分科会②
演劇的アプローチによる読みの授業開発
演劇的アプローチによる読みの授業開発
演劇的手法による説明的文章の「書きぶり」と出会う授業
—「世界にほこる和紙」の筆者との対話—
馬場廣之(大阪教育大学附属池田小学校/現任校 東大阪市立桜橋小学校)
「読むこと」の単元及び「書くこと」の単元の学習において、学びを深めるための手立てとして演劇的手法を用いた実践について発表する(中心教材は、説明的文章『世界にほこる和紙』「伝統工芸のよさを伝えよう」光村図書4年)。
単元の構想にあたって、国語科の学習について「学びのつながり」という視点から捉えなおそうと眺めてみたときに、児童が学びのつながりを理解しないまま学習が進められているのではないかということが気にかかった。例えば、4年生における説明的文章教材「アップとルーズで考える」の学びは「世界にほこる和紙」での学びにどのようにつながっているのか、単元の学習に入る前に或いは学習を終えたときに理解できている児童はかなり少ないように感じる。それは教材の力によって、児童が「書かれていること」に目を引かれるあまり、「書かれ方」に目を向けられないことが原因であると考えた。そこで、「何が書かれているか(主張や話題)」「どのように書かれているか」、そして「そのように書かれたのはなぜか」まで視野に入れた「書きぶり」と出会っていく単元、授業のデザインを志向した。そうすることで、児童が国語科の学習に系統性を感じられるようになり、学びがより主体的で深まりのあるものになると考えたからだ。
本単元において児童が「書きぶり」と出会っていくためにかかすことのできなかったものが、演劇的手法である。具体的には筆者(役)としてインタビューを受けたり、インタビューをしたり、それを見たりする活動に取り組んだ。なお、演劇的手法が手立てとして機能するよう、インタビューの活動に取り組むまでに、教材文と向き合い「書かれていること」や「書かれ方」を分析し、一人一台端末を活用して、筆者にインタビューして聞いてみたいことを出し合い共有している。本発表では、まず、そうした単元の構成や工夫など児童が教材文と向き合いたくなる方略や、筆者(役)へインタビューしてみたくなるよう乃ち演劇的手法に導入していく方法、さらに演劇的手法をもとに深めていく方法について順を追い紹介する。次に、児童が「書きぶり」と出会っていく過程とその様子について、児童の考えたインタビュー内容とその変化が記録されているクラウド上のデータや授業の動画をもとに報告する。国語科の学びについて、その「内容」とは何か、どのようにすればアプローチできるのか、単元を通して生き生きと読み、生き生きと書いた児童の姿とともに本発表を通じて共有したい。
演劇的手法を通じて『大造じいさんとがん』を読み味わう
髙井大輔(大阪市立加美南部小学校)
「大造じいさんは、ダサい。」初発の感想を交流した際、そんな発言をした学習者がいて驚いた。大造じいさんは、失敗を繰り返すのでダサいのだという。
『大造じいさんとがん』(東京書籍5年)は、4つの場面で構成されている。1,2場面ではじいさんの失敗がくり返されるものの、3場面では、宿敵残雪を討つという期待が最大限に高まるが、じいさんは自らその機会を捨て、決着を次の年へと持ち越すことを決める。この3度の戦いがただの失敗に見えた学習者は、この作品をどう読み直せばよいのだろうか。じいさんと残雪の人物像と関係性、そこから生まれるドラマに対する解像度と、そして、それらを生み出す文学的な表現に対する感受性を高める必要がある。
本実践における演劇的手法とは、再読と精読のための方略である。登場人物に「なってみる」ことを通じて、登場人物の視点から物語を読み直す。さらに、「見せる」という行為を介して、文字言語から生成した解釈を他者と共有する。生活の中で文字を読むという習慣が全く無い学習者が3割もいる本学級だからこそ、非言語による理解・表現活動を通じて『大造じいさんとがん』を読み味わいたいと考えた。
本実践では、1,2場面を劇化して登場人物の人物像と関係性に対する解釈を深め、それらが情景描写とどう関連するかを考えた。次に、3場面でじいさんが「銃を下ろす」という場面のロールプレイを行い、大造じいさんの心情の変化に関する解釈の言語化を行った。じいさんがどのように造型された人物かということを探る学習活動である。
これらの学習活動には「見せる-見る」という学習者同士の関係が内包されている。全ての学習者が「見せる」側に立ったわけではない。それでは、「見せる」側と「見る」側の学びの過程には、どのような違いがあるのだろうか。本実践報告では、全ての授業記録と学習者のノートを分析することを通して明らかとなった、両者の学びの過程について報告したい。