【第3回】小河舜 先生
【第3回】小河舜 先生
恒例となりつつある英語史研究者へのインタビュー記事をお届けします。今回は古英語を専門に研究されている小河舜さんにインタビューをさせていただきました。(今回は院生の高山がインタビューをさせていただきました。)
上智大学 文学部 英文学科 助教
1992年生まれ。英語史、古英語期の言語・文学が専門。特に古英語期の聖職者Wulfstanを中心に研究を行っている。今年度より上智大学文学部英文学科 助教。
(*所属等は『英語史新聞』第9号発行当時のものになります)
英語に興味を持ったきっかけ
何か大きなきっかけがあったわけではないですが、幼い頃から海外の映画が好きだったことが一つの理由かもしれません。Mr. ビーンを演じるローワン・アトキンソンやシュワルツェネッガーの映画は特に大好きで、何度もビデオをレンタルして見ていました。なので、英語の存在を知る前から、漠然と海外の文化や言葉、人に憧れや興味があったのだと思います。父の影響で小さい頃からジャズなどのアメリカ音楽を聴いていたことも影響していると思います。自分の触れる映画や音楽がかっこいいと思っていると、そこで使われている言葉もかっこいいと感じるようになり、それがたまたま英語だった、という感じです。小学生の頃からピアノをやっていて音楽が好きだったので、日本語との音やリズムの違いに、漠然と面白さやかっこよさみたいなものを感じていたのかもしれません。中学で初めて英語の勉強を始めた時もとてもワクワクしたのを覚えています。大きなきっかけがあったというより、最初は「海外の映画や音楽で使われているあの綺麗な音の言葉を自分も話したい」という完全なる憧れがきっかけです笑
英語史に興味持ったきっかけ
もともと何か気になることがあると、それがどういう経緯でそうなったのかとか、いつからそうなったのか、という物事のプロセスにとても興味を抱く子どもでした。そういう性格のせいか、英語と並んで歴史もとても好きだったので、いざ大学で英語を学ぼうとなった時、今の英語はどうやってできたんだろう?という漠然とした疑問を持っていたということが英語史に興味を抱くことにつながったかなと思います。大学一年生の時に必修で英語史の講義があったのですが、そこで英語にも実は歴史があるということを知った時に、歴史と英語という2つの興味が自分の中で合致した気がして、「なんて面白いんだ!」と感動しました。例えば、大母音推移を初めて知ったときは、「こういう理屈で今の英単語は発音と綴りが違うのか!」と思い、衝撃を受けたのを今でも覚えています。
大学の志望校選びも実は・・・
高校時代は音楽科に通っていて、将来音楽を仕事にしたいと思っていたので、音大に行くつもりだったのですが、色々なことがあり、大学では音楽と同じくらい好きだった英語を勉強したいと考え、一年間の浪人生活を経て普通大学に行くことに決めました。はっきりとは覚えていないのですが、英語関連の分野がたくさんある中でも、立教の英米文学専修のパンフレットか何かに、英語の歴史とか中世とか、そういうことを勉強できるというふうに書いてあったような気がします。もちろん当時、英語史という分野があるということは全く知りませんでしたが、漠然と、英語の歴史が勉強できるんだ、と思って立教を受験しました。
地名の英語史に感動、地名の研究へ
大学3年生の時に受けた地名の授業がターニングポイントだった気がします。イギリスの地名を通して英語史を理解するという授業だったのですが、そこで英語史の面白さに感動しました。古英語の時代の名詞には格変化があるので、主語として使われる時と、「〜で」のような意味で前置詞と一緒に使われる時では単語の語尾が少し変わるわけですが、英語の地名の中には、例えばCanterburyの中の-buryのように、もともと前置詞の後ろで使われる時の形(与格)だったものが、そのまま地名として定着したケースがあります。そのことを知った時、歴史と言葉の仕組みと人の心理などがみんなつながっているような感覚がしてとても面白いと感じました。その後大学4年生で卒業論文のテーマとして地名を選び、さらにその面白さに惹かれ、結局大学院進学後の修士論文も地名をテーマにしたので、そういう意味では大学3、4年生ぐらいの時に感じた地名の面白さが、そのまま研究につながることになりました。
格変化といえば、ドイツ語にもともと興味があったのも影響しているかもしれません。ピアノでクラシック音楽を勉強していたこともあり、ベートーヴェンやシューマンなどのドイツ出身の作曲家がとても好きだったので、必然的に彼らの話していた言葉も気になり、ドイツ語にも興味がありました。小学6年生くらいの頃、誕生日プレゼントにドイツのガイドブックを買ってもらい、巻末のドイツ語会話みたいなのをわけもわからず一生懸命覚えていた記憶があります。ドイツ語にも古英語と同様に格変化がありますが、格で意味の違いを表すということが、日本語にはないので個人的な興奮ポイントでした。大学で第二外国語としてドイツ語を本格的に勉強したところで、英語史や地名の授業を受け、ドイツ語と同じような格変化が英語にも昔はあったことを知り、ゲルマン諸語の壮大な言葉の繋がりのようなものを感じて大興奮しました。
大学院進学の決め手
大学院進学について、迷いはありましたね。大学3年生ぐらいまでは、音楽の世界で生きていきたいなと思っていました。でも同時に英語も同じくらい好きでしたし、大学に進学後、英語や研究方面での人との出会いや当時の指導教授からの進学の勧めもあり、大学4年生になる頃くらいには英語の研究の道で挑戦してみるか、と考え始めました。その後、無事大学院の入学試験に合格して進学を決定したものの、分からないことだらけで不安だったのを覚えています。大学院に進学するからには絶対に博士課程まで行って研究者になるという思いは強くありました。ただ、その時点で論文のような長い文章も書いたことはないし、研究もしたことがない。自分が果たして素質があるのか、全く分かりませんでした。やる気と不安が交錯していたような感じです。そんな中で卒論を執筆したのですが、その卒論が評価されたことが一つの大きな自信になりました。面白いと思う感情に任せて研究を進め、自分の思うことをひたすら文章にしていったのですが、長い文章を書くことの大変さを感じつつも、その作業がとても面白く夢中になって執筆しました。結果的に、最優秀論文賞をいただき、卒業式で総代を務めることになったのですが、そのことが「ひょっとすると自分はこの道でいけるのかもしれない」と思うようになった大きなきっかけだったと思います。論文を書く作業は一人でやるものなので他の人と比較もできないし、自分がどの程度のことを考えているのかわからなかったのですが、ひたすら面白いと思いながらやったものが客観的に評価されたことで、このまま突き進んでいいのだという感情が湧いてきました。
修士論文のテーマ
卒論で地名を扱ったので、修士課程に進学後の研究テーマも地名でした。北欧のヴァイキングが好きだったので、ヴァイキングの言葉とアングロ・サクソン人の言葉がどのように接触していたのか、英語史を勉強し始めた時から興味がありました。卒論を執筆した時に、地名にもヴァイキングの言葉の痕跡が残っていることを知ったのですが、修士課程に進学後、地名の調査をもとにアングロ・サクソン人の古英語とヴァイキングの古ノルド語の言語接触を論じる書籍を読み、自分も地名の研究を通して古英語と古ノルド語の言語接触の問題を研究しようと思いました。イングランドにある古ノルド語由来の地名を調べて、それがどういうふうに英語に変わったり変わらなかったりしているかを、地理的な分布も含めて調査しました。どういう地域で地名の置き換えが進んでいるか、いつその地名が置き換えられているか、などを調べて、それぞれの言語の話者がお互いの言葉をどれくらい理解し合えていたのかという点について論じました。
ここからは『英語史新聞』第9号の内容になります。
卒論の時の地名研究は北欧バイキングへの興味と関連していたのですか?
当初は関連付けるつもりはなかったのですが、結果的に関係があるという結論になりました。卒論では、「要塞」などを意味する古英語の -burh(cf. ドイツ語の-burg)の地理的分布と、-burhの形のバリエーションを調査しました。-burhは、前にも話題に出た、前置詞との組み合わせの影響を受ける要素で、burhは主格・対格の形ですが、地名のSalisburyなどのburyは与格が元になっています。元々はat などの前置詞が前にあったはずの形ということです。それから、Edinburghのburghも同語源です。つまり、同じ語源に基づく地名要素が複数残っているのですが、それらの要素の歴史と地理的な分布を調べて、地図を作ってみたら綺麗に地名の分布が分かれたので、これはおもしろいと思いました。今考えるとその結論は違ったと思うのですが、当時はこの分布にあのバイキングたちの影響があるのではないかと思い、それについて論じました。
小河さんはどんな研究者を目指していますか?
常に高いレベルを意識して研究を行いつつ、研究以外の側面にも興味や意識を常に向けられるバランス感覚を持った研究者でありたいと思っています。生活全体や頭の中が研究だけになってしまうと、かえって研究テーマや発想を狭めてしまい、気付けるものも気付けなくなってしまうような気がします。一日中研究をしていて気づいたら日が暮れていたというようなこともよくありますが、それでも人と関わることの大切さや季節の移ろいなどを感じるアンテナを大切にできる人間でありたいと思っています。そのような意識が研究の発想を柔軟にしてくれると思いますし、英語史の講義をするときなどの話の広がりにも繋がると考えています。
研究のどんなところが楽しく魅力的だと感じますか?
一番魅力的なところは、自分がこうじゃないかなと考えていることを、例えば1000年も前の人々が書いたものを通して、世の中に訴えることができることかと思います。作品を読んでいて、「ここは実はこうなんじゃないか」という発見があることがまず一つの喜びですが、その発見を、当時の人たちの文字や言葉を読み取ることで確信に変えることができるという喜びがあります。極論を言えば本当のところは誰にも分からないわけですが、研究することで限りなく核心に近づいて、それを自分の言葉で表現できることが一番の楽しさだと感じます。やはり音楽で自分を表現できるのと同じで、自分が考えていることや思っていることを表現できることが、研究の一番の楽しさです。表現の手段が違うだけで、研究で得られる満足感は、音楽で自分を表現するときの喜びと同じ感覚のような気がします。
研究のどんなところが大変だと感じますか?
一日二日では何も分からないところでしょうか…でも基本的には楽しんでやっています。もちろん研究の作業は大変ではありますが、それは他の職業にも等しくある大変さと変わらないと思うので、「研究だから大変」ということはあまり個人的には感じません。一日二日では結果が出ず、「何かあるのではないか」という自分の感覚を信じなければいけない期間が数ヶ月や一年ほどあり、ずっと調べてみたけど蓋を開けてみたら何もなかったというようなこともあるので笑、そこに対する恐怖は常にあります。自分の感覚をどの程度信じるべきか、ということに対する不安でしょうか。ただこれまで「研究はもうヤダ」という気持ちになったことは一度もありません。
英語史の魅力は何だと思いますか?
まず歴史という点では、過去を知ることの大切さを常に感じさせられるところです。今の時代は特に消費文化で、あらゆる物が使われてはすぐ捨てられ、安いもの・便利なもの・速くできるものがいいというような感覚がなにかと優先されがちだと思います。そういうものの意義ももちろんあると思いますが、英語史の勉強を通して今の時代から意識を離してみると、実はそうではないものも人間にとって大事なのでは、という意識を持てるようになると思います。例えば、古英語が使われていた中世であれば、当然インターネットやスマホもないし、不便だし、町も汚いし、人もすぐに死んでしまうし、という時代です。でもそういう時代に生きた人たちが書いたことが、現代の「発展」した時代に生きる自分にグサっと突き刺さることが沢山あるんです。「現代の社会や物事の捉え方が当たり前じゃないんだ」ということや「時代や社会がどう変化しても変わらない(変えられない)人間の側面があるんだ」というようなことを1000年前の人たちに文字を通して直接突きつけられるような感覚でしょうか。そういう過去の人々が残したものに触れることで、今の時代をゆっくり俯瞰的に、広い視点で見られるようになるような気がします。英語史となると、扱う時代も場所も現代の日本とは異なるので、その時代と場所のズレから生まれる言語や感覚のズレみたいなものを楽しめるのも大きなポイントです。
英語という点では、英語史を勉強することで今の英語がより立体的に、客観的に見えるようになるということが最大の魅力ではないでしょうか。フランス語やドイツ語などの諸外国語との関係も、歴史を見ることで初めてしっかりと見えてくると思いますし、英語史をやると、その理解が表面上のものではなく、どこか肌感覚で得られる理解と言えばいいのでしょうか。英語という言葉をより近い距離感で捉えられるような感覚がします。言葉はそれを話す人々と常に不可分な関係だと思うのですが、英語の歴史を勉強すると、英語の言語的な特徴や変化を理解できるのはもちろん、英語史という窓を通して、古代ギリシア・ローマの言語文化や北欧やフランスなどのヨーロッパ諸国との戦争史、ヨーロッパの技術革新の歴史など、これまでの人々が残してきた色々な世界を見ることができます。英語を科目の一つとしてではなく、ヨーロッパの壮大な文化の一角として捉えられるようになるということです。私が大学時代に英語史の魅力を最も感じたのも、この感覚を得たときだったと思います。ただ究極的には、英語の歴史を見ることで英語に愛着が生まれるということが一番の魅力ではないでしょうか笑
新聞の読者に一言コメントお願いします!(広く英語史に関心のある方に向けてお願いしました。)
社会人の方でも学生の方でも、なにか英語の歴史関連で気になる点があったら、一つの情報を鵜呑みにしたりせずに、「自分で調べる」ということをとりあえずやってみるのをおすすめします。そうすると、何事もだんだん面白くなってくるもので…「何か気になるな」で終わるのではなく、気になったことがあったら、自分の視点を持ってネットでも本でもちょっと調べてみるというその行動を起こしてみると、自分の中にある世界が広がると思います。そうするとさらにその先でまた違った風景が広がっており、さらに調べるとまた違う風景があり、というように頭の中にどんどん世界が広がっていくのが最高にワクワクする体験になるはずです!
私の推し本
唐澤一友『世界の英語ができるまで』亜紀書房, 2016年.
Mortimer, Ian. The Time Traveler's Guide to Medieval England: A Handbook for Visitors to the Fourteenth Century. Touchstone, 2009.
まず外せないのは、大学院で私の指導教授だった唐澤一友先生の本でしょうか。『世界の英語できるまで』は入手しやすいと思います。『英語のルーツ』も良いのですが、今は入手しにくくなっているかもしれません。『世界の英語ができるまで』は、英語の歴史だけではなく、今の英語の多様さについても分かりやすく書かれているので、現代英語に広く興味がある人にも面白いと思います。他に最近読んだ本で面白いなと思ったのは、英語史というより中世関連の本ですが、Time Traveler’s Guide to Medieval England (Ian Mortimer 著) です。14世紀ごろのイングランドがどういう状態だったのかということについて、当時の文学や服装、食べ物、法制度や時間感覚などのテーマに分けて書いているもので、当時の人たちの社会にカメラが入っていくような感じがしてすごく面白かったです。