木場の棒踊り
慶長3 (1598)年に上杉景勝は、豊臣秀吉によって会津100万石に移封・国替えをさせられたため、18年間に亘って存立した木場城は廃城となります。廃城後に農民達が武道の型を残そうと、踊りに託して棒踊りを後世に伝えたのが木場の棒踊り始まりと言われています。
初期の頃の棒踊りは知る由もありませんが、文化・文政の頃に甲賀流の技術も加わり、甲賀流とは滋賀県の群名で忍術に秀でた甲賀衆のことであります。また、慶応年間には九州の杖道(じょう・どう)の流れを加えて、次々と改良を加えてきております。杖道とは剣の代わりに丸木の棒を用いることの意味であります。
なお、木場の棒踊りは、獅子舞、太刀踊り、薙刀踊り、十手踊り、岡崎神楽、天狗舞、手踊り、花笠踊り、狂言など一連の木場演芸団の一翼を担って伝承されてきました。また、木場演芸団の特徴として、①木場八幡宮に対する敬神の念と、②若者達の心身鍛錬の場と、③生活苦を超越して人生を楽しく生きようとする姿勢、以上三点があげられています。
その後、昭和の時代に入ると木場村に二つの演芸団が組織されて、笛、太鼓、獅子舞、薙刀踊、手踊、棒踊り等の技を競うようになります。これらの演芸は、家の跡取りだけに伝えられてきましたが、戦後の青年会活動にも受け継がれて心身鍛錬の場にもなってきました。
しかし、日本の経済が成長すると共に青年団活動は衰退し、棒踊り以外の演芸は姿を消して、最後に棒踊りのみとなってしまいます。なお、木場の棒踊りは、新潟市の無形民俗文化財、更に、新潟市民文化遺産として認定されていますが、残念ながら後継者のなり手も無く400年の伝統を育んできた木場の棒踊りは、目下存亡の危機にあえいでいるのが現状であります。
文責:大 谷 一 男
木場の棒踊り動画
新潟市の無形民俗文化財に登録されている「木場の棒踊り」。かつて新潟市西区木場の地に築かれた木場城は、上杉景勝の会津移封に伴って廃城となりました。
廃城後、木場の農民たちが武道の型を練武の踊りに託し、天下泰平、五穀豊穣を祈願したと言われています。