【第4回】寺澤盾 先生
【第4回】寺澤盾 先生
『英語史新聞』第4号から、過去6回に渡り3名の英語史研究者にインタビューを行ってきた英語史ラウンジ。記念すべき第10号を飾るインタビューでは、なんと寺澤盾先生にお話を伺うことができました。
青山学院大学 文学部英米文学科 教授
専門は英語史、中世英語英文学。ブラウン大学にてPh.D.を取得後、東京大学教授などを経て現職。青山学院大学文学部英米文学科 教授、東京大学 名誉教授。
(*所属等はインタビュー当時のものになります)
─── 英語との出会いを教えてください。
小学校1年の1学期を終えた後に、父(= 寺澤芳雄先生)の仕事の関係でアメリカに行く機会がありました。 アメリカのコネティカット州のニューヘブンにあるイエール大学で、父が在外研究をするため、一緒に現地に行くことになったからです。今だとアメリカの学校では、外国語として英語を勉強するEFLのクラスがありますが、当時は今と違ってそうしたものはないので、結果として、何の準備もなく、いきなり現地の学校に入れられました。それで、2、3か月は一言も話さないので、学校の先生も家で英語を話してくださいと親にアドバイスをしたぐらいです。でも、その後半年ぐらい経ったら、今度また先生に呼び出されて、「おたくの息子さんは授業中おしゃべりが過ぎるので、ちゃんと勉強するように言ってください」と言われたようです(笑)。それが僕にとっての英語との最初の出会いだったので、非常にインパクトはありましたね。
話は脱線しますけど、当時(1960年代)のアメリカというのは、今の日本とアメリカの関係とはだいぶ違って、アメリカが本当に全ての面で先進的でした。物も豊富にあるし、どこに行っても何を見ても、全てが新鮮でした。たとえば、大型の洗濯機とか乾燥機とか、日本で見たこともないものがあって、台所の流しにもゴミのディスポーザーが付いていて「そんなことができるのか!」とか。あるいはオートマチックの車も日本にはなかったので、見るものが全て新鮮で、いまだに記憶が鮮明に残っています。
でも60年代は、一方でヴェトナム戦争が行われた時代でもあります。子供だったのであまり意識しなかったですけど、僕の1番の親友のお父さんが、一時期 ヴェトナム戦争に反対して牢獄に入れられたという話を聞きました。子供ながらにも戦争が行われていることは理解しましたが、この豊かな国で、人がどこかで戦争しているなんてことは実感できませんでした。だから、英語だけじゃなくて、アメリカとか異文化に対する衝撃的な出会いがあったという感じです。今はもう、YouTubeとか、いろんなものであらかじめ行く前に情報があるので、新鮮さは少ないと思いますが、僕にとっては本当に全てが衝撃的でしたね。
─── その後はどのような感じだったのでしょうか?
母も中学・高校の英語教員ということで、両親とも英語関係の仕事でしたが、僕はあまり素直じゃないので、むしろそれが引っかかっていました。アメリカにいた時に覚えた英語もすっかり忘れてしまったので、中学からまた英語を始めたのですが、英語はあまり勉強したくなかったです。英語の先生に対しても、自分の親みたいな感じがしたので反発したりして、英語に対してすごく距離感がありました。その反動で、どちらかというと得意だった数学とか物理とかを中高の時に熱心に勉強しました。ただ、最終的に大学受験のときは文系にしました。そのいきさつは、自分でも覚えていませんが、友達も僕のことを理系志望だと思っていたようで驚いていました。そんな感じで、英語に対しては出会いも衝撃的でしたが、親が英語関係の仕事だったので、なるべく関わりたくないという思いが大学に入るまではずっとありました。
インタビュー時の様子(寺澤先生の研究室にて)
─── では、英語史研究者でなければどのような道を歩まれていたのでしょうか?
理数系が得意だったのと、叔父が物理学の研究者だったので、数学者とか物理学者になっていたかもしれないです。学者としての方向性はどのみち今と変わらなかったのですが、ただ学者志望の理由そのものは不純な動機でした。当時は高度成長期だったのでサラリーマンは傍からみても大変そうだったのですが、一方で父の生活を見ていると、割と平日でも家にいるし、休みもゆったりしているし、旅行も一緒に行ってくれるので...。英語には抵抗はありましたが、そういう休みの多い職種に就きたいなって。今考えるとそれは甘かったことがわかりますけどね(笑)。でもとにかく、研究者・教員をやっていた両親に対する憧れとかではなくて、単純に大変でなさそうだという動機です。でも、それでも英語の研究者にはなりたくありませんでした。 だから東大に入学した後も、英文科に進むことは最初は念頭になかったです。
─── では、なぜ「英語史」の世界に?
東大では2年の終わりに「進学振り分け」というものがあって、どの専門課程に進むかを決めます。 さすがにいい加減に決めるわけにもいかないので、本でも読んでみようかと思い、父の書斎にあった本を数冊読んでみました。そしたら英語学が意外と面白いと思いました。そのとき読んだのは、Ernest WeekleyのThe Romance of Wordsという本で、当時は全訳はありませんでしたが、英語で読んでみてすごく面白いなと思って。[i] それで、心理的な抵抗はありましたが、英文科に進もうと決めました。父にそのことを話したらすごく驚かれました。
ただ英文科に進んでも、やはり父と同じ英語史関係はなるべく避けたいと思っていました。でも、英文科の授業として小野茂先生が(非常勤講師として)講義をされていました。 当時はまだ、Bruce MitchellのOld English Syntax [ii]が出る少し前で、Mitchellと親しかった先生はそのゲラをもらっていたようで、それを使って毎週講義をなさっていました。非常にハイレベルな講義で、当時どのぐらい理解できたかわかりませんが、でも学問分野の最前線を教えてくださっている感じがとても心に響いて、英語史も面白いかもしれないと思うようになりました。その後、卒論では使役動詞のmakeを中心として、意味的な発達とか統語的な発達を扱いました。内容は現代言語理論を使いながらも、聖書をコーパスにして歴史的な研究をするものでした。当時はまだ原稿をタイプライターで打っていたので、修正するのが大変でした。なので、タイプライターが上手かった母にお願いして手伝ってもらったのですが、なんと母が僕に無断で父にその原稿を見せていたようです。というのも、ある時、母から父が原稿を見て「なかなかよく書けている」と言っていたという話を聞いたからです。拙い卒論を父が評価してくれたと知り、すこし自信のようなものが芽生えてきました。そのコメントを聞いてなかったら、その後大学院に進んで英語史とか、英語学を研究することはなかったかもしれません。
─── お話を伺うかぎり、あまり寺澤芳雄先生の存在とは関係なく英語(史)の世界に進まれたのでしょうか?
そうですね。周りの人には、父の跡を追って自然にその道に進んだって思われていることが多いようですが、僕の場合は、むしろそれは避けたいという思いのほうが強かったですね。しかしそれとは裏腹に、だんだん父の方向に近づいていったという感じです。
─── その後の大学院生活はどのようなものだったのでしょうか?
池上嘉彦先生が大学院で教えてらっしゃったのですが、意味論にも個人的に関心があったこともあり、池上先生の指導のもとで修士論文の執筆をしました。修士論文は、古英語の受動文が現代英語のそれとどう異なるのか、「ある構文はその言語の中で何かしら特定の機能を果たしている」という機能文法の観点から書きましたが、その時はまだ研究者としてやっていく自信はなかったです。なぜかというと、英文科ではやはり寺澤芳雄の影がすごくあり、常に周りから「寺澤ジュニア」と呼ばれていて...。僕のことを一人の独立した学徒として周りが見てくれていないという気がしていたからです。あともう1つは、古英語の受動文について語学的な研究をしていたのですが、扱っているテクストは多くの場合文学テクストであるのに、文学解釈に貢献できていないという意識もあって、それも当時自分の研究に対して自信が持てなかった理由です。父の影もあるし、自分の研究にも満足できないという感じですね。
そういうモヤモヤした中で、 博士課程の2年目に、アメリカのブラウン大学(幼少の時に滞在したコネティカット州の隣のロードアイランド州にある)に留学して、Geoffrey Russom先生に出会いました。そして彼の古英語文学・語学の授業を受けて「これだ!」と思いました。授業ではThe Battle of MaldonやBeowulfなどいろいろな作品を読んだのですが、ゆっくりと精読していく授業で、作品で用いられている言葉、言い方がなぜ選ばれたのかについて常にディスカッションしました。それがまるで詩人が詩を作る過程を追体験しているような感じがして、しかも韻律や統語といった語学的な観点から詩人の言葉の選択を説明していくこと、これはまさに僕がしたかったことだと思い、衝撃を受けました。ですから博士論文も、Beowulfに現れる複合語について、詩人がそれを生み出すときに、どのような制約の中でなぜその選択をしたのか、あるいはしなかったのかを解き明かすという研究をしました。そこで初めて、語学と文学の両方の研究を橋渡しできるような研究ができたという感触を得ました。それで、日本に戻っても、寺澤芳雄の影があろうが、寺澤ジュニアと呼ばれようが、気にならなくなったという感じです。そんな紆余曲折のある大学院生活でしたね。
─── ちなみに、フィロロジー・英語史分野ではイギリスに留学される人も多いですが、なぜアメリカの大学を選ばれたのですか?
それぞれの国の授業のスタイルや制度の違いという理由が大きいです。そもそも、僕は東大で英語学を勉強していて、まだまだ自分の知識に穴が多いと思っていました。たとえば音声学、音韻論は十分に勉強できていなかったということもあるし、 当時注目を浴びつつあった社会言語学もあまり勉強していませんでした。東大は講座制で先生が少ないですし、先生1人がカバーできる領域にもおのずと限界がありました。でも将来、英語学の研究者になるとして、勉強してない領域がたくさんあるという負い目を感じて生きていくのは嫌だなと思って。その点、アメリカの大学院は、基本的にいろいろな科目を取るコースワークをまずしなくてはいけないので、これはいいなと。博士課程でも、そうした広い知識を身につけているかどうかの試験があって、それに合格して初めて論文が書けます。そのシステムが僕に合っていると思ってアメリカの大学を選びました。
─── 卒業論文・修士論文は、それぞれなぜそのテーマを選ばれたのですか?
受動文に関しては、機能文法の観点に立脚した、現代語を対象にした研究が当時から結構ありました。たとえば、現代英語の受動文の機能の1つは能動文の目的語を文頭(トピック)に持っていくことだと言われていますが、古英語は語順が比較的自由なわけで、目的語をトピックの位置へ置くことは現代よりも容易に行えたわけですし、素朴な疑問として歴史的に見れば受動文の機能は現代語のそれとは異なっているのではないかと気になったのがきっかけです。受け身や使役などは、とりわけ僕が大学院生の時に理論言語学の中で集中的に研究された領域でした。だから、それを歴史的にやることで少し貢献できないかなと思いました。歴史的な観点でやると、少し自分の独自性は出せるのではないかと。ただ、さっき言ったようなモヤモヤした感じは残ってしまいましたけどね。結局、文学とか文芸系にも関心がある中で、 博士課程に行って、Russom先生の授業に出会って、やっと全てが結びついたという感じです。昨今、大学や学会などでは語学系と文学系とわけてしまい、だんだん離れていく傾向があるのではないかと感じています。けれども本当は両者が共存していた方がいいのではないかと思っています。やはり2つのものが結びついていることが、僕の中では理想的なフィロロジーの研究と考えています。
─── Ph.D.取得後のご研究と関心について教えてください。
やはり内容としては古英語や中英語を中心として扱ってきましたね。ただ最近は現代英語も意識するようになっています。きっかけは、『朝日ウィークリー(Asahi Weekly)』で「英語を旅する−過去から未来へ」という連載を頼まれて、24回にわたって連載をしたことです。そこでは一般の読者の方に英語の歴史を説明しなければならないのですが、読者が一番関心を持っている現代英語に引きつけないとついてきてくれないと思ったんです。それまでは古英語や中英語を中心とした研究ばかりでしたが、そこから現代に意識を向けるようになりました。加えて僕自身、新しいことに取り組むのは好きですし、青山学院大学に異動後は、現代英語の変異と変化というテーマを中心に据えています。青学のゼミや授業では、たとえば世界の英語変種が英米の英語と具体的にどのように異なっているのかということを学生とともに学んでいます。英語史は、写本であったり古いものを扱うようなイメージがあるかもしれませんが、現代英語に関するテーマは英語史の新たなフロンティアと言えますから、そういった側面をいろいろな方に知っていただいて、英語史に関心を持っていただけるといいかなと思っています。
─── 研究者として意識されてきたことはなんですか?
どんな仕事であっても、1つ1つ丁寧にこなすということですかね。論文などを執筆する場合でも、その時点で自分が100パーセント満足できるまで推敲してから投稿することを心がけています(もちろんしばらく時が経ってから論文を読み直すと足りない点が多々見えてきますが)。実のところ、僕は真面目な研究者というわけではなくて、むしろ自ら律していかないと怠けてしまうタイプの人間なので...。たとえば、いったん80パーセントの出来だけど、それでもいいというふうにしてしまうと、次は75パーセント、その次は70パーセントと研究の質が落ちてしまう恐れがあるので。だから全てのことに全身全霊で臨む、それこそこのインタビューも本気で準備して臨む、そういうふうにしています。...いや、流石にそれは冗談ですけどね(笑)。
あともう1つ意識しているのは、どんなに難しい研究をしても、それをわかりやすい形で提示するということですね。それこそが研究者の役割なのではないかとすら思います。わかりやすい文章に「わかりやすすぎる」と怒る人なんていませんよね。だから、自分なりに難しい考えや論文を噛み砕いて、誰にでもわかるように書く。そうすることで自分自身の理解も深まりますし、その点を心がけるようにしています。これは新書を書いたときに特に意識させられたことで、新書というのは多くの人に読んでもらう必要があるわけですよね。『英語の歴史』を執筆したときも、編集者の方が原稿を見てくださったのですが、その原稿をパっと机において最初に「これじゃダメですね」とか言われました。文体も論文調で、説明ももっと丁寧にしないとわからないと指摘されたのです。それでも編集者の方とやり取りすることで、自分自身の理解もさらに深まっていく気がしました。そうした経験をしたことで、自分の中での意識が変わっていきました。今では原稿は、締め切りのかなり前に書き上げ、 少し寝かせるようにしています。実際、1週間とか1か月後に読んでみると、第三者的な(客観的な)視点で見られるので、そうやってどんどん修正を加えていく。最近はこの過程が、楽しい、至福の時間であるように感じています。
─── これまでのご研究の中でとりわけ印象に残っているものはありますか?
考えてみましたが、自分のこれまでの研究のなかで1つをピックアップするのは難しいです。というのも、僕はその時々で関心が移っていく傾向があるからです。もちろん、本当に一途にある研究をする人もいますし、それは羨ましいとも思いますが、僕は移り気で、ある研究をして論文とか本の形で出すとそこから離れたくなるんです。それでいろいろと関心が移っていくわけですが、その移った先の1つ1つを丁寧に誠実にやることを心がけているので、どんなに小さいものでも、大きいものでも、思い入れが生まれてきます。
─── 研究の魅力とはなんですか?
とにかくもう、面白いということだと思います。学生にもよく言いますが、研究者というのは一種の「オタク」なので、他の人はどうでもいい細かいことでも調べて、面白い、これをやっていて幸せだって感じられます。逆に言えばその感性がなければ研究者にはなれないかなと思います。
もちろん苦しさもあります。たとえば、こういうテーマでシンポジウムをやるので何か話してくださいとか、あるいは雑誌に論文を書いて投稿してくださいとか依頼されると、新たなテーマを考え論文にしていく必要があります。それは結構苦しいプロセスです。でも、一週間くらいいろいろ考えていると必ずブレイクスルーがあります。何かよい考えが浮かんで、「これはいけるぞ!」となります。その瞬間というのが快感ですし、それが研究の醍醐味なのではないかなと思います。若い人たちに特に知っておいてほしいことですが、やはり論文を書いているときなど、うまくいかず、ときに絶望的な気持ちになることがあるかと思います。それでも、苦しんで、苦しんで、その先に光が見えて道が開けたときに、快感があります。単純に面白いのみならず、それが研究の魅力なのだと思います。
─── 新書のお話などもありましたが、これまでに執筆されたご著書はそれぞれどういった理由や意識で執筆をされたのですか?
まず『英語の歴史』については、『朝日ウィークリー』で「英語を旅する」という連載をしたことがきっかけになっています。新聞なので読者からのフィードバックが多くありました。学生さんや、学校の先生や、定年になられた方など、いろいろな方が関心を持ってくださって、本当に多くのコメントが来ました。ですので、書いたものを少し膨らませて新書で出してみようということになり、中公新書から出版することになりました。この本は『朝日ウィークリー』の連載と同様に現代英語には重きを置くようにしましたので、従来の英語史の書籍に比べると現代英語に割くページが結構多くなっていますね。
その『英語の歴史』では、綴り、発音、語彙、文法の変化は扱いましたが、意味の変化はページ数の関係で扱えなくて、それをカバーするように書いたのが『英単語の世界』です。意味の問題は、僕自身、大学院の時に池上嘉彦先生という意味論の大家から指導を受けたこともあり、いずれチャンスがあったら扱いたいとずっと思っていました。それで中公新書からまた機会をいただいたので、今度は意味の問題を歴史的に扱ってみようということで、出版に至ったという次第ですね。
『聖書でたどる英語の歴史』は、自分が英語史の授業をして感じたことをもとに書いたものです。英語史を教えていると、いろんな面白い歴史的な事実を学生に教えますが、たとえば現代英語では「あなた」でも「あなたたち」でもyouですが、近代英語以前では2人称代名詞の単複が異なる形態で表されていたといった話です。けれども、そういった話題が実際の古い英語のテクストの文脈に位置付けて説明することがあまりされていないなと感じていて、それを実際にやってみたのがこの本ということになります。英語史の授業では美味しいレシピは教えていますが、肝心の料理は提供していないような、そんな気がしていました。それで、聖書は各時代で内容がほぼ同じなので、それを比較するといいのではないかと思いました。それに聖書は英米の文化や芸術と密接に結びついていますから。そういったものも含めて、英語の歴史を、聖書を通じて考えてみるという本になっています。ただこの本も、後半は現代英語の様々な聖書に触れていて、差別表現に配慮したもの、クレオールで書かれたものとか、そうした様々な目的に根差した聖書を扱っています。現代にもフォーカスを当てるという点では、『英語の歴史』と通ずるところがあります。
続編は『英語史新聞』第13号に掲載をいたします。本ページも第11号の公開とともに更新しますので、お楽しみに!
【脚注】
[i] 現在は寺澤芳雄先生と出淵博先生による邦訳も出ています: 寺澤芳雄・出淵博(訳)『ことばのロマンス: 英語の語源』岩波書店、1987年。
[ii] Oxford大学の講師であったBruce Mitchellにより、1985年に著された全2巻からなる古英語の統語に関する書籍。精緻かつ多岐に渡る記述で、現在でも古英語の文法・統語研究の際には必読の書となっており、研究の際には広く参照されている。