限の嫌味を乗せて喚き散らそうとするハンス。
「恩人であるマキを売りつけて、世話すべきマキの娘を泣かせて、オマエはシンをどうするつもりだったんだろうなあ!」
エッダの頭の中で最後の押さえが切れた。
ガァン! ガァン!
エッダがハンスの胸に向けて2発撃ち込む。1発はそれて後ろの金庫に当たり、しかしもう1発は……
「うっ」
ハンスの前に飛び出してきたひまりに当たる。そのまま膝をおり姿勢を崩す。
そのあまりの光景にエッダは拳銃を取り落とす。
「ひまりっ!!」
「おおっ、よくやった! 紫陽の娘!」
ハンスはこの機会を逃すまいと倒れ込むひまりをエッダに押し付け、そのまま金庫室から全力で走り出す。
去ったハンスには注意も向けず、エッダは今起きた出来事に呆然としながら押し付けられたひまりの身体を支えていた。じんわりと、ひまりの体温のぬくもりをエッダは感じる。
「いたい…いたいよ……せんせい……」
ひまりがエッダの胸に顔をうずめながら小声でつぶやく。
「ひまりっ、ひまりっ、どうして!」
エッダは必死にひまりの顔を覗き込もうとする。そうしてひまりと目が合う。ひまりの青い目がエッダの瞳に映る。
「ふふ、やっと先生、私を見てくれた……」
おろおろとするエッダ。ひまりの脇腹が血でにじむ。
「早く、止血をしないと…!」
エッダはエプロンを脱ぐと、それをひまりの怪我した部分に押し当てる。
「すぐ救急キットを持ってきますからね!」
エッダは立ち上がろうとする。そのエッダの服の袖をひまりは掴んだ。
「もう復讐とか、よくわかんないことしないでよ…先生。先生やマキ様、ハンスおじ様たちに昔、何があったかは、なんとなく分かってた。だけど……先生がいなくなって、給仕部門のみんな、悲しかったんだから……私だって……」
ひまりが寂しそうな瞳でエッダに訴えかける。エッダはそっとひまりの頬を撫でる。
「ひまり……ごめんなさい。あとで何でも言うことを聞いてあげますからね。少し待っていてください!」
エッダはひまりをゆっくり横たえると立ち上がる。そして金庫室を出た。
◆◆◆
所変わってコウベ警察署。その署長室。コウベ警察の長である署長冬木フミは受けた報告に苛立ちを隠せなかった。
「まったく…宝座さんは何をしているんだか。まさか本部で内紛を起こすだなんて……」
シンジケート本店【ヴァルトブルク】の襲撃の問題の対応に追われていた。
「火災が発生しているのなら消防は行かせなきゃいけないけれど、私たちは…。……うん、管轄の交番には行かせないで。代わりに本署の刑事たちを向かわせて現場を封鎖させましょう…」
それにしても今日は冬木の身にも変なことがよく起こる日だった。いつも週1で行われる関西圏合同の署長会議が突如休会となり、その他の会議もなくなり、冬木は署内に留め置かれていた。そしてどうも夕方頃からヘリの音がうるさい。そしてその数は増えているようだった。
冬木は窓から外を見る。暗がりの空。そこを航空灯を灯したヘリコプターが4機ほど飛んでいた。
「あのヘリは一体何なのかしら……?」
それにつられて冬木の秘書の警察官もその様子を確かめる。
「……報道用のヘリではないようですね。エンジン音から察するに、あれはどうも軍用か機動隊の大型ヘリのようです」
「なんてこと!」
冬木は何かに気づくと急いで署内の電話を取り上げた。
「警備課長! 急いで課員を集めなさい! それと署の門を閉じて、急いで!」
ヘリの音はだんだん大きくなってくる。
窓を覗くと暗がりの中、街灯に照らされた署員が署の正門を閉めようとしている姿が見えた。コウベ警察署はT字路の先に建設されている。すると先ほどのヘリコプターの音とは別に、地上を進む重低音が地響きと共に聞こえてくる。
トレーラー、ダンプ、そんな大型車両の駆動音。しばらくして警察車両特有のサイレンの音が聞こえてくる。すぐさまその正体は分かった。道路をこちらに向かって爆走してくる複数の青赤の回転灯が見える。冬木は凍りついた。
ニホン警察のパトカーは赤色の回転灯を搭載しているが、赤青のものは同じ警察車両でも所属が違う。「装甲機動隊」内務省直属の公安警察だ。
装甲機動隊の大型パトカーは閉じようとしていた門を踏み潰すとそのまま署の敷地へと雪崩込んできた。署の外灯がパトカーを照らす。前面に大型の防弾ガラスを張り、その左右には角のように尖った青赤の回転灯が付いている。3対のタイヤを備えた白と黒を基調としたカラーリングのトレーラー。
停止するまでに幾台かの署内に駐車されていたパトカーを巻き込み踏み潰す。そしてトレーラーの中からは武装した警官たちが降りてくる。
ヘリの音も近づいてきた。そして消えた。どうやら屋上に着陸したようだった。
冬木は一縷の望みを抱いて、いたって冷静さを取り戻すように務めると席に座った。しばらく下の方で言い合う声が聞こえたが、やがてそれも静まる。そしてまたしばらくのとき。署長室のドアがノックされる。
「……どうぞ」
冬木は持ちうる限りの威厳を貼り付けて、来訪者に入室を促した。
どかどかと数人の完全武装の装甲機動隊員が入ってくる。そしてその後ろから防弾チョッキ姿のやや小柄の女性の警官が入って来た。
「どうも、ご無沙汰しています。冬木フミ署長」
その警官は軽く会釈をする。
「装甲機動隊はいつも派手ね」
冬木は立ち上がると、その警官を見た。精悍な顔つき。その表情は引き締まっていて一切の隙はなさそうだ。
「カンナちゃん……いえ、冬木カンナ警部、目上には敬礼を以ってすると警察学校で習わなかったかしら?」
するとカンナちゃん、と呼ばれた警官は不思議そうに首をかしげる。
「何故、犯罪者に礼を以って遇する必要があるのでしょうか? 本日は冬木署長以下コウベ署の主要署員の逮捕状を持参しました」
その言葉に冬木署長は一瞬で青ざめた。
「中身は言うまでもありませんね。コウベの裏組織とのつながり、贈賄、職権乱用等。署長たちは国から与えられた権限を悪用し、我が国の警察官としての品位を落としたのです」
冬木は弁明しようとする。
「そ、それは必要悪と言うかっ、私たちも街を守るために必要だったのよっ……」
「問答無用」
カンナ警部はそれをぴしゃりと遮る。
「署長以下主な幹部たちを拘束します。本日21時をもって、コウベ警察署および所轄組織は、関西第二装甲機動隊第二中隊の指揮下に収めます」
手錠を掛けられ隊員とともに署長室を去る冬木。その後ろ姿をカンナは汚物でも見るような目で見送る。
「私も大変残念ですよ、お母さん。貴方だって昔は真面目な警察官だったでしょうに。害虫に成り下がった以上は駆除するしかないですからね。紅茶マフィア、国粋過激派、汚職公務員、9年前の大戦の黒幕たち……我が国に寄生する害虫たちは、誰であろうと、一匹残らず綺麗に駆除させていただきますから」
ナギとナビラは銃を向け合ったまま対峙していた。時間は常にナビラの味方だ。焦るナギ。それを読み取ったのかナビラが鼻で笑う。
「降参しろ、カザミ。お前がどうして本店を襲撃したのか分からんが、必要なら私が仲介に入ってやってもいい」
「ここまでしでかしておいて、タダで済むわけがないじゃないですか。私はルミネさんに借金をしてますからね。…これ以上借金が増えても困ります」
ナギは小さく顔を引きつらせる。
「ふぅん、お前も冗談を言えるんだな…」
ナギは銃を動かす。それにナビラは注意を向けるも、予想に反してナギは銃を向ける腕を下ろした。そして銃を床に置いた。
ナビラは不思議に思いつつ、警戒は怠らない。ナギは立ち上がると、両手を前に構えナビラに向き直った。
「舐めているのか? この私に格闘で挑もうだなんて」
ナビラはおかしそうに笑うとショットガンを放り投げる。そしてすぐさま右の拳を思い切りナギに向かって入れた。右ストレート。ナギはそれを間一髪でかわす。
「ハッ、素早いがまだまだだなっ!」
そこに左足で蹴り上げる。それがナギの腰に当たり、ナギはよろける。
「怪我をしていたらなおさらだ。自暴自棄になったか、カザミ!」
ナビラは素早く拳をナギにぶつけ続ける。ナギはそれを両腕で防御しながら耐えていた。
「カザミ、お前の才能は認めるが、まだまだ経験不足だ! 勝てない相手には諦めることも重要だぞ!」
ナギは拳を返そうとする。それはあっさりとナビラに避けられる。
「くっ」
「フっ、若いな」
ナビラがナギの中心に向けて強くストレートを入れる。「油断」…そう表現するには大げさだが、まともに戦えていないナギに対して、ナビラは小さな奢りがあった。そしてそれは拳の勢いには小さな緩みをもたらしていた。それをナギは見逃さなかった。ギリギリでナビラの拳を身体の芯から外すと、その腕を掴んで抑え込んだ。
「もちろんっ、何においてもナビラさんには勝てないでしょう……ですがっ!」
ナギは掴んだナビラの腕を引き寄せ、ナビラのもう片方の肩を掴むと身体を近づけた。ナビラは脚でナギの身体を蹴り上げようとするも、それよりもナギの顔が迫ってくる方が早かった。
「なっ、しまっ」
頭突き……!
ゴインッ!
ナギとナビラのおでこが激突する。
そしてその衝撃で2人はその場で倒れ込んだ。
うつ伏せになるナギ。白目を向いて仰向けに倒れるナビラ。
しかしかろうじてナギだけが立ち上がった。左の額は頭突きの衝撃で皮膚が割れ、そこから血が流れている。
「はぁ、はぁ……私は、頑丈なのが取り柄なので……」
目を回して倒れているナビラを見る。ナギはよろよろと落とした武器を拾い集めると、階段へと向かった。
「はぁ、はぁ…やりますね」
「ちっ、いい加減に倒れなさい…」
辺りに倒れるメイドたち。4階廊下付近でツバキとエミリが対峙していた。互いの技を競い合うも、決定打はなく消耗していた。
エミリがツバキを睨みつけると、射撃のために距離を取ろうとする。
「私には、もっと強敵が待ってるんですから!」
エミリが2丁拳銃をツバキに向ける。そして発射…
バンッ、バンッ
エミリの脇腹に2発のゴム弾が打ち込まれていた。その予想だにしない方向からの攻撃…その激痛にエミリは悶え気絶する。
ツバキは肩で息をしながら、刀を構え直す。廊下の向こうから現れたのはナギだった。拳銃を片手に、額から血を流している。
「風海ナギ…無事でしたか」
ツバキは深く息を吸うと姿勢を整える。
「エッダお姉様は…?」
「ここで見失ったのですが、おそらく上へ行ったのかと」
「そうですか…、しかしお姉様だけでは危ないかもしれません。早く私たちも向かいましょう」
「え、えっとぉ、これ命令ですからぁ、早く飲んでくださいよぉ」
「むぐぐっ」
ジメットと呼ばれたメイドが紅茶の入った注射器の先をまおの口に押し付けようとする。まおは必死に顔をそむけそれに抵抗しようとしていた。
「聞き分けのならない子はダメなんですよぉ? ラビィくんにも叱られてしまいます~」
「ほらジメットさん。何をグズグズしているの! さっさとやってしまいなさい!」
ルミネは苛立たしそうに言葉を吐き捨てる。
「はっ、はいぃ。いますぐにっ! ただいまぁ!」
ジメットは焦ると注射器をまおに押し付ける力を強めた。
ガァァァン!!
その時、応接室のドアが吹き飛ぶ。破壊されたドアとその壁の破片が宙を舞い埃を立たせた。
埃が晴れるとそこには2人の人影。風海ナギと朱鋏ツバキだった。
「ぴやぁぁぁっ!」
ジメットは注射器を放り投げるとウサギのヌイグルイ「ラビィくん」を胸に抱きそそくさとその場を逃げ出した。
残されたルミネとその取り巻きのメイド、そしてまお。
ナギはまおの姿を見つけると叫ぶ。
「まお! 無事ですか!!」
「ナギっ!」
その言葉にまおは顔をぱっと明るくする。
「うん、へーきへーき、ちょっとお茶をたくさん飲まされただけだから~。捕まっちゃってゴメンネ~」
まおの申し訳なさそうないたっていつもどおりの元気な声。その言葉にナギはホッと胸を撫で下ろす。
「ルミネさん! まおを返しなさい!」
ルミネの取り巻きがまおに武器を突きつける。ルミネは軽くスカートを持ち上げると会釈した。
「あらナギさん。ごきげんよう。わたくし、今まおさんと重要な取引をしてる最中ですの。邪魔をしないでくださるかしら?」
「取引ですって?」
「ええ、とても大事な。シンジケートの未来に関わることですわ」
ナギが鋭い目つきでルミネを睨みつけている。迫力のある、さすがは風海マキ様のご息女。ルミネは震えそうになる手を隠す。
ああ、ナギさんがわたくしに銃を突きつけている…
美しいお顔がとても険しい表情ね。昔はそんなお顔、一度だってされたことなかったのに…
ルミネは本題を話すべく、口を開く。
「マツリカ博士が巨大ロボットを作っているのです。それを見逃そうものなら、他のニホン中のシンジケートから、コウベがお取り潰しの対象になってしまうのですわ」
「それがまおと何の関係があるっていうんですか。どうしてこんなことをするんですか」
ナギは至って冷静だ。
「言い訳はしたくないですけど、時間が無いんですわ」
「……」
ナギは黙ってルミネを見る。ルミネは反撃に出ようとする。
「それにしても貴方こそこんなことをしでかして、どう落とし前をつけるおつもり? 本店を襲撃して、大暴れまでして…。貴方は組織の敵になった、と言われてもおかしくない状況ですのよ?」
ルミネの問いにナギは口を歪めた。
「………、私の大切な人を傷つけようとする組織のためなんかに、私、もう働きません」
そうしてナギは改めてルミネに銃口を向ける。
「まおを返してください。まおに何かしたら、本当に貴方を撃ちます」
その言葉に、ルミネは胸を締め付けられる。
「それでは……シンジケートはどうするというの?」
自分の発した声がかすれていることに、ルミネは気づく。ナギは一瞬だけ目を伏せた。
「私はもう、紅茶マフィアもシンジケートも要りません。ただ彼女が、まおが一緒にいてくれれば、他は何も要りません」
ああ、これは私への罰なのだ。ルミネは思う。円堂まおの言う通りではないか。幼い頃からいつも一緒にいたのに、本当に大事な時に何もしてあげられなくて。2年間もあったのに、彼女をボロボロにしてしまった罰。本当なら父親に歯向かってでも、組織を放り投げてでも私は彼女の味方であり続けるべきだったのに。
こうして今、自分はナギお嬢様と対立することになってしまった。
いつも勇敢で礼儀正しいお方。幼い頃から、わたくしがいじめられていても、いつも側にいて守ってくださった。その分、わたくしは彼女の役に立とうと勉学に励んだ。いつか、ナギ様がシンジケートのボスになった時に、その傍らでお役に立てるように、と……。
でも、きっと、もうそんな未来は来ない。
貴方は私ではなくまおさんと一緒に、その困難に打ち勝ったのですね。そしてきっと、自分だけの進む道を見つけられたのでしょう。
ああ、さすがナギ様です。なんて、美しいお方。
ルミネはナギに近づく。ナギが訝しむ。
「なんですか、近づかないで。…本当に撃ちますよ? ルミネさんはゴム弾の痛さを知らないんですか?」
「……ナギさん、貴方は、自分の大事なモノを見つけたんですのね…」
そう言うとルミネはナギの拳銃を自らの胸に押し当てる。
「私を撃ちなさい。私を撃って、自由になりなさい」
「……ルミネさん?」
そこへ横から無数のゴム弾が撃ち込まれる。
「やぁぁぁ!!」
煙を越えて1人のメイドが突っ込んできた。
「私はまだ、負けてませんっ!!」
エミリ・トーヴィーが吠える。
エミリの乱入。それに応戦するツバキ。その騒動に驚くルミネや取り巻き。その隙をナギは見逃さなかった。まおの元に近づくと縄をほどく。
「まお、無事ですか!?」
ナギの心配そうな表情。まおは作り笑顔をする。しかしその目尻には少しだけ涙があった。
「うん、来てくれるって信じてたよ」
そしてナギの額を触る。
「あはは、ナギ、またおでこ怪我してる。あとで手当してあげるね」
「ふふっ、王子様の救出も、なかなか大変だったんですからね?」
ナギが小さく微笑む。
外から車が到着する音が聞こえる。他のウラ喫茶店の警備メイドたちが駆けつけて来たのだ。それに遠くから警察のサイレンの音もする。
「そろそろ潮時ですね! 緑茶さん、逃げますよ!」
ナギがまおの身体を抱えながら、エミリと戦っているツバキに言う。
ツバキは刀を振り回しながら頷く。
駆け出そうとするナギ、それにまおがビクリと身体を震わせた。
少し辛そうな表情のまお。心配するナギ。
「!? どうしました、まお。どこか痛むんですか!?」
するとまおは、恥ずかしそうに、そしてバツが悪そうに小声でそっとつぶやく。
「あはは……えーと、その。逃げる前に一瞬だけ……お手洗いに寄っても…いいかなあ……?」
5階のトイレ前。入り口を見張るナギ。ツバキはまだ6階で戦闘を続けていた。
ナギは思案する。警察の立ち入り捜査や今回のような襲撃からの脱出に、どこかに縄はしごが備え付けられていたはずだった。昔ナギが一時的に総メイド長をしていた際に、ルミネが一通り説明してくれていたような気がする。しかしよく思い出せない。
すると廊下をゆっくりとこちらに向かってくる人物がいた。エッダ・ベリエンシェーナとそれに背負われた紫陽ひまりだった。
「お嬢様…」
疲れた表情のエッダが微笑む。ナギは駆け寄る。
「エッダお姉様、どこにいらしたんですか? それにひまりさんまで…」
「や、やっほ~……ナギ…ちゃん」
エッダに背負われたひまりはぐったりとしている。
まおもトイレから出てくるとエッダたちに驚く。
「だ、大丈夫ですか? 先生!」
「ええ、まおさんこそ無事でよかったです」
「……はい」
まおが無事なのを見たひまりは、バツが悪そうに俯くと目を閉じ痛みに耐えるふりをする。
「どうして皆さんここに?」
エッダは問う。
「はい、確かこの辺りに脱出用のはしごがあったような…」
ナギが答える。
「それでしたら、このお手洗いの中に隠してありますよ」
そう言い、エッダはひまりを背負いながらトイレの中へと入っていく。
とそこへ、階段の方で一瞬の銃撃音。そしてしばらくすると、ツバキが合流してきた。
「風海ナギ、ダメです! 上も下も封鎖されています」
「ルミネさんたちは?」
「とりあえず、あの生意気な英国娘には強い一撃をお見舞いしてやったので、しばらく上からの追撃は大丈夫でしょう」
「そうですか、助かりました」
エッダは洗い台の下からはしごを取り出すと、それを窓から下ろす。
「ひまりさんはどうするの?」
まおが聞く。
「応急処置はしましたが、この混乱の中です。何が起こるか分かりません。私がひまりを最後まで面倒見ます」
「でしたら、私が運びましょう」
ツバキがひまりを抱え込む。
「風海ナギ、しんがりは任せましたよ」
「はい!」
ツバキ&ひまり、エッダ、まお、ナギの順にはしごを降りていく。
はしごは【ヴァルトブルク】の裏庭に降りていた。正面玄関に比べて警備や人の気配も少ない。ナギたちは夜陰に乗じて、【ヴァルトブルク】を後にした。
「つまりぃ、博士の見積もりは過大請求なんですよぉ。これだけの予算があれば、もういっこ、別のロボットでも作れそうですよねぇ」
マツリカ工場の事務室。その一角の部屋で、マツリカ、ヘルガ、ニヤコの3人が話し合っている。マツリカの隣には、らむも座っている。他のメイドたちは部屋の外でその話し合いが終わるのを待っていた。
ニヤコはプロジェクターに映し出された財務資料をレーザーポインターで指し示しながら、勝ち誇ったように話す。マツリカは黙ってその説明を聞いていた。ヘルガは真剣な面持ちでマツリカに対して口を開く。そしてルミネから預かった写真をテーブルに置く。ギガントの写真だった。
「マツリカ博士…残念ですが、どうあがいてもごまかし切れません。ロボットを破棄してください。シンジケートの為に」
マツリカは黙ってしばらくその写真を見つめた。そして、ふぅ、とため息をつく。
「ふぃ~、仕方ないなあ。ヘルガちゃんがそう言うなら断れないかも~」
両手を上げる。そんなマツリカの横に座っていたらむは動揺する。
「ダ、ダメだよ! ハカセ~! ギガントを完成させないと、心臓が貰えないじゃん! イヤだよ、ハカセがいなくなっちゃうなんて!」
「心臓?」
ヘルガが首をかしげる。マツリカはらむの頭を撫でてやる。
「大丈夫だよ~、らむ。そんなすぐに止まるものでもないからさぁ。もっと別の方法もあるかもしれないから~」
「デ、デモ~」
マツリカは子供を諭すように優しく話しかける。
「ねえ聞いて、らむ。ボクは、らむのことが大好き。工場の皆も好き。ルミネ様もひまりちゃんもヘルガちゃんだって好き。それにナギ様やまおちゃんも大事さ。そんな好きな皆のこと、裏切ることなんてできないよ。ギガントはとりあえず完成したしボクの夢は達成したわけだし。…ボクはね、らむ。科学者である前に、シンジケートの一員なんだ。マフィアって言うのはさ、仲間を裏切らないものなんだよ?」
らむは涙を貯めると泣き叫んだ。
「ウワ~ン、ハカセ~」
らむは泣きじゃくる。それをなだめるマツリカ。そこにヘルガが遠慮がちに手を挙げる。
「あ、あのぉ。何か良い感じになっているところ恐縮なのですが、さっそくロボットを起動できないように破壊してくれますか?」
マツリカはらむの頭を撫でながら頷く。
「うん、もちろん。だけどいますぐ壊すのは待ってくれないかな~。T.T.がギガントのことをいたく気に入っててね。ギガントのAIだけでも取り出してあげたいんだ~」
ヘルガは頷く。
「ええ、それなら。…2週間以内に破壊してくだされば問題ないとのことなので…」
と、そこに奇妙な声が割り込む。
「勝手に約束を破られては困りますねえ、マツリカ博士ぇぇえええ!」
するとどこから部屋に入り込んだのか、全身黒ずくめのシルクハットの男が現れた。顔は仮面に覆われていて表情は見えない。
「シ、シュヴァルツさん!」
マツリカが叫ぶ。らむは涙を拭うとマツリカの前に立ち、マツリカを守ろうとする。
「契約は契約ですよよよよ! ギガントは引き渡していただきますからねぇええええ!」
ドォン
足元から爆発音。地面を揺さぶる。
マツリカのスマホが震えた。電話に出るとノイズに交じりながら工場メイドの声がする。
「は、博士っ! やっと繋がった、こちら第1地下格納庫です! ギガントが勝手に動き出して、地上を目指しています。いまデコラたちが止めようとしてますが、全然ガジェットが効かなくて!」
マツリカはシュヴァルツを向く。そして叫ぶ。
「シュヴァルツさん! 一体、ギガントに何したの!?」
するとシュヴァルツはクックックッと笑い出す。
「ナニもナニも、約束通り、連れて帰るだけですよぉぉ。設計図のデータはいただきましたががが、やはり現物がないとねぇぇええ。そしてまあ、帰るついでに、コウベの街を破壊して…ね?」
工場が揺れ出す。
「ヒヒヒヒ。ここで失うワケにはいかないのですよ。大戦の続きを…そして2年前の再来といきましょうかかか。……今度こそ、今度こそぉぉぉ、我ら世界再醒支援機構がぁぁあ、コウベの街をぶっ壊させていただきますすすす!!」
本店【ヴァルトブルク】の破壊された応接室。
照明も壊れ、応援に駆けつけたメイドたちが持ち込んだ非常灯だけが部屋を暗く照らす。
倒されたメイドの治療や、ナギたちを追いかける算段をしている警備メイドたちの様子を、ルミネは残った椅子に座りながらぼんやりと眺めている。
先ほどからルミネのスマホが鳴っている。
静かにそれに出るルミネ。相手は本店の支配人メイドだった。
「そう、工場のロボットが暴走してしまったの……。ひまりさん、ヘルガさん、お父様も行方不明なのね……」
ルミネはそっと立ち上がった。
「たとえわたくし1人でだって戦いますわ。……コウベシンジケートは、わたくしが護りますもの」
<次回、最終話>
おまけ:ネームノベル版・子分設定
【ジメット】
コウベシンジケート給仕部門に所属。お茶を入れる腕は一流だが、極度のコミュ障のため店で客に顔を見せることはほぼないレアキャラ。そのためだいたい部門メイド長の紫陽ひまりと一緒にウラ業務ばかり(尋問など)に駆り出される。
怖いものは大嫌い。ラビィくんといつも一緒でないと心が落ち着かず、取り上げられようものなら泣き出す。
【ニヤコ】
コウベシンジケート管理部門に所属。桜井ヘルガが管理部門メイド長代理として入ってきた時は、小学生だと馬鹿にしていたが、ヘルガから株や金融証券の取り扱いを教えてもらううちに第1の子分としてゴマを擦りだし文字通りのカバン持ちとなった。
かなりの皮肉屋で基本口を開けば悪口か陰口ばかり言っている。物事はお金になるかどうかでしか判断していない。
【サギリ】
コウベシンジケート管理部門特殊メイド部隊に所属。口数の少ないメイドだが、ナギやらむに次ぐ戦闘力を持ち、シンジケートで重宝されている。仕事は仕事と割り切っているため、どんな仕事でもきっちりこなそうとする。かなりの綺麗好きで、自分の武器や服に汚れがあると我慢ならない。実は風海ナギの大ファンで、サインをもらうタイミングを伺っている。
【デコラ】
コウベシンジケート ロボ開発部門(マツリカ工場)警備部隊に所属。元々は給仕部門に配属されていたが、人数不足で他店への襲撃に参加するようになり、それを鰐塚らむにガジェットの使い方の上手さと戦闘技術の才能が認められて現在の所属になる。らむと同じくガジェットを直感的に理解して使用することに長け、工場のメイドたちからは頼りにされている。らむとは義姉妹の契を結んでいる。
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