未来の選挙に導入された、政策審査AI「PDS」。
候補者の公約はスコア化され、社会は“見抜く選挙”へと変わっていく。
争点は介護。人気候補の主張を、AIはどう評価するのか。
そして、選ぶのは私たち自身──
投票とは、判断の力が問われる行為だった。
未来を選ぶために、私たちは何を知るべきか?
「想い」を語る者が支持される時代。
けれど、その“想い”は、本当に現実を動かせるのだろうか。
候補者たちが語る希望。
そこに根拠はあるか? 制度は続くか? 現場の声は届いているか?
いつの間にか導入されていた、ひとつの制度――政策審査AI。
「PDS(Policy Diagnostic System/政策診断システム)」
それは、言葉の裏にある“現実”を照らすための道具。
選ぶのは、私たち自身。
ただし、“見抜いた上で”選ぶことは、今までよりずっと重たい。
この物語は、未来の選挙を通して、
私たち一人ひとりが下す“選択”の意味を問い直すものである。
駅前のロータリーには、選挙カーの声が小さく響いていた。けれど、その音に足を止める人はほとんどいない。
藤村志乃(ふじむらしの)は、駅近くの訪問介護事業所に勤めている。朝のケアを終え、昼の移動の合間に駅前を通ると、選挙カーの上から「未来の介護を守る!」と声が上がった。
それを聞いて、彼女は立ち止まるでもなく、苦笑する。
「守るって……どうやって?」
この仕事に就いて7年。制度は少しずつ変わってきたけれど、現場の重さは何も変わらない。
利用者が増えても、人は増えない。新人はすぐに辞め、職員の平均年齢は上がるばかりだ。
「人が足りないから、外国人雇用を増やします」という政策も、何度も見聞きした。
けれど現場では、言葉の壁、文化の違い、そして“定着しない現実”に悩まされている。
それなのに、政治家は口を揃えて「支援します」「守ります」と言う。
どうやって? どこまで?
選挙が近づいても、職場では誰も話題にしない。
それぞれが疲れていて、投票に行く余裕すらない人も多い。
“未来を選ぶ”という言葉が、むなしく聞こえる。
そんな中、志乃のスマートフォンに、あるニュースが流れてきた。
「次回選挙より、候補者の公約に対してAI審査システムの導入決定」
― 実現可能性・財源評価・実施困難性などを自動分析し、公開スコア化へ。
志乃はその見出しを見つめた。
本当に、あの人たちの“言葉”が、AIで見抜けるのだろうか?
……でも、少なくとも、今よりはましなのかもしれない。
その制度は「PDS(Policy Diagnostic System)」と名付けられた。
正式導入が決まったのは、今回の参議院選挙から。選挙管理委員会が管轄し、すべての候補者は立候補時に「主要政策」と「根拠データ」をAI審査システムに提出することが義務化された。
提出された公約は、以下の観点で評価される。
――実現可能性、財源の妥当性、法律との整合性、過去データとの整合性、想定される副作用。
分析結果は「政策スコア」として一般公開され、誰でもスマホから閲覧できる。
「AIに任せて大丈夫か?」という疑問もあったが、すでに自治体単位で試験運用され、一定の効果が報告されていた。
志乃は仕事の合間、アプリを開いてみた。気になっていた候補者の一人、「田所 敬(たどころ・けい)」のプロフィールが表示される。
掲げるスローガンは「未来の介護に人の力を」。よくある言葉だ。
AIスコアは──
現実性:C 財源評価:D 法的整合:B 副作用リスク:C
そして、下部にはAIからの簡易コメントが記載されていた。
「人的資源のみに依存した政策構想。支援制度の不足、定着率への言及なし。」
「外国人材受け入れに関して、過去の失敗要因への分析が不足しています。」
志乃は目を細めた。この内容を、自分たちが説明しても誰も聞かなかった。
でも、AIが言うと人は聞くのか?
そのとき、職場の若手職員が話しかけてきた。
「藤村さん、これ見ました? スコア出てるんすよ。なんか……あの候補、思ったより浅かったんですね」
彼の言葉に、志乃は微かに驚いた。
「……そうね。浅かったって、気づいたのね」
誰かの熱弁より、数字と根拠が伝える力。
それは希望にも見えたが、同時に問いも生んでいた。
“それでも人は、点数の低い人に惹かれるかもしれない”
介護の現場は、誰も知らない戦場だ。志乃はそう思っていた。
言葉の壁、文化の違い、重労働、そして低賃金。 何年も前から「外国人介護士の受け入れ」が政策として語られてきたが、現場でうまくいった事例は、ほんの一部だ。
彼女が勤める事業所でも、かつてベトナム人実習生が2人配属されたことがあった。
礼儀正しく、学ぶ姿勢も真剣だった。だが、現場は甘くない。
彼らはよく「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と笑っていた。それは努力の証でもあったが、志乃にはときどき、それが防御の言葉にも見えた。
ある日、実習生の一人がぽつりと語った。
「利用者が怒ります。“あんた何言ってるかわからない”って……」
志乃は何も言えなかった。制度は整っている。マニュアルもある。
けれど、“だいじょうぶ”の重みを、制度を作る側は知らない。
やがて2人は別の職場へと移った。介護の仕事を続けるかどうか、彼女は聞けなかった。
それでも、政治家たちは言う。
「人手不足だから、外国人をもっと増やそう」
「制度を簡素化すれば、定着率も上がるはずだ」
“はず”――その言葉に、志乃は何度も傷ついてきた。
今回の選挙では、田所候補以外にも同じような政策を掲げる候補者が複数いた。
だが、AIは一貫してこう指摘していた。
「外国人材確保は対症療法にすぎず、根本的対策には至りません。」
「定着支援・教育・待遇・文化調整までの具体的計画が不十分です」
スコアは似たようなものだった。スコアの配点は、C、D、C、D。
それでも、その結果に対し、ある候補者はSNSでこう反論した。
「AIの評価など関係ない。私は“人の想い”を信じている。介護は“心”が支えるものだから」
その投稿は一部でバズり、「やっぱり最後は人間だよな」といった声が相次いだ。
志乃は思わずスマホを閉じた。
“心”を盾にして、現実から目を逸らしているようにしか見えなかった。
「質問を受けるのは、我々の役割だ」
――その一言が、制度を変えた。
PDSの設計チームに加わった大学の社会情報学部・データ政策科学科の助教授、北原遼(きたはら・りょう)は、志乃たち介護現場の声をもとに新機能の提案を行った。
候補者が提示した政策に対して、AIが“逆質問”を返すという仕組みだ。
公開形式で提示された質問は、内容の曖昧さや根拠不足を炙り出す。
ある候補者の政策「外国人介護士受け入れ枠の年間3万人拡大」に対して、AIは次のように返した。
「過去10年間におけるEPA(経済連携協定)介護福祉士候補者の離職率は平均38%。」
「他国(例:カナダ、ドイツ)との賃金・永住支援制度との比較はされていますか?」
「現在の日本の制度下で、5年後も定着が期待できる根拠はありますか?」
会場は静まり返った。
候補者は答えられなかった。ただ、「制度の精神を信じている」と繰り返した。
その後、ニュース番組では、介護人材の“日本離れ”について報道が相次いだ。
――ベトナム人介護士、ドイツへ。
――インドネシアからの看護師、カナダ永住を選択。
若く、優秀な人材ほど、日本を選ばなくなっている。
理由は明確だ。低い賃金、複雑な制度、将来の不透明さ。
「日本で働いたって、家族を呼べないし、ビザも延長できるか分からない。」
「だったら最初から英語を学んで、ドイツへ行く方が将来が見える」
SNSに投稿されたそんな声が、静かに拡散されていた。
志乃はその現実に、言葉を失った。
“人手が足りないから来てもらう”という姿勢が、いつの間にか人を遠ざけている。
その一方で、AIは冷静だった。
「政策の目的が“人材確保”ならば、対象者にとっての魅力設計も不可欠です」
あまりに当然のことを、誰もが言ってこなかったのだ。
いや、言っていたのかもしれない。ただ、聞く側が聞く準備をしていなかっただけで。
AI審査システム「PDS」は、着実に制度として根づきつつあった。
候補者の政策は、次々と評価・質問され、その内容はSNSやニュースでも話題になった。
だが、それをよしとしない声も同じように広がり始めていた。
「選ぶのは機械じゃない。最後は人間なんだよ」
「心がなきゃ、介護はただの作業になる」
“人間らしさ”という言葉が、政治の現場で繰り返されるようになった。
それはAIの冷静さへの反発であり、「感情」という武器で戦うようなものだった。
公的研究機関でPDS開発に関わる技術者・山城隼人(やましろ・はやと)は、複雑な表情を浮かべていた。
彼は、志乃たち介護現場の声をデータに変え、AIに学習させた張本人だった。
「……人の想いを軽く見てるわけじゃない。でも“想い”だけじゃ現場は回らない」
彼はそうつぶやき、パネルディスカッションの準備を続けていた。
今度の討論会は、候補者とAIの“公開対話”という、前代未聞の舞台になる。
当日、全国ネットで中継されたその討論会では、注目候補・田所が出演した。
「私は、AIが何を言おうと、“人を信じる政治”を貫きます」
「数字では測れない“現場の温度”がある。それをAIは理解できない」
観客から拍手が起きる。確かにその言葉は人の心を揺さぶった。
だが、その後、AIが表示した回答は簡潔だった。
「“理解”とは何を指しますか?
現場の“温度”を知るとは、どのような行動や根拠を意味しますか?
あなたの提案に、それが含まれていると確認できません」
再び、静寂が会場を包んだ。
志乃はテレビ画面を見ながら、はっと息をのんだ。AIが言っているのは、決して冷たい言葉ではなかった。
ただ、問いを返しているだけ。 “あなたの言う『想い』は、具体的にどう現れるのか”と。
それでも、田所の支持率は下がらなかった。
「人の心を信じたい」という言葉は、政治不信に疲れた人々に響いていた。
志乃は、湯のみを手にしながら、つぶやいた。
「最後は人間って……私たちは、どれだけ考えて、選んでるのかな」
選挙戦も終盤。
全国注目の公開イベント「政策公開対話フォーラム」が、都内の国際フォーラムで開催された。
テーマは――介護の未来と人材政策。
舞台には、主要候補者3名と、PDSのAIナビゲーターが並んでいた。
観客席には、介護職員、学生、メディア、一般市民が詰めかけている。
「まず、お聞きします」
AIの声は落ち着いていた。
「外国人介護人材の受け入れについて、あなたの政策は“年3万人の拡大”とあります。」
「日本語教育・定着支援・待遇整備などの予算配分は不明です。」
「また、国際比較において、ドイツ・カナダ・オーストラリア等への流出傾向が強まっていることはご存じですか?」
候補者の一人が、苦笑交じりに答えた。
「確かに、他国との競争はあります。でも日本にも“温かさ”がある。」
「言葉の壁は努力で超えられるし、現場は支え合いで乗り越えていけると信じています」
AIは、候補者の発言に冷静に応答した。
「その“温かさ”を支える制度設計と、数値的根拠の提示を求めています。」
「想定される滞在期間、初年度離職率、改善目標と手段を教えてください」
答えはなかった。
やがて、観客の一人が小さく呟いた。「信じたい。でも、それだけじゃ足りないよな……」
次に、別の候補者が「介護DX(デジタル化)」を掲げた提案を話し出した。
見守りAI、記録自動化、言語翻訳ツールの導入。PDSの評価は高く、スコアはA評価だった。
「AIは冷たいとよく言われますが、私は“AIが冷静だからこそ、人は優しくなれる”と思っています」
「私たちはAIに代わらせるのではなく、AIと並走して支える未来を選ぶべきです」
観客が静かにうなずいた。志乃もまた、胸の中にわずかな希望を覚えていた。
討論が終わり、会場が拍手に包まれたとき、AIは最後に短い一言を投げかけた。
「人の優しさを支えるには、判断の質が必要です。」
「投票とは、“信じる力”ではなく、“見抜く力”でもあります」
選挙当日。
午前8時。全国の投票所が静かに開いた。
志乃は、訪問介護の合間を縫って、昼過ぎに近所の小学校へ向かった。
期日前投票でもよかったのだが、彼女は「今」投票したかった。AIの分析も読んだ。討論も見た。現場の声も、自分自身が体験している。
だからこそ、迷いがあった。
AIのスコアが高い候補者が、必ずしも“共感”を呼ぶとは限らない。
スコアが低くても、“寄り添う言葉”を語る候補者もいる。
「結局、私は何を信じて投票するのか……」
彼女は自問しながら、一歩一歩、記入台へと歩いた。
投票所の出口では、若い夫婦が話していた。
「さっきの人、AIに点数低くされてた人だよね」
「うん。でもなんか、気持ちがこもってたから……迷ったけど、そっちにした」
その言葉を、志乃は聞き流さなかった。
「気持ち」か、「仕組み」か。
人は、どこまで考えて選ぶのか
――その答えが、今まさに試されている。
日が暮れ、開票が始まる。
SNSには速報と感想があふれ、人々は画面を見つめながら、それぞれの「選択の意味」を噛みしめていた。
志乃は、静かにテレビを消した。
――結果が出るのは、もうすぐだ。
選ばれるのは、「感情」か、「論理」か。
それとも、その両方に向き合おうとする意志かもしれない。
彼女は、そっと目を閉じた。
この社会が、何を選んだのかを、確かめるために。
選挙から3ヶ月が経った。
志乃はいつものように、利用者の家を訪ねていた。
世の中は大きく変わったわけではない。介護の現場に、魔法のような変化は訪れていない。
でもひとつ、確かに違っていた。
新しく入った職員が、選挙の話をしていたのだ。
「あのときのAIスコア、結構考えさせられましたよね」
志乃はその言葉に、小さく笑った。
――少しずつでも、人は考え始めている。
投票は「選択」ではなく、「問い直し」でもある。
この国の未来は、誰かの答えに任せるものではない。
今度の選挙も、また静かに始まろうとしていた。