第4話
「過去に埋まっていたモノ」
第4話
<過去に埋まっていたモノ>
(後編)
らむたちは廃墟で捜索範囲を広げてパーツ探しを続けていた。
ナギはツバキとともに海岸に打ち捨てられたガラクタを1つ1つ探していた。そこでナギは波打ち際に旅行カバンくらいのサイズの木箱が打ち上げられているのを見つける。近づいてみると高級そうな木材で作られたそれは表面に「茶」という文字が彫られていた。探しているパーツは金属だから関係ないと思いつつも、ツバキの落としたものが木箱だったので、無意識にそれを手にとった。
するとちょうつがいが壊れていたのか木箱がズレて中身がバラバラと地面に落ちる。落ちたものに視線を落とすナギ。するとナギの後ろから声がした。
「……見てしまいましたか」
それはツバキの冷めた声だった。ナギはとっさにジャージのポケットから拳銃を取り出そうとするが、その首筋にツバキの手が当てられている。
「動かないで。私、素手でもそれなりに強いですよ?」
「……ツバキさん、これは一体……」
ナギは後ろにいるであろうツバキに声をかけつつ、地面に落ちた木箱の中身に改めて目を落とす。そこには深緑色の袴、白と黒の鞘に入った大振りの日本刀が2本、赤い目をした鬼のお面、そして………ナギとルミネの顔写真が入っていた。
「とあるお方のご命令で、その2人の命を頂戴する予定でして……」
「貴方…もしかして」
ナギは聞いたことがあった。紅茶マフィアと対立する組織の存在。それは国家権力である警察だけではなかった。「正道緑茶結社」日本の茶道文化を守り、外国文化を排斥する過激集団。彼らはその思想を実現するために紅茶マフィアを始めとする親西洋文化組織に対してどんな暴力も厭わず、その激しさは警察からもマークされているほどだという。
「流石は風海ナギ。ご明察です。私、キョウト正道緑茶結社の聖剣が一人、赤鋏ツバキと申します。御上のご命令で宝座ルミネ、風海ナギ…貴方たちシンジケートの要人の命をいただきにきました」
「……」
ナギはこの状況を抜け出す機会を探ろうとするも、背後からのツバキの強い気迫に、身体を微動だにすることができなかった。しかしツバキは意外な言葉を発する。
「…どうも警戒しているようですが、安心してください」
「え? ……私を殺しに来たんですよね…?」
シンジケートの仕事を多く受け取ってきたナギにとっても、ここまでのピンチは久々で緊張感が全身を駆け巡っていた。ナギは若干声を上ずらせながら問う。
「それは御上や結社の考えです。私は現実主義者ですから、既にシンジケートを追い出され実権を失った貴方に興味はありません。むしろ、結社の管理下でなら、宝座ルミネの首を貴方に挿げ替えてもいいとさえ思っています」
「一体、どういうつもりですか…」
振り向こうとするナギにツバキはその両腕を掴み背負いあげた。そしてナギを仰向けに地面に強く叩きつけるのだった。頭を打ち、朦朧とする意識の中、、ナギの頭にぼんやりとツバキの声が響く。
「まあ、このお話は後々。くれぐれも私の正体は誰にも明かさないように…」
コウベシンジケート本店、ホテル【ヴァルトブルク】の正面口。車を降りるひまりとまお。まおはちらっとひまりを盗み見るも、ひまりは不機嫌そうに無言のままだった。車の中でもずっとそうだった。
うう、一体何やらかしたんだろう……
まおは頭の中でぐるぐると考え込む。まおがナギのように外部の人間としてウラ喫茶店で仕事をするようになって1ヶ月。何も粗相はなかったはずだった。むしろ店長や給仕長にはいつも褒められてたし、同僚メイドたちとも仲良くしていたはず。
「ハッ」
まおは口に手を当てる。まさかそれが逆に気に食わなかったのだろうか。外の人間がでしゃばり過ぎて ひまりの怒りに火を付けた? そもそも、まおはひまりに目をつけられていた自覚はあった。エッダとひまりが何となく仲が悪いことには気づいていたし、そのエッダに師事していたまおもおそらく。そして…ひまりの中で耐えかねていた何かが、どこかでその一線を超えてしまったのだろうか……?
盗み見るまおの視線にひまりは気づく。まおは慌てて笑顔を作った。ひまりはニコリと笑う。
「ああ~、そうよね、何も言わないと心配しちゃうよね~。ぜ~んぜん、お叱りとかそういうのじゃないから~。ただ私はルミネ様がまおちゃんにお話があるから連れてきて、って言わてただけだから~。……とにかく、ついてきなさい」
ふんわりとした話し方であるが目が笑ってない。そして最後のセリフはふんわりもしていなかった。……まおはげんなりと下を向く。
【ヴァルトブルク】の廊下を進む。途中グラーフを連れたヘルガと出会う。
「あら~、お疲れ様。ヘルガちゃん」
「はい、ひまりさんもお疲れ様です。あと、まおさんも…」
ヘルガはひまりの不機嫌を察してか形式的な挨拶だけをして通り過ぎようとする。しかしまおとすれ違う際に、ヘルガはにっと笑顔で親指でグッドサインを作るとまおに見せつけるのだった。
「わふぅ~」
その後ろでグラーフが機嫌良さそうに鳴いた。そして立ち去るヘルガ達。
「?」
その行動はまおを混乱させた。ひまりさんは不機嫌だけど、ヘルちゃんお姉様は応援してくれてるってこと…? なんだろう、ほんと、私何しちゃったんだろ。しかしヘルガの態度が悪くなかったことに、まおは少しだけ安堵する。
ホテルのエレベーターに乗り込む2人。そして最上階へ。総メイド長の執務室に辿り着く。
「ルミネ様、連れてきましたよ~」
ドアを開けると、目の前にはソファ、そしてその奥に仕事机を挟んで、高級そうなキラキラとした椅子に座る宝座ルミネの姿があった。総メイド長の部屋。まおが入室したのは初めてだ。いつもナギと話をする貴賓室ほどの豪華さはないものの、それでも高価な調度品で飾り立てられてる。
「まおさん、ご足労いただきありがとうございます。さあ、こちらに座って。いま温かいお茶を用意しますからね」
ルミネは立ち上がると、ソファへと向かう。ひまりにソファを指さされて、まおも向かい側に座った。
「今日お呼びだてしたのは他でもありませんわ」
ルミネは小さくにぃっと微笑む。左口の端から小さな八重歯がのぞていた。
「うーん、まおちゃんには見られちゃったなあ…」
川越マツリカがモニター越しに監視カメラの映像をチェックしていた。そこには地下の格納庫行きのエレベーターに入るまおの姿が映し出されていた。
「でも、まあ見ても何か分かんないよね、きっと。それにまおちゃん、シンジケートの人間じゃないから、ルミネ様にチクったりしないだろうし…」
マツリカはモニターから顔を上げる。そこは、先ほどまおが迷い込んだ地下格納庫だった。高い天井から白色LEDの光が降り注ぐ。そしてマツリカのすぐ側には、先ほどまおが目撃した「それ」ーーーずんぐりとした箱型の手足の生えた大きな黒い金属の塊があった。
「ようやく完成間近だからねえ。誰にも邪魔されたくないんだよねえ」
「お邪魔なようでしたら、その『まお』という方、こっそり消して差し上げましょうか?」
「わあっ」
急な後ろからの声に驚くマツリカ。そして振り向き、ほっと胸をなでおろす。そこには黒いシルクハットに黒マント姿の人物が立っていた。顔は銀色の仮面で覆われていて表情は見えない。
「…シュワルツさん、来てたんだね~…、脅かさないでよ、心臓に悪い…」
するとシュワルツと呼ばれた人物は軽く会釈する。そして男とも女ともつかない中性的な声色で答えた。
「驚かせたようで申し訳ない、マツリカ博士。今月の資金を持参しました。して、進捗はいかがですか?」
マツリカはその黒い金属の塊を見上げる。
「うーん、そうだねえ。人工頭脳はT.T.シリーズを使ってるし、駆動系も神岬技工さんから良いのもらってるけど、構造材周りがイマイチかなあ。ママと違ってボクはその辺りは専門じゃないからねえ」
「そうですか」
「でもね、シュワルツさんが情報をくれたお陰で、ママが作った初号機の部品が見つかりそうなんだよ。いま部下たちに総出で探させてる」
「2年前の出来事は不幸でした。シンジケートは貴方の母上と風海殿を同時に失った」
「…ママやマキ様たちの間に何があったかなんて、ボクは興味ないよ。ボクが興味があるのは、この子を完成させて、自分がどこまで出来るのか、ただ、それが知りたいだけさ
」
「それでお話というのは…?」
ホテル【ヴァルトブルク】の総メイド長執務室にて。まおはゴクリとツバを呑み込む。
「ええ、そうですわね」
ルミネがまおの顔を見てにやりと笑う。ルミネの隣に座るひまりの表情は相変わらず険しいまま不穏なオーラを放っている。
「まおさん、私たちは貴方をシンジケートにスカウトしたいんですわ」
意外なそのセリフにまおは両目を大きく開く。どんなお小言か無理難題が待っているのかと身構えていたものだから、驚きを隠せない。ルミネは続けた。
「ここ1ヶ月、貴方の働きを見させていただきました。ベテランメイドたちとも渡り合えるであろうお給仕の技術、完璧なお客様への対応、店のメイドたちとの仲も良好とか。ウラ喫茶店【イゾルデ】の店長も売上が増えたのはまおさんのお陰だととても感謝していましたわ」
ルミネはそっと紅茶に口をつける。
「身内の懐事情を話すようでお恥ずかしいのですが、シンジケートは慢性的な人手不足なのです。まおさんの能力はわたくしもひまりさんも実はとても高く買っていたところでしたのよ。貴方にならすぐにでもどこかの店の給仕長のお仕事をお任せしたいと思いますし、ゆくゆくは1店を任せしてもいいとさえ思ってるんですの。…流石にいままでのお店をそのまま、という訳にはいきませんが、ちょうど新しくお店を増やそうと思っていましてね」
まおはその話を黙って聞いていた。そして頭の中を回転させる。
罠、だろうか。少なくともまおは自分が給仕部門メイド長の紫陽ひまりから好かれていないことへの自覚はあった。だからシンジケートの給仕部門の仕事に行くようになったとき、配属されたのはボロボロの【イゾルデ】だった。もちろんまおはそれをここ1ヶ月でかなり改善したのだが。しかし今日もずっと不機嫌だったひまりが、まおのためにそれをルミネに提案したとは考えにくい。そしてあまり好きでもないまおに、わざわざ自分の部署のポストを渡すはずがないだろう。
するとこれはルミネが決めたことなのではないかと、まおは思った。ルミネの説明は筋が通っていて納得できる気もする。まっとうな経営者のまっとうな判断と見ることもできるかもしれない。しかし一方でルミネはナギと過去に因縁があり、それを現在まで引きずっているようにまおは推測していた。もしかするとこれはナギを再び孤立させるために、自分とナギの仲の良さ(少なくともまおからナギへの一方的な仲の良さ)を見たルミネが、まおをナギから引き離そうとするための策なのかもしれない。
疑っている まおの表情を嗅ぎつけたのか、ルミネが顔をぱっと明るくする。
「そう勘ぐらないでくださいな。わたくしはただ、貴方を高く評価しているのですわ。そのための対価は惜しまないつもりです」
「対価?」
「ええ」
ルミネはにやりと笑う。
「勿論、まおさんが金銭や地位などで動かないことはお会いしてから今までのことで分かっているつもりです。そしてまおさんの一番の関心事も…」
まおの頭にはもちろんのこと彼女のお姫様、風海ナギの顔が瞬時に浮かぶ。
「もし…まおさんがわたくしたちの事業をお手伝いしてくださるのでしたら………ナギさんの借金、10億を全て帳消しにして差し上げましょう」
「えっ!」
「ええっ!」
まおは驚愕する。そしてそれにはひまりも驚いて声を上げていた。
「え、ちょ、帳消しって……しかも10億って……!?」
「あら? ナギさんから聞いてないんですの?」
「いやだって、そんな……確かに借金があることは言ってたけど……そんな…」
「まあ、昔…色々とありましてね。…それでどうなんですの? 断る理由は無いんじゃなくて?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
そこにひまりが割って入る。
「この前の会議では半分を帳消しって話だったじゃないですか~! それでも私は反対だったのに! それにそんな大金、ヘルガちゃんも怒りますよぅ~!」
「実はヘルガさんにはあの後、わたくしが説き伏せて納得していただいたのです」
「えーっ、私、聞いてないー!」
ひまりが叫ぶ。ルミネは小さくため息をつく。
「とにかくまおさんを雇う、という決定には相違ありませんわ。金額の多寡は、この際、些細なことにしか過ぎない。もし不服でしたら、その分は私のポケットマネーから出しますわ」
「10億ですよ! 10億!! うー……、むう! ルミネ様の甘ちゃん!」
ひまりはそっぽを向くもそれ以上何も言わなかった。ルミネはまおを見て、その答えを待つ。
「…あはは、急なお話で頭が追いつかないや」
まおは無理やり笑顔を作り、どう返事をしたものかと思案する。そんなまおをルミネはじっと見つめる。そして口を小さくため息をつく。
「1週間待って差し上げます。良いお返事をお待ちしていますわ。ひまりさん、まおさんを送って差し上げて」
……屋敷に帰っても誰もいなかった。
両親は関東から戻って来るはずの予定の日から1週間経っても現れず、エッダもいつの間にか屋敷から姿を消した。
しばらくすると宝座のおじさまがルミネさんと取り巻きの人たちがやってきた。
ルミネさんは私を総メイド長にしてくれたけど、結局は……
「大丈夫ですか?」
ナギは目を覚ます。
「倒れていたところをツバキさんが教えてくれて急いで工場の医務室に運んだんです」
T.T.がナギを膝枕してくれていた。ナギはぼんやりと、ロボットさんの太ももって、柔らかいのだなあと考えていた。T.T.は心配そうにナギを見つめる。
「生命状態に異常はないようですが、もしお加減が悪いようでしたら言ってください。ここにはどんな救命キットも置いてありますので」
ナギは身体を起こす。そして後頭部に小さな痛みを感じて、どうして自分が気絶したのかを思い出す。緑髪の少女の姿とその言葉が思い出される。
「ツバキさんは…?」
「ええ、自分の荷物を見つけたとかで、先ほどここを去っていきましたよ」
「そう、ですか…」
「博士…この値段は少し高すぎではないですか?」
桜井ヘルガは川越マツリカが示したモニターのグラフとにらめっこをしている。
「T.T.シリーズ量産型…8体作ってこの値段。オリジナルの開発費だってかなりしたのに…」
「いやあ、最近税関も厳しくて、思うように材料が集まらないからねえ~」
マツリカはやんわりと答える。
「それにしてもこんなに……! 貴方はロボット開発でシンジケートを破産させる気ですか?」
工場の工場長室。メイド服に白衣を羽織ったロボ開発部門メイド長の川越マツリカと、管理部門メイド長代理の桜井ヘルガが対面して座っている。
「でもね、それはルミネ様の指示だし。こっちは言われて急ピッチで作ってるんだから、そこは、なんとか、ね?」
「むう…」
ヘルガはしかめっ面をする。
「らむ隊長~」
廃墟にてガラクタを探す鰐塚らむたち。そこに らむの部下のメイドが近寄ってくる。
「ン、どうしたの?」
「デコラが、あっちで黒い大きな腕みたいなの見つけたって!」
らむたちは急いでその場に向かう。
すると数人のメイドたちが取り囲む真ん中に、地面から人の身長を越えるような大きな腕のようなものが突き出していた。黒い金属で出来た部品だった。その表面には銃弾のか何かの跡が複数残っていた。
「もしかしてコレ…、早く博士に報告シナイト!」
◆◆◆
「あ、ナギさん!」
ジャージから制服に着替えて、工場を後にしようとするナギを発見したヘルガが近寄る。
「ヘルガさん、いたのですね」
「ええ、マツリカ博士に用事がありまして。私も帰るところでしたので、よければ途中まで送りましょう」
2人はヘルガの車に乗り込む。
ヘルガの車にて。
「まおさんとは仲良くしていますか?」
「………まあまあ、ですね」
感情を悟られないよう、目をそらしながらナギが答える。
「それはよかった」
ヘルガはにっこりと微笑む。
「まおさん、すごいんですよ。赤字続きだった【イゾルデ】を1ヶ月で立て直してくれて」
「そうですか…」
ナギはそっけなく答えるも、その口角は少し上がっていた。
「あ、笑った。ナギさん、いま笑顔になりましたね!」
「そ、そんなことないです…」
ナギは慌てて口元を抑える。
「前までのナギさんはいつも死んだ魚みたいな目をして仏頂面でしたけど、最近は色んな表情をするようになりましたね!」
「そ、そんなに私、酷かったですか…?」
「そうですよ。だけどまおさんと一緒にいるようになってから、ナギさん、明るくなりました」
「そうですか…」
ナギは戸惑いながらそう答える。
「なんででしょうね……それにあの人、どうして私のことなんか…」
「おやおや~、気になっちゃうんですか?」
「そ、そんなことありませんよ」
慌てて否定するナギ。
「…お二人が健やかに暮らせる日が来るといいですね」
すると少しだけ寂しそうな表情をナギはする。
「健やかに…それは無理というものですよ。私は両親の残したものを背負っていますから…」
「それがですね、実はルミネ叔母様が……」
「え…」
ヘルガの言葉にナギは驚く。
ヘルガの車を降りたナギは、屋敷への帰り道を一人歩いている。
そうだ、忘れていた。
両親に見捨てられ、身近な人たちに裏切られ、親しかった友人の期待にも応えられない……
「私は現実主義者ですから、既にシンジケートを追い出され実権を失った貴方に興味はありません」
ふと朱鋏ツバキのセリフを思い出す。
帰り道のコンビニの窓に映る自分の姿をナギはじっと見つめる。
制服は最近はまおがアイロンがけしてくれているので、ぴしっとしているが、それを着ている人間がそれに似合わない。ナギはじっと自分の顔を見つめる。ボロボロの髪、くたびれた表情、そして生気のない瞳…
昔夢見た、母親のような立派なマフィアになる夢はもう…きっと叶わない。
いまの私はもう何者でもない。ボスの娘でも、風海家のお嬢様でも…。居ても居なくてもいい、そんないい加減な存在。両親の借金を返すこと……それだけが私の存在意義なのだろう……
それでも…きっと、私にとって彼女との、この1ヶ月は……
ナギは屋敷のドアを開く。
居間の方から美味しそうな香り漂う。食欲をそそる優しい家庭的な香り。キッチンには、まおの気配がする。
「姫、おかえりなさい! もうすぐご飯できるからね! 先にお風呂入りなよ!」
しかしナギはそのままキッチンへと顔を出した。
「姫?」
ナギは無愛想に、しかしちょっとだけ寂しそうな表情をつくる。
「今日、貴方が本店へ行ったって聞きました」
「えっ、あ、うん」
まおは調理する手を止めて、ナギに向き直る。
「ルミネ様に呼ばれちゃってさ」
「はい、ヘルガさんから聞きました。喫茶店でも大活躍だとか。そしてルミネさんからのお話も素晴らしいものだったようで」
まおは、ハッと気づき慌てる。
「あ、もちろん、即答はしなかったよ! ちゃんと姫に相談しようと思ってたんだから!」
ナギは慌てるまおにかすかに微笑むと小さく頷いた。
「分かってます。分かってますとも。貴方は自分勝手だけど……でも、そういう気遣いはできる人だって、ちゃんと知ってます…」
しかしナギはうつむく。そして目を細め、口を開く。
「申し出は受けると良いと思います。ルミネさんも貴方のこと、高く評価してくれてるようですし、きっとそれは貴方のためになると思いますから……」
「じゃあ…!」
まおはナギのそのセリフに顔を明るくする。しかしナギは続ける。
「だけど…その対価というやつは……私は受け取ることは出来ません」
まおはそのまま表情を固くする。そしてしばらくして…ようやく言葉ひねり出す。
「あの…どうして?」
「もう貴方との契約期間はおしまいです」
「え」
まおはその言葉に耳を疑う。寂しそうな笑みを浮かべるナギ。
「私がどうかしていました。借金は全て私の問題なんですから」
「そんなことない、そんなことないよ、姫っ。私、姫が幸せになれるためなら何だって……」
ナギが首を振る。
「どうして貴方が私にそんなに固執するのかずっと疑問でした。けれど、もうそれはどうでもいいんです。私は2年前のあの日に決めていた。………家族も仲間ももう要らない、って。そして両親が残したモノだけを綺麗に片付けようって。貴方とのこの生活、嫌いじゃなかったけど……私は、もう誰の足も引っ張りたくないんです…」
「どうしてそんなこと…ねえ、もしルミネさんが言ってたこと気に食わないなら、私断るから!ぜんぜん大丈夫…一緒に考えようよ。もしかしたらもっと別の方法があるかも!」
まおは食い下がる。自分の胸に手を当てて必死に訴える。ナギは目をそらす。
「私、母親譲りで戦うしか能のない人間なんです。経営も数字もダメ、お茶だって上手に淹れられない。マフィアとしての価値。戦って戦い続けて借金を返すことしか…」
「姫…」
「これが私の出来ることの全てです。私、貴方が大事に想ってくれるような大層な人間ではないのですよ。そしてもう、自分がダメなせいで、私のために誰かの足を引っ張りたくない。そしてそれは貴方も例外ではないんです…」
「……っ」
ナギは儚げに小さく微笑んだ。その両目にはうっすらと…涙が浮かんでいる。
「それにね…貴方のお陰で借金が無くなってしまったら……どうしましょう。……王子様。私の、最後の生きる理由を奪わないで」
荷物をまとめさせられたまおは玄関に立たされる。
「貴方との生活のおかげで色々大事なことを思い出すことができました。ありがとう、王子様さん」
「あの……」
まおは何も言い返せなかった。パタリと閉まる扉。玄関の明かりが消える。まおはトボトボと屋敷からの坂を下っていく。
◆◆◆
ルミネは本店【ヴァルトブルク】の執務室で、紅茶に口をつけながら古い写真の収められたアルバムに目を落としていた。
まだシンジケートが平和だった頃、庭のテーブルに座る5歳くらいのナギ、ルミネ、ひまり、マツリカが写っていた。マツリカは自作の機械の人形を眺めながら、片手でナギの手を握っていた。ひまりは可愛らしいメイド服に身を包み、皆にお茶を配膳している。ルミネはナギの隣に陣取り、何やら様々なアクセサリーをナギに身に着けさせようとしていた。そんな皆に囲まれたナギの表情は………
ルミネがその写真に見入っていると、部屋のドアが強く叩かれた。
「おい、ルミネはいるか」
低く太い壮年の男の声。その声にルミネは応じる。
「お父様、どうかなされて?」
どうやら声の主はコウベシンジケートのボス、宝座ハンスのようだった。
「ちょいと面倒なお客様が来た。お前もすぐに顔を出せ」
そう用件だけ言うと足音が遠ざかっていくのが聞こえる。ルミネはアルバムを閉じると立ち上がった。
ルミネがノックして貴賓室に入ると2人の男女がソファに向かい合って座っていた。
片方はブラウンのスーツに身を包んだ恰幅の良い髭を生やした壮年の男。ペタッとした茶色い髪。少しつり上がった目はルミネに似ている。コウベシンジケートのボスにして総代、宝座ハンスであった。そして向かい合う中年の女性、こちらもスーツに身を包んでいるが…
「あら、署長様」
ルミネは軽く会釈をする。
「ここではその名前で呼ばないでちょうだい」
「署長」と呼ばれた女性はきっぱりとその言葉を断ち切る。
ルミネは押し黙ると父親の隣に座った。ハンスは口を開く。
「冬木さん、今月の手付はもう振り込んだはずだが…。…わざわざこちらに出向いてくるとはどのようなご用件でしょうか」
冬木、と呼ばれた女性は組んだ腕の人差し指を神経質そうに動かす。
「宝座さん、ここ数年、コウベのマフィア組織の動きが活発なのはご存知ですね。先月も繁華街の地下店舗での戦闘騒ぎ、大通りのレストランが爆破されましたし、とある事務所での銃撃戦もあった。この事態を私たちの『組織』は重く受け止めています」
「それは重々承知しています。しかし大戦から9年、そして一昨年の『事件』もあった。シンジケートの力は完全ではないのです…」
「そのせいで様々な小組織が蔓延ってコウベの治安は安定しない。…それでも、先代の風海マキの頃はその武力によって睨みをきかせられていた」
「それは冬木さんが……」
ハンスはちらりとルミネの様子を見やる。そして何かを言おうとしてやめた。冬木もそれを察したようでその言葉にはそれ以上反応を示さなかった。冬木は言う。
「2ヶ月以内にコウベを安定化させなさい。そうしないと……装甲機動隊が動くでしょう」
「装甲機動隊…?」
ハンスもその名前は聞いたことがあった。日本国内務省直轄の組織で、9年前の大戦の教訓から生まれた治安維持の特殊部隊だ。
「そんなご大層な…」
ハンスは笑ってみせる。しかし冬木は真剣だ。
「お国は開放政策やら何やらで、大戦で傷ついた経済に外国資本を入れることに決めたの。そのためには治安の回復が急務。いままでは裏社会も経済の一部として大目に見られていたけど、自分のお尻を自分で拭えないネズミたちは駆除しなきゃって腹よ」
ハンスとルミネは固唾を呑む。
「彼らは内務省直轄。警察庁やコウベ特別市市長の下の私とは指揮系統が異なるの。急いでいただかないと、コウベの治安は私の指揮下を離れるわ。そうなるともう、私の権限ではどうすることも出来ない。……もちろんシンジケートは潰されるでしょうね。そして貴方と関係していた私の立場も危うい。この状況下で、貴方のするべきことは分かるわね? もういままでのように問題をコウベの内側だけで処理できてた時間は終わりつつあるってことよ」
「……」
ハンスは難しそうな顔で沈黙する。考え込む。そして、口を開いた。
「ルミネ…聞いたとおりだ。なるべく早く、コウベに巣食うゴロツキ共を綺麗に片付けるんだ」
「はい…しかしお父様。今のシンジケートの力だけではとても…」
「何のために大金をかけて川越の娘に人形作りをさせていたと思っているんだ。それに必要なら他の地域から協力を求めて構わん。金に糸目はつけるな。奴らを、警察が介入する口実を作る前に、全て片付けるんだ」
「……分かりましたわ」
ルミネはスマホを取り出す。
「なるほどなるほど~」
地下格納庫。らむたちが発見した腕のようなパーツを、川越マツリカ、らむ、T.T.01、そして側近の技術班のメイドたちが検分する。
「さすがママだね。いかに軽くて強い装甲材を作れるか、よく知ってる。それにこの駆動系は…ボクの作っている電気式にも応用ができる」
ちらりとモニターを見やる。
「シュワルツさんからもらったお金だけじゃやっぱり足らないなあ。ヘルガちゃんを誤魔化してお金の流用もしてたけど、そろそろバレちゃうよねえ」
マツリカは黒い四角い金属の塊を見上げる。
「もう少しで目覚めさせてあげるからね、ボクの愛しのギガント」
そこでけたたましくマツリカのスマホが鳴る。ルミネからだった。
「マツリカ博士、至急ロボットさんたちの準備をなさい。今月中に大きな作戦をします」
「ん~、それは本当に急だねえ。T.T.量産型のAIや武器はまだ完成していないよ?」
「最低限動いて戦えればそれでよろしいですわ。それだけでもシンジケートのメイドより遥かに強いんですから。もちろん鰐塚さんやT.T.さんにも参加してもらいますわよ」
「は~い、お給料分はしっかり働かせていただきますよ~」
マツリカはスマホを切る。そしてゆったりと片腕を振って皆の注目を集めた。
「さあ、みんな~。本業の方も忙しくなるから、ちょーっとだけ頑張ろうか~」
<5話に続く>
おまけ:円堂まお の とある1日
6:30 起床・着替え・洗顔。
7:00 朝食の準備。
7:15 ナギを起こして朝食(ハムエッグとトースト)。
7:45 ウラ喫茶店【イゾルデ】へ出勤。
8:00 【イゾルデ】到着。開店準備。お菓子やフレーバーティの調合など。
9:00 開店。給仕、給仕、ひたすら給仕。
11:00 ひまり視察。ひまりを褒めたり美味しいお茶を出してなんとか切り抜ける。
12:00 忙しい時間。
13:30 ようやく客足が落ち着いたので、お店の給仕メイドたちと昼食(ビスケットとサンドイッチ)。
14:00 ヘルガ、取引先の方と来店。VIP室でむずかしい商談をする。
15:00 まお退店。屋敷に戻りナギの準備を手伝う。
16:00 デンデン一家の事務所を襲撃。まおは周囲の警戒、逃走ルートの確保。
17:00 結果をナギと一緒に本店【ヴァルトブルク】でルミネに報告。
17:30 その後ホテルのラウンジで遅いおやつタイム。エッダが現れるもナギがその場をすぐ去ってしまったので慌ててその後を追う。
18:00 襲撃した事務所で集めた武器とPCを工場に運んでマツリカに売る。
19:00 らむとT.T.01のお魚レスキュー活動(釣り)の手伝い。
20:00 工場のメイドたちと夕食(カツ丼)。
21:00 帰宅。お風呂の準備。
21:15 ナギをお風呂に入れている間に、ちょっとだけ屋敷のお掃除。
22:00 入浴。
22:45 ナギに無理やり野菜ジュースを飲ませる。
23:00 自室に戻りヒミツの作業開始。
23:45 就寝。
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