※2025年に受けたインタビューが珍しい媒体であったため質問がいつもとは違っていて興味深いので記事をAIに加工させて転載。
なお元のインタビュー記事の方が数倍刺激的である。
ボクは海洋学者だ。そう名乗ってはいるけれど、「海洋学とは何を研究する学問ですか」と聞かれると、少し困る。
狭い意味での海洋学は、海水そのものを研究する学問として発展してきた。海水がどこからどこへ流れ、何がどれだけ溶けていて、そこでどんな生物活動が起こっているかを調べる。しかしボク自身が主に調べてきたのは、海水そのものというより、そのさらに下、海底や海底下だ。調査船に乗って海へ出て、熱水や岩石や生物を採り、化学組成を調べる。
だから、自分が「海洋学者」と呼ばれることには、今でも少し居心地の悪さがある。とはいえ、やっていることは間違いなく海の研究だ。
海へ出て調査し、そこで得た証拠を持ち帰り、論理を組み立てる。現場へ行って調べることが「調査」で、そこから証拠と論理によって新しい理解を引き出すことが「研究」だ。 この二つは似ているようで違う。
そして何より、ボクは最初から海を研究したかったわけではない。
研究者には、「子供の頃から星が好きで天文学者になりました」とか、「虫が好きで昆虫学者になりました」とかいう美しい物語がよく似合う。
残念ながら、ボクにはそんな話がない。
関西で育ち、大学進学で一人暮らしをしたかった。それだけで北海道大学を選んだ。薬学部を目指していたが成績が足りず、理学部に入った。さらに大学1年の成績も悪く、学科を選ぶ段階ではほとんど選択権がなくなった。結果として、当時もっとも人気のなかった地球惑星科学科に進んだ。
そこでも最初は大気の研究をしていた。海洋研究へ進んだのは、大学院で指導教員と馬が合わず研究室を出たあと、「船に乗ったことがあるなら海をやればいい」と別の先生に拾ってもらったからだ。
つまり、海への憧れに導かれてここまで来たわけではない。成績が悪かったり、人と喧嘩したり、右へ左へと進路変更したりしているうちに、気づけば海の研究者になっていた。
今でも船に乗るのが好きかと聞かれれば、別に好きではない。仕事だから乗っている。
この話をすると、夢がないと言われる。しかし、研究者という職業は、それぐらいでちょうどいいとも思う。
研究対象を愛さなければ研究できないわけではない。むしろ、対象への愛情が強すぎると、ときに物事を冷静に見られなくなる。
海を好きになる必要はない。
ただ、海のことを考えないで生きるのは難しい。
『深海問答』の冒頭に、「地球の海はすべてつながっている」と書いた。
日本で暮らしていると、「沖縄の海」「北海道の海」「日本海」「太平洋」といった具合に、海を区切って考えることが多い。そのほうが便利だからだ。
しかし、水そのものには県境も国境もない。
調査船で太平洋側を航海していると、日本列島の向こう側にある日本海が、「陸地によって遮られている」と感じることがある。普通に陸で暮らしている人とは、感覚が逆なのだと思う。
陸上の地図では、道路や鉄道や都市が細かく描かれ、海は青く塗り潰されている。
海洋研究者が使う海底地形図では、逆だ。海底の山や谷には細かな凹凸があり、陸地のほうが灰色の邪魔な塊に見える。
地球表面の7割は海で、陸は3割に過ぎない。海から見れば、陸地のほうが巨大な海の中に点在している。
そのぐらい視点をひっくり返してみると、世界の見え方も少し変わる。
東京湾や函館湾がなぜ港として発達したのか。陸地が湾を囲み、大きな波を遮っているからだ。そこから人が集まり、物流が発達し、都市ができた。
海から陸を見ると、人類史まで違って見えてくる。
こういう話をしていると、「では、どうすれば一般の人に海へ関心を持ってもらえるのでしょうか」と聞かれる。
実は、この問いがあまり好きではない。
海に関心を持たせようと、珍しい深海生物を見せたり、美しい映像を流したり、研究者をサイエンスカフェに連れ出したりする。もちろん、それ自体が悪いわけではない。面白いと思ってくれる人がいるなら、それはそれでよい。
ただ、それによって「科学リテラシーが向上した」とまで言われると、少し違和感がある。
一度のイベントで研究者の話を聞いて、「面白かった」「勉強になった」と帰る。それは娯楽として科学の成果を楽しんだのであって、科学的に物事を考える力が身についたとは限らない。
科学の成果に触れることと、科学的に考えることは、別物だ。
まして、研究費を得るために研究成果をわかりやすく切り売りし、政治家やメディアの関心を引くことが研究者の重要な仕事だ、という風潮には警戒している。
本来、科学は、徹底的に否定しようとして、それでも否定し切れなかったものが残る方法だ。
論文の査読もそうだし、研究費の審査もそうだ。
だからとにかく、科学者は褒められにくい。
そのせいで、ときどき研究テーマへの評価と自分自身への評価を混同し、研究が注目されると自分が注目されているような気分になる研究者が出てくる。
愛されているのはお前じゃない。研究テーマだ。
自戒を込めて、そう思っている。
「市民の科学リテラシーを高めれば、社会はより正しい判断ができるようになる」という言い方も、ボクはあまり好きではない。
正しい知識を持てば、皆が同じ結論に到達する。そんなことはない。
同じ科学的事実を知っていても、価値観が違えば判断は分かれる。
たとえば、ある魚種の資源量が減少していることが科学的に確かだったとする。
「だから漁獲を止めるべきだ」と考える人もいれば、「漁業者の生活を守るため一定量は獲るべきだ」と考える人もいる。
前者だけが科学的で、後者が非科学的なのではない。
資源量が減っているかどうかは科学の問題だ。どれだけ獲るかは政策の問題である。この二つを混ぜてしまうと、議論がおかしくなる。
科学は判断材料を提供できる。しかし、社会の答えそのものを決められるとは限らない。
科学と社会のズレがわかりやすく現れる例のひとつが、海底資源だ。
日本近海の海底には、金や銀、銅、レアアースなどを高濃度に含む場所がある。これは事実だ。
しかし、「海底に資源がある」と「海底資源大国になれる」のあいだには、ずいぶん距離がある。
海底に金があるからといって、明日から掘って持って帰れるわけではない。
深海に船を出し、何カ月もその場に留まり、海底を掘り、何千トンもの物質を海面まで引き上げ、港へ運び、精錬する必要がある。当然、巨大なコストがかかる。
ところが、研究成果を社会へ伝えていく過程では、話が少しずつ盛られる。
「海底に金属がある」
が、
「海底資源がある」
になり、
「日本は資源大国になれる」
へと変わる。
最後には「中国に取られる前に急いで開発しろ」となる。
でも、資源は逃げないし、海底にある鉱物が勝手に船へ積み込まれることもない。
だからこそ、一度落ち着いて、どれほどの船が必要なのか、何日かかるのか、どれほどのエネルギーを使うのか、そして経済的に成立するのかを考えなければならない。
海底資源の研究を否定したいわけではない。むしろ、冷静に調べればよい。
夢を見ることと、夢を事実として宣伝することは違う。
環境問題でも、似たようなことがある。
「絶滅危惧種を守らなければならない」と聞けば、多くの人は反射的に「そうだ」と答える。
でも、なぜ守るのだろう。これを考えるのは意外と難しい。
ボクが重要だと思っているのは、絶滅とは単に「個体がいなくなる」ことではないという点だ。
ある種が絶滅すれば、その生物を人類は二度と作れない。
人類は自然を観察し、仕組みを理解し、真似し、やがて操作できるようになってきた。しかし、生物一種をゼロから設計して、自然界へ戻すことはできない。
まだ自分たちでは作れないものを、先に消してしまってよいのか。
これは科学的というより、態度の問題だ。
もちろん、「何が何でも一匹も殺すな」という話でもない。
人間は自然を利用しなければ生きられない。魚を食べるし、土地を改変するし、資源を採掘する。
重要なのは、何かを利用するなら、その反対側で何が失われるのかも考えることだ。
SDGsという言葉が普及してから、「環境にいいことをしましょう」という表現をよく見るようになった。
しかし、サステナビリティの本質は、善行ではない。使う量と、生み出される量を釣り合わせることだ。
魚が毎年1トン増えるなら、毎年1トンまで獲れば、資源量は減らない。
家計でも同じだ。収入が30万円なのに毎月40万円使っていれば、いつか破綻する。収入と支出の両方を見るから、家計が理解できる。
地球環境も同じである。
「ゴミを減らしましょう」
「二酸化炭素を減らしましょう」
「自然を守りましょう」
そういう個別の善行だけを並べても、システム全体は見えない。
環境を守る一方で、人間は生活し、開発し、エネルギーを使う。
何かを増やせば、どこかで何かが減る。その収支を考えることが、サステナビリティだ。
だから、海底資源開発と海洋環境保全は、別々の話ではない。二酸化炭素除去と海洋環境影響も、別々の話ではない。
同じ地球というひとつのシステムの中で起こる、表裏一体の出来事だ。
だから、ボクは「もっと海洋学を広めなければならない」とは、それほど思っていない。むしろ、その必要はなくなると思っている。
これから人類が地球規模の問題に本気で向き合えば、否応なく海へ行き着くからだ。
地球表面の7割は海である。
大気中に増えた二酸化炭素を大量にどこかへ移そうとすれば、巨大な物量を受け止められる海が候補になる。
再生可能エネルギーを大規模に導入しようとすれば、陸地だけでは場所が足りず、洋上風力へ向かう。
国際物流を考えれば、日本の貿易量の大部分は船で運ばれている。
台風も海からやってくる。魚も海からやってくる。
資源も、気候も、物流も、生態系も、海を避けて考えることができない。
海は重要だから勉強しなさい、と教え込む必要はない。
日々の生活について少し丁寧に考えれば、その先に海がある。
水道の水はどこから来たのか。スーパーに並ぶ魚はどこから来たのか。スマートフォンを作る金属はどこから来たのか。台風はなぜ海から来るのか。
そうやって目の前の暮らしをたどっていくと、いつの間にか海へ行き着く。
だから、「海に関心を持ってください」と言うよりも、
自分の暮らしについて、ちょっとだけよく考えてみてください。
それぐらいでいい。
世界はすでにつながっている。
必要なのは、無理に何かと何かを「つなげる」ことではなく、もともと存在しているつながりに、ふと気づくことなのだろう。