分科会⑥
主体的な読みを開く表現活動の充実—「語り」へのアプローチ—
主体的な読みを開く表現活動の充実—「語り」へのアプローチ—
「『鳥獣戯画』を読む」の授業開発—高畑さんのゴーストライターになろう—
瀬田貴生(八尾市立東山本小学校/現任校 八尾市立高安小中学校)
本実践発表の主たる教材「『鳥獣戯画』を読む」は9段落から構成されている絵巻物・絵画(鳥獣戯画)を読んだ文章である。
筆者「高畑勲」は、鳥獣戯画を絵の内容(物語)・形式(絵の描かき方)・評価(素晴らしい点)を巧みに交えながら、話を展開している。言うまでもなく「高畑勲」は著名な映画監督であり、アニメ界の巨匠である。その筆者が、実に素晴らしいという鳥獣戯画を褒めたたえる言葉や、筆者が読んだ絵の内容・物語、描き方が「高畑勲」独特の語り口・表現や観点によって綴られている。
学級の児童は文章を読んでいく際に、同じ展開で文章と出会ってきた。扉絵や題名を読み、初めと終わりから中を予想し、予想を共有する。つまり、読むための素地・構えをつくってから教科書全文を読んでいる。読むための必然性を持たせ、漠然とした感想に加え、焦点化した読みを持つことを意図した。
また、教科書教材の余白に読者である児童が参加する活動を取り入れてきた。本実践において8時限目には筆者・高畑勲さんにインタビューを行った。名前だけの筆者との出会いをコーディネートし、児童が筆者になりインタビューに児童が答える。そこで、本当の筆者高畑勲がアニメ界の巨匠であり、映画監督であり、一度は目にふれたことのある作品を世に送り出してきた人物であることを知らせる。その筆者からの挑戦状『この三匹の応援蛙のポーズと表情もまた、実にすばらしい。それぞれが、どういう気分を表現しているのか、今度は君たちが考える番だ。』を受け取り、応えるという状況をつくることで7.5段落という文章の余白に参加させた。筆者が鳥獣戯画をどう読んだか(内容)、どう素晴らしいか(描き方・歴史的な位置づけ・世界的な視点)、語り口(筆者独特の表現)を共に読み、共有していく。読んだことを活かし、筆者高畑勲になることで文章の書き手の側に立ち、『「鳥獣戯画」を読む』を身近なテクスト・ふれられる教材として感じさせた。筆者体験をくぐり、表現することのよさや苦労を感じさせる。それが物語る力を得る一助となることを願いつつ実践した報告である。
模擬裁判による「少年の日の思い出」の授業
—【語り】を相対化することによって【僕の罪】を再考する—
宮内史代(大阪市立瑞光中学校)
この作品は第一場面の語り手である「私」が、大人になった「僕」の語った彼自身の過去のエピソード(回想)を再構成して語り直すという構成になっている。「僕」の少年時代の回想が物語の中心となるが、現在から過去、そして再び現在に戻るという構造ではなく、過去の場面で物語が終わる作品構造となっている。
一見すると、「僕」は「エーミール」の家に勝手に入り、貴重なクジャクヤママユを盗んだあげく潰してしまうという、どうにも救いようのない人物である。そして、物語の最後で彼が自分の収集を潰してしまうという行動についても、罪を償うための行動であると捉えることもできる。また、「僕」の語る「エーミール」は何とも嫌味な人物として描かれている。
しかし、果たして本当にそうなのであろうか。語られていない真実を突き止めるために、「なぜ『僕』は自分の収集を押し潰してしまったのだろう」という問いを立て、「僕」自身が「エーミール」に対して抱いている感情に気付かせるように授業を組み立てた。また、対役である「エーミール」の視点から捉え直すことで、「僕」と「エーミール」の人物像や二人の人間関係などの新たな一面が見えてくる。そこで、視点を変える活動として模擬裁判を行うこととした。そのために授業全体をとおして、一人称視点の特徴とこの作品の語りの構造を押さえた上で、各場面における本文の叙述やことばに着目しながら、「僕」や「エーミール」の行動描写・心情描写について精査・焦点化して読み進めるようにした。また、そのうえで過去の場面で物語が終わっていることの意味と第一場面の役割を考えさせた。
これらの活動をとおして、こどもの読む力を伸ばし、深い学びを実現することができるよう願って実践した報告である。