【第2部】動き出す想い
─ フェーズ2:制度への提案と開発仲間の募集
本作からは、第1部の第7章から最終章の間にある「空白の5年間」を描いています。
——
ソフトは広まり、仲間も増えた。
それでも、人が足りない現実は変わらなかった。
支える人がいなければ、介護は続かない。
だから光也たちは、次の一歩を選んだ。
制度に声を届けること。
ロボットに手を託すこと。
そして、誰にも届いていない場所へ、
支える力を“動かす”ことを考え始めた。
春が過ぎ、プロジェクトの導入事例がいくつか増えてきた。
小さな事業所を中心に、光也たちの開発した介護支援ソフトは、少しずつ現場に根付き始めていた。
「使いやすくなった」「紙に戻れないかも」
そんな声をもらうたび、光也の胸には小さな達成感が灯った。
けれど、ある日ふと気づいた。
——職員の数は、増えていなかった。
事業所に行けば、タブレットの操作は進んでいても、休憩室には疲れた表情が残っていた。
「便利にはなったけど、やることが減ったわけじゃないからね」
年配のスタッフがつぶやいた言葉が、どこか刺さる。
訪問介護の現場では、依頼に応えられない日が増えていた。
人手が足りない。とにかく足りない。
ソフトは手段にすぎない。
“担う人”がいなければ、支援の網そのものが崩れる。
光也は、チームメンバーとの定例ミーティングで率直に言った。
「今あるツールを改良するだけじゃ、もう限界かもしれない」
沈黙のあと、元介護職の遥が口を開いた。
「制度や仕組み、もっと深いところに目を向けなきゃいけないのかもね。支える人がいなきゃ、私たちの開発だって“空っぽ”になる」
光也はうなずいた。
「じゃあ、もう一歩踏み込もう。
ソフトを超えて、介護そのものをどう維持するか、考えよう」
そうして始まったのが、プロジェクトの“フェーズ2”だった。
「人を増やせないなら、どうする?」
光也がそうつぶやいたのは、ある夕暮れ、打ち合わせ後に一人で歩いていたときだった。
ヘルパーの数は、年々減っていた。
高齢化と退職、担い手不足。それは地方だけでなく、都市部でも静かに進んでいる。
求人を出しても、応募はほとんどない。
現場から聞こえるのは、疲弊した声ばかりだった。
「増やすことを前提にした仕組みが、もう限界なんだよな……」
翌日、チームにその言葉をぶつけた。
「増やせないなら、どうやって続ける?」
話し合いは、静かに熱を帯びた。
「支援の手が一人でも減ったら、成り立たない。
そんな“脆さ”そのものを変えないといけないんだよね」
遥が言った。
「じゃあ、どう変える?」
「……制度に提案する。“少ない人で支えられるしくみ”をつくる」
フリーランスの拓人がメモを見ながら言った。
「これまでは、現場を支える“道具”を作ってきた。でもこれからは、現場を支える“構造”を提案する段階かもしれない」
光也はその言葉に、ゆっくりうなずいた。
「制度、政策、仕組み……。考えてみよう。現場の声が、本当に届く形で。」
その日の夜、光也はノートを開いた。
タイトルはこう書かれていた。
『人が減っても、介護が止まらない社会へ』
提案資料の冒頭に、光也はこう記した。
「未来の介護は、“報われる選択肢”でなければ続かない」
現場を支える人材の減少。
介護の仕事が「大変で給料が安い」というイメージに固定され、若い世代の関心から外れていく。
でも本当にそうだろうか。
医療や物流、保育と同じく、介護は社会になくてはならない職業のひとつ。
むしろ、人口減少と高齢化が進む中では“最後まで残る仕事”かもしれない。
「今は報われないかもしれない。でも、将来“社会に求められる専門職”として優遇されるなら……考え方は変わるかもしれない」
光也の言葉に、メンバーは静かにうなずいた。
議論は深まり、やがて「経済的見返り」を含んだ構想にたどり着いた。
具体的な案はこうだった。
──介護職に一定期間従事すれば、
将来の年金や住宅支援、起業支援などに“加点”される制度を整える。
──所得ではなく“未来の優遇”として価値を伝える。
介護職は「誰でもできる仕事」ではなく、「誰かの暮らしを支える専門性の高い仕事」だと位置づける。
だが、すぐに制度が変わるわけではない。
必要なのは、「社会の見方」を少しずつ動かすこと。
光也たちは、現場のリアルな声とともに、提案書をまとめていった。
その言葉の一つひとつに、これまで出会ってきた利用者、職員、仲間たちの顔が浮かんだ。
「報われる未来を、今から設計する」
それは、現場を支えたいという願いから生まれた、“ささやかな政策”という選択だった。
数週間後、光也たちはそのアイデアを一つの提案書にまとめあげた。
タイトルは──
「介護キャリア年金制度(地域先行モデル)」
介護職として10年働いた人が、退職後に一定の支援を受けられる。
地域の基金やふるさと納税、寄付による“共創型”の仕組み。
「今は報われなくても、続ければ未来が見える。そんな道があるって、示したい」
提案書の最後に添えたその言葉に、メンバー全員が頷いた。
未来の制度化を見据えつつ、まずは小さな地域モデルから。
それが光也たちの選んだ“政策という選択”だった。
政策提案がまとまり、メンバーは達成感を得た。
しかし光也の表情は晴れなかった。
「制度が整っても、“支える人”がそこにいなければ意味がない。
それを埋める“何か”が必要だと思うんだ」
ある夜のミーティングでそう語ったとき、誰も反論しなかった。
答えは、前から頭の片隅にあった。
——ロボット。
人の代わりにはなれない。けれど、人の一部を“補う”ことならできる。
しかも、すでに彼らのソフトにはAIナビゲーションが搭載されていた。次の一歩としては自然だった。
光也はSNSで呼びかけを始めた。
「現場で使える支援ロボットを一緒に考えてくれる人、いませんか?」
すぐに反応はあった。
研究者、学生、メカ系フリーランス。だが——
「移動補助もできて、音声も自然で、感情表現があるといいですね」
「バッテリーは24時間稼働で、センサーは環境マップと連動させて…」
「サイズは人間大で、二足歩行が理想です」
やり取りを重ねるほど、光也は違和感を覚えた。
「すごいけど……現場に置けるの? 今すぐ?」
誰もが“夢のロボット”を語っていた。
しかし光也が求めていたのは、“すぐそばに届く支援”だった。
数日後、1通のメッセージが届いた。
> 「人型じゃなくてもいいと思います。必要なのは“動ける手”と“確実な応答”じゃないですか?」
添えられていたのは、シンプルな自作機の動画だった。
小型の車輪ユニットにアームがつき、タブレットの操作を模していた。
「これだ」
光也はその投稿者に即連絡を取った。
名は綾瀬 真(あやせ・まこと)。地方在住の独立系ロボットエンジニア。
介護経験はないが、「介助者の視点で機械を使いたい」と語る技術者だった。
初対面のオンライン会議で、光也はまっすぐに言った。
「派手じゃなくていい。動かなくていい時は、黙って立っててくれるような存在が、現場には必要なんだ」
真は、静かに頷いた。
「そういうの、作ってみたかったんです」
光也は、迷わず彼をプロジェクトに招いた。
——仲間は、遠回りの末に、ようやく現れた。
光也と綾瀬のやり取りは、夜遅くまで続いた。
画面越しのブレスト。白板アプリに描かれる線とメモ。
時折、光也の言葉が詰まり、綾瀬が「それ、こういうことですか?」と整理してくれる。
——この感覚、久しぶりだ。
“わかってくれる人”と向き合う心地よさ。
理屈より、目の前の課題に集中できる関係。
試作のコンセプトは、驚くほど早くまとまった。
- 人を持ち上げない
- 支えない
- 命令しない
- 話しすぎない
その代わりにこう定めた。
“そばにいて、必要なときだけ確実に動く”
役割は一つ。職員の代わりに記録を支援すること。
音声で話しかけると、ベッド横まで移動し、記録項目を読み上げ、内容を記録する。
タブレットと連携し、必要な画面を開き、職員の声だけで入力できる。
「機能は最小限。だからこそ、失敗しない」
綾瀬がぽつりとつぶやいたその一言が、全てを言い表していた。
ある日、遥がプロトタイプの設計画面を見て言った。
「ねえ、この姿って、ちょっと“道具”っぽいよね。
でも、それがいいのかも。“パートナー”って、必ずしも人型である必要はないのかも」
光也はその言葉に、少しだけ笑った。
「名前、考えようか」
「でも、あんまりかっこよすぎないやつがいいね」
笑い合うその空気の中で、また一歩、未来が近づいた気がした。
ただ──問題は、開発資金だった。
光也はそっとつぶやいた。
「また、クラファンだな」
──でも、前回ほど勢いはないかもしれない。
チームの誰もが、それを感じていた。
クラウドファンディングのページを作るのは、2度目だった。
前回の経験があるからこそ、慎重になった。
もう“共感”だけでは届かないと、光也は知っていた。
プロトタイプの名前は「ベータツー」に決まった。
機能は記録支援に特化。音声で起動し、指定の位置へ自律移動。
記録内容はAIナビと連携し、タブレット画面を補助する。
見た目は小柄で、白い筐体に丸みを帯びた形状。
「人型ではないが、無機質にも見えない」そんな絶妙なデザインに、遥は微笑んだ。
「介護される人が、“助けてもらっている”と感じすぎないようにしたいよね」
その視点が、設計に新しい輪郭を与えた。
クラファンページの文面は、あえて技術より“目的”を重視した。
> 「人が減っても、支援が止まらない介護のかたちを作る」
>
> 「この小さなロボットは、未来の現場に立ち続ける“手”です。」
デモ動画も最小限。派手な演出はやめた。
“現場の声”と、“誰にでもわかる説明”だけで勝負することにした。
公開初日、SNSの投稿は控えめに。
「期待してます」「すごい挑戦ですね」
少しずつ反応はあったが、支援額はなかなか伸びなかった。
2日目、3日目……タイムラインは他の話題で埋もれていく。
光也は、画面を見ながら静かに言った。
「たぶん今回は、“誰もがすぐ分かる話”じゃないんだろうな」
「でも、届くべき人にだけでも届けば、それでいい」
綾瀬が言った。
「最初から、そういうプロジェクトだったよね」
数日後、小さな支援がぽつぽつと入り始めた。
かつての導入事業所のスタッフ、
“前回の支援者リスト”から名を見つけて再び支援してくれた人、
何も書かれていない、匿名の1,000円支援。
遥は静かに言った。
「前より静かだけど、前より“届いてる”気がする」
——この歩みが遅くても、間違ってはいない。
そう信じられるだけの“何か”が、チームには根づいていた。
クラウドファンディングの残り日数は、あと3日。
目標金額には、まだ遠かった。
それでも、チームの誰も焦っていなかった。
「これは“終わり”の指標じゃなくて、“次の始まり”の記録だよ」
光也の言葉に、皆がうなずいた。
ある日、一通のメールが届いた。
> 「うちの施設で試せませんか? 導入費は今すぐ出せませんが、必要性は強く感じています」
差出人は、地方の小規模な事業所。
支援金こそ出せないが、“使いたい”という意思が、はっきりと書かれていた。
光也は即答した。
「行こう。テスト導入という形で、実地で見てもらおう」
数日後、チームは現地へ向かった。
ベータツーの試作機は、静かに施設の廊下を動いた。
「こんにちは。記録、始めますか?」
まだぎこちないが、反応は早く、動作は安定していた。
利用者の一人が、機体を見てつぶやいた。
「なんだか、昔の炊飯器に似てるね。かわいいわ」
職員たちは笑った。緊張が少しだけほぐれた。
数日後、その事業所の所長から連絡があった。
> 「まだ完璧じゃない。でも、“何かが変わるかもしれない”って、みんなが言い始めてます」
その言葉に、光也はじっと画面を見つめた。
誰かの不安が、少しでもやわらぐなら——
この1年半の歩みは、確かに意味を持っていた。
プロジェクトはまだ続く。
制度も、技術も、仲間も、すべて途中だ。
でも、どこかではっきりと“希望の足音”が聞こえた。
それは、誰かの歩みを止めないために、今ここで鳴っている。
記録支援ロボット・ベータツーは、生まれたばかりの存在だった。
それでも、誰かのそばに立ち、声に応えるその姿に、
小さな未来の兆しが見えていた。
今度は、もっと遠くへ。
支援が届かない場所へ、力ごと届けるしくみを。
光也たちは、新たな挑戦に向けて歩き出していた。
書名:支える力を、手渡してゆく
第2部:動き出す想い
発行日:2025年6月28日