2026/07/25~26 ~学校で思いっきり遊ぼう会(お泊まり会) に参加してみて~
みんな違うダンボールハウス作り
「今から、みんなが今日泊まるダンボールハウスを作ります!」
体育館いっぱいに積まれた大きな段ボールを前に、その一言が響いた瞬間、子どもたちが一斉に駆け出しました。
「この大きいダンボール、使いたい!」
「ここを窓にしよう!」
「机とベッドも置きたい!」
あっという間に体育館は歓声と笑い声で、いっぱいになります。
先日、子どもと一緒に、PTAおやじの会が主催する「学校お泊まり会」に初めて参加しました。
子どもも大きな段ボールを見つけると、目を輝かせながら運び始めます。
「ここが入口で……。」
「窓は二つ作ろうかな。」
「玄関にはカギも付けたい。」
頭の中で思い描いた家を形にしようと、次々と手を動かしていきます。
周りを見渡すと、一つとして同じ家はありませんでした。
レンガを一つひとつ描き、本物のレンガハウスを目指す子。
カフェのようにかわいく飾り付ける女の子たち。
土台を高く積み上げ、高床式住居を作ろうと試行錯誤する子どもたち。
三角形を組み合わせ、不思議な形の「コロコロハウス」を作る兄弟。
子どもたちの様子は、どこか似ています。
壁が倒れる。
少し考える。
また手を動かす。
友達と相談する。
笑う。
また作る。
気が付くと、予定していた時間を過ぎても、まだ作り続けている子どもたちがいました。
「あと少しだけ。」
「ここだけ完成させたい。」
一方で、自分のダンボールハウスに満足した子どもたちは、夕食までのひとときを思い思いに過ごしていました。
カレー作りを手伝う子。
体育館で鬼ごっこやボール遊びを始める子。
ダンボールハウスの中で友達と楽しそうに話している子。
同じお泊まり会に参加していても、そのひとときの過ごし方は一人ひとり違っていました。
夜が明けると、体育館には昨夜自分たちが泊まったダンボールハウスが、そのまま並んでいました。
朝食を終えた子どもたちが集まり、ダンボールハウスコンテストが始まります。
受賞作品が発表され、その家を作った子どもたちが前に出てインタビューを受けます。
「大学生賞」に選ばれたのは、レンガハウスでした。
「レンガを一つひとつ丁寧に描きました。時間がかかって大変だったけど、本物に見えるように頑張りました。」
少し照れながら話したあと、「実は去年も大学生賞をもらいました。」と、笑顔で教えてくれました。
グランプリに選ばれたのは、高床式住居でした。
床を高くすることで通気性を良くし、床の振動も抑える。
しっかり考えられた工夫に、会場からも驚きの声が上がります。
その子も、「去年も参加しました。」と、少し誇らしそうに話していました。
そして、私が一番印象に残ったのは、「コロコロハウス」を作った兄弟でした。
コメントを求められると、少し恥ずかしそうに立っています。
すると司会のおやじの会の方が、「じゃあ、どうやって家に入って住むのか、見せてくれる?」と声を掛けました。
小さな弟が、さっとダンボールハウスの中へ入ります。
体を左右に揺らすと、小さな家がコロコロと転がり始めました。
一度では終わりません。嬉しそうに何度も何度も転がります。
体育館は笑い声に包まれました。
評価された理由も、それぞれ違いました。
レンガを一つずつ描き続けたこと。
高床式という発想。
コロコロと転がる楽しさ。
一つとして同じ作品はありませんでした。
そして、もう一つ印象に残ったことがあります。
「去年も受賞しました。」
「去年も参加しました。」
そんな言葉が、何人もの子どもたちから聞こえてきたことです。
その時は、「毎年人気のお泊まり会なんだな。」くらいにしか思っていませんでした。
「またやりたい」が生まれた肝試し
夜になると、校舎は昼間とはまったく違う表情を見せました。
そんな校舎で行われたのは、肝試し。
廊下の電気は消え、子どもたちの手元には提灯を模した小さな灯りだけ。
校内には不気味な音楽が流れています。
トイレには花子さん。
お化け役を務めていたのは、教師を目指してボランティアとして参加していた大学生の皆さんと、
この小学校を卒業した中学生たちです。
昼間は子どもたちと一緒に遊んでいた大学生が、今度は本気で子どもたちを驚かせます。
スタート前、おやじの会の皆さんが子どもたちに伝えていたことが、印象に残っています。
「参加するかどうかは自由です。」
「怖くなったら、途中で戻ってきても大丈夫。」
「無理はしなくていいからね。」
肝試しなのに、「最後まで行くこと」が目的ではない。
そんな空気を感じました。
最後の組が校舎を回っている頃、私はゴールの少し手前にあるチェックポイントに立って見守り役を
していました。
「最初は途中でリタイアしたけど、もう一回、最後の組と一緒に回ってきた!」
と、少し興奮した様子で話してくれました。
体育館に戻ると、途中リタイアした子も
「すごく怖かったから、友達と二人でリタイアしちゃった。でも来年は、絶対最後までゴールする!」
と、嬉しそうに話してくれました。
勝敗以上のものが生まれた水鉄砲合戦
翌朝校庭では、水鉄砲合戦が始まります。
赤組と青組に分かれ、首から下げた金魚すくいのポイを水鉄砲や水風船で狙い合う戦いです。
大将のポイを先に破ったチームの勝ち。
いよいよ試合が始まるという時、司会のおやじの会の方が言いました。
「それでは、大将を決めてください!」
すると、何人もの子どもが手を挙げました。
その姿を見て、少し驚きました。
大将は一番狙われます。
負ければチームの敗戦につながります。
それでも、「やりたい」と手を挙げる子どもが何人もいたのです。
後から思い返すと、手を挙げていたのは、おやじの会のイベントによく参加している子どもたちが多かったように思います。
試合は予想以上に白熱しました。
炎天下のなか、両軍入り乱れての戦いが続きました。
赤組の大将が、校庭中を必死に走り回ります。
仲間が声を掛けます。
青組も追い掛けます。
最後は追い込まれてポイが破かれ、試合終了。
負けたチームからは、悔しそうな声も上がりました。
その時でした。
司会のおやじの会の方が、その大将に向かってこう声を掛けました。
「最後まであきらめずに逃げ続けたの、かっこよかった!」
校庭の空気がふっと和らぎました。
負けた大将も、どこか誇らしそうな表情をしています。
私は、その場面が強く印象に残りました。
この日、子どもたちが受け取ったのは、「勝った」「負けた」だけではありませんでした。
最後まで走り続けたこと。
挑んだこと。
仲間のために頑張ったこと。
そんな姿そのものに、拍手が送られていました。
子どもたちの「またやりたい」を、支える人たち
お泊まり会の合間に、おやじの会の皆さんと少し話をする機会がありました。
今回が初めての参加だった私は、
「どうして、こんなにたくさんの企画を続けられるんですか。」
そんな素朴な質問をしてみました。
返ってきたのは、とても自然な言葉でした。
「今の子どもたちは、集団で遊ぶ機会が本当に減っているんです。」
「だからこそ、地域で遊ぶ機会を作りたい。」
「遊びの中でしか身に付かないことって、たくさんあるから。」
後日、おやじの会の案内を読み返してみると、こんなことが書かれていました。
<引用>
習い事だけでは身に付きにくい、予想外のトラブルへの対応やアドリブ力、応用力などを、集団遊びの中で育んでいきたい。
私は、その言葉を読みながら、この二日間の子どもたちの姿を思い返していました。
壁が倒れても、自分で考えて作り直していた子。
途中で肝試しをやめても、「来年は最後まで行く」と話していた子。
負けても、「最後まで逃げてかっこよかった」と声を掛けられていた大将。
どれも、大人が教えたというより、子どもたち自身が遊びのなかで経験していたことでした。
そして、もう一つ印象に残ったことがあります。
今回の運営には、教師を目指す大学生が何人もボランティアとして参加していました。
話を聞くと、大学の授業の一環として地域ボランティアに参加しているそうです。
「先生になりたいので、こういう活動を見てみたかったんです。」
そんな話をしてくれました。
昼間は子どもたちと一緒に遊び、夜は本気でお化け役を演じ、翌朝は子どもたちの作品を見て、「大学生賞」を選んでいました。
子どもたちだけではありません。
大学生たちもまた、この場で何かを感じているように見えました。
さらに驚いたのは、小学校を卒業した中学生以上の人達も参加していたことです。
夜はお化け役として。
翌朝の水鉄砲合戦では、司会を途中から担当していました。
その姿を見ながら、ふと思いました。
この子たちも昔は、同じようにおやじの会のイベントに参加していたのだろう。
そして今度は、自分たちが子どもたちを楽しませる側になっている。
その光景を見ていると、活動を「続ける」というより、想いが自然と受け継がれている。
そんな言葉の方が、しっくりくるように思えました。
我が家が持ち帰ったもの
水鉄砲合戦後にお昼ご飯の流しそうめんを食べて、お泊まり会は終わりました。
自転車で家に帰り、シャワーを浴び、おやつを食べながら、子どもたちと二日間を振り返っていました。
「どうだった?」
そう聞くと、ほとんど同時に答えました。
「来年も絶対参加する!」
その一言を聞いた時、私は少し考え込んでしまいました。
考えてみると、この二日間で子どもたちは、何か特別なことを教わったわけではありません。
挑戦しなさい、と言われたわけでもありません。
自信を持ちなさい、と励まされたわけでもありません。
それでも、「またやりたい。」という気持ちが自然に生まれていました。
私は、その理由を考え続けていました。
振り返ってみると、ダンボールハウス、肝試し、水鉄砲合戦の三つの場面には共通していることがありました。
それは、子どもたちは、
挑戦していたのではない。
夢中で遊んでいただけだった。
結果として、挑戦になっていた。
私は、その違いに初めて気づきました。
では、人はなぜ「またやりたい。」と思えるのでしょうか。
それは成功したからではないと思います。
ある子は途中でリタイアしました。
水鉄砲合戦の大将は負けました。
それでも、「また。」が生まれていました。
それは、失敗しても終わりにならなかったからです。
その経験が、誰かに受け止められ、認められ、次へとつながっていたからです。
その姿を見ながら、私はこんなことを思いました。
もしかすると、人が自ら動けるようになるのは、
「頑張れ。」と言われた時ではなく、
「またやりたい。」と思える経験を、何度も積み重ねた時なのではないだろうか。
大人になると、いつの間にか
「失敗しないこと。」
「正しくやること。」
を考える時間が増えていきます。
でも子どもたちは、そんなことを考えてはいませんでした。
面白そうだから作る。
怖いけれど行ってみる。
もう一回やってみる。
その姿を見ながら、私は少し羨ましくなりました。
だから私は、会社でも、学校でも、家庭でも、地域でも、本当に育てたいのは「挑戦する人」ではないのだと思います。
育てたいのは、「またやりたい。」と思える人です。
その気持ちが育てば、人は自ら動き始めます。
そして、その姿を見た誰かも、また動き始めます。
あの日、体育館で見た子どもたちは、一人ひとり違うことをしていました。
でも、みんな夢中でした。
「またやりたい」と思えることを見つけ、夢中になれる。
その積み重ねが、人が自ら動き続ける力を育てていくのかもしれません。